25.翠竜の舞う夜
《アルラズ・スノウ》
アルヴィンはゼロを捕捉した、自分自身が描いた脚本の通りに。既に『正義』執行に取り掛かっているだろう……もしかしたら、もう終わっているかも知れない。
虚属性魔法は、七属性魔法の中で最も特異な魔法だ。
「攻撃」「防御」「補助・支援」「治癒」……魔導書なんかでは「四大効果」と呼ばれる大雑把な分類だが、他の六属性はこれらのいずれかを得意分野としている。例えば我らが炎属性は「攻撃」が得意、地属性は「防御」が得意、「治癒」なら水属性と氷属性にお任せ、といった感じだ。
で、虚属性魔法の得意分野を表現するなら「四大効果以外のこと」って具合になる。
最も象徴的な魔法効果は「洗脳」。相手の精神に干渉し、思うままに操ることのできる
今回の相手は、虚属性の神から生み落とされた眷属、の成り損ない。
だが。その尊大な犯行声明をツジカゼが報せてくれたおかげで、俺達は事前に選んでいた最適な手札を場に出すことができた。序列第三位、アルラズ・スノウ及びアルヴィン・スノウを。
「記憶」の役割を担うアルヴィンの前では、あらゆる境界線が意味を成さない。
普段は抑えているが、頭の中に入り込むことなんて、アルヴィンにとっては人間の呼吸みたいに自然なこと……魔法の
悠久を記憶してきたアルヴィンと、虚属性魔法の専門家、ただし
まずは
依頼主と協力し、予言に対する里の対策を誘導する。
里の民に掛けられた虚属性魔法の効果を調査し、満月の夜に「壁」の内側、即ち集会場に集まった住民の中から裏切り者が出る可能性を取り除く。住民にそれ以上の手出しが出来ねーように、ちゃんと炎神の眷属が来ましたよーって知らしめる為に、魔力を一定間隔で薄く広げ続ける。
ゼロが予言を成就させる方法、即ち「怒れる翠竜」を出現させる手段を特定する。
そして今宵。
あからさまに現れた黒い魔糸を辿り、この平原……ゼロのダミーが配置された罠の中で、適当に踊らされたフリをして。遠くから
二つの魔法というのは勿論、「翠竜の召喚」と「炎神の眷属の洗脳」だ。
ゼロは隣国フェオリアで大事件を起こした後、捜査の手を掻い潜ってシェールグレイに侵入している。
で。ゼロが不遜にも手駒に加えようとしている「炎神の眷属」ってのは、自分で言うのもなんだが、まともに戦って勝てる相手じゃあない。
だからゼロは、下準備に最低限の魔法……「里の全員に予言を信じさせる部分的な洗脳」しか使わず、慎重かつ巧妙に秘した隠れ家で、粛々と準備を進めていたわけだが……いざ洗脳しますって時に限っては、本体が
ゼロが魔法を発動した後、俺と直接繋がるまで。その僅かな間隙こそが、アルヴィンを呼ぶべき
いやー、ミスらなくて
(果たして、それから? 大丈夫って、何?)
……ぶっ倒れてるかも知れないけど。でも、すぐに迎えに行くから大丈夫だ。何が大丈夫なのか分かんねーし、何に大丈夫なのかも分かんねーけど、とにかく大丈夫なんだって。アルヴィンは常に、絶対的に、正しいんだから。
さて。らしくない思考の絡まりは、いつもぽっかり口開けてる忘却の彼方へ放り捨てまして、と。
英雄の誕生を、お手伝いしましょうか。
暗雲が集ってきた夜空の中央で、巨大な魔法陣を成していた翠色が蛍のように散っていく。孤独に浮かぶ望月が、再び姿を現す。その冴えたる輝きを背に浴びて、地上より駆け上がった翠色の光跡が、巨竜の喉元に喰らい付いた。
〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜
《翠竜ツジカゼ》
翠色の星が舞い散る夜空を、引き裂くようにして翔ける、躊躇いなく喉元に喰らいつく。黒い血と共に噴き出した濁った咆哮から、「彼」が人語を解していないと改めて知る。
私の牙を振り払おうと、長い胴体が大空をのたうち回る。満月の周りを高速旋回し、急降下したかと思えば急上昇する。露出した山肌に体当たりして巨岩を砕き、低く飛んで樹々を薙ぎ倒し、私という邪魔な存在を必死に削ぎ落とそうとする。
絶対に、絶対に、放すものか……柔軟な身体をぐるぐると巻きつけ締め上げて、このまま食い千切ってしまえと更に力を込める。
暴風と暴風がぶつかりあい、巻き上げられた枝葉を細切れにしていく。翠色の魔糸と魔糸が絡み合い、
満月の真下へと戻る。彼が再び咆哮し、
『ッ、』
私の牙の隙間から、唸り声が漏れる。
予期せぬ鋭い痛みが、全身を襲ったから。
魔法による裂傷? 打撲を受けていたとは言え、風属性に耐性がある筈の皮膚を、こうも容易く傷つけるなんて。
最も近い傷口へと素早く視線を遣れば、私だけでなく、魔法の発動者である彼の身体にも、決して浅くはない傷が刻まれていた。雲を破り地上にも降り注ぐ、
だがそれは、私だって同じだ。敗北は許されないけれど、この命は惜しくない。ここで彼を止められるのなら、大魔糸流に還ることになっても……
「おいおい、待てっての。
……ったく、危なっかしくて見てらんねーって」
すぐ耳元で聴こえた軽やかな声に、失明を防ぐ為に細めていた眼を見開いた。
探さずとも、アルラズはすぐに視界に現れた。自分自身の顔より大きい私の右眼を覗き込み、片手をヒラヒラさせながら笑っている。翼も風属性の魔力も有していない身体でこの高度まで至り、浮遊を続けていることなんて、全然大したことないみたいに。
「もっと手堅く行こうぜー。アンタが消えちまったら、アンタの愛する里はどうなる?
『……愛?』
「そ。愛さ」
私は頭の中で、アルラズの言葉を繰り返す。
アルラズはそれに応えて、にっこり笑う。
「好きなんて言葉じゃ済ませらんない、アンタは人を愛してる。長所も短所も全部、丸ごとね。愛ってのは、この世で最も愚かで、最も尊い行動原理……数多の『正義』の
だから俺は、アンタを信じることにしたよ。魔物であるアンタを、母さんは唯一の例外として聖都へ通した……それがどうしてなのか、何となーく分かった気がするから、ね」
不思議。時間の流れが酷く緩慢になったみたい。変わらず里の上空の戦場にいて、同種の首に牙を埋めているのに、とても温かくて、とても静か。
身体の至る所に生じた欠けを、温もりが満たしていく。狼のそれに似て尖った耳が、幾つもの声を掴まえる。私の名を叫ぶ、人々の声を。
「いい加減、片想いの日々を終わらせようぜ? 相手はぶくぶくに膨れ上がった破壊衝動みたいなもんだ。そんな中身のねーヤツに、ツジカゼ様が負けるわけがない……そーだろ?」
『……ふふ。報われなくても、構わなかったのに。未来のことを想うだけで、こんなにも力が出るなんて。私って案外、欲張りなのね』
牙が、貫通する。
途端に、世界は元通りの速度で巡り出す。
迸る、苦しみの咆哮、激昂の咆哮。拘束を解いた私は、身体を捻らせながら旋回し、憤怒に燃え上がる双眸と再び、真っ向から対峙する。咥内に奪い取った相手の一部が、黒い霧のようになって、牙の隙間から抜けていった。
彼が呼び寄せた暗雲に、紫雷の糸が駆け抜ける。矢のように
彼が大口を開けた。白く鋭い牙の間を、黒い血液が絶え間なくダラダラと流れ落ちていく。同種としての本能ゆえなのかしら。彼が何をしようとしているのか、すぐに勘付いた。
私も負けじと、口端が裂けんばかりに開口する。私に流れている魔力は勿論、空気中に存在する風属性の魔力を、奪い合うようにして咥内に集めていく。翠色の魔糸がはっきりと可視化し、毛糸玉のようにぐるぐると球を形作る。
ぎりぎりまで蓄えていく、
「正々堂々決着、みてーな空気のとこ
まるで緊迫感のない、アルラズの声。
「お返しに援護、させてもらうぜ? この世界で最高峰の炎で
対峙する竜の身体に、瞬く間に巻きついた翠色の糸。風属性の魔糸じゃない……巧妙に色を模してあるけれど、紛れもなく炎属性の魔糸。ジュウウという音と煙を立てて鱗を溶かし食い込んでいった、その細く熱い糸が膨れ上がるようにして、連鎖的な爆発を起こす。
ドドドドド、と間断なく続く炸裂音……止むまで、耳がどうにかなってしまいそうだった。火炎の熱の
跳び爆ぜる光まで翠色に染めるという、徹底した偽装の意味は分からないけれど。幾つも幾つも痛手を負ったせいで、敵の咥内で見事に統率されていた魔糸に「ほつれ」が生じている。
もはや修正するどころか、維持する為の体力、集中力も残っていないのだろう。
だから仕掛けを
魔糸の切先がこちらを向く。
猛烈な風の巨柱が伸びてくる。
解き放つ、ここで。
護る為に使い続けてきた、私の風の全てを。
(行け、)
私が放った風が、彼の風と衝突する。
(行け、)
刹那に均衡することもなく、向かい風をも呑み込んで、更に勢いを増し、
(行け!)
竜の顔面を、胴体を、生命を、削り取りながら押し進んでいく。
やがて、勝者の……
私の、風が
遺された長い尾が、ゆっくりと降下していった。純白の毛が、翡翠色の鱗が、次第に黒ずみ、ほろほろと崩れ、細く棚引く黒煙と化して夜闇と混じり合っていく。
はっとした。
もうひとつ。
アルラズ。
両手を広げて、目蓋を閉じて、微笑んで。
背中から、気持ち良さそうに落ちていく。
でも駄目、落ちるのは。受け止めなくちゃ。
私は彼を追いかける。すぐに追いついて、風の加護をあげようと鼻先を近づけたとき……アルラズは、ぱちりと目を開けた。ニッと並びの良い歯を見せて悪戯っぽく笑いながら、背後を……地上を、右手の人差し指でちょいちょいと指差した。
背中から翼のように広がった紅き炎が、アルラズを包み込む。そして瞬く間に燃え尽きた。アルラズは、消えてしまった。
先程よりずっと低い空で静止した私は、アルラズの指差した方……地上へと目を
里は、無事だ。
アルラズの結界が護ってくれたおかげで、何一つとして失われたものはない。誰一人として欠けてはいない。集会場の外へ出た人々の、幾つもの蜂蜜色の瞳が、私を見上げている。
(ありがとう、アルラズ。あなたは……私に、この景色を見せたかったのね)
私は、翠竜ツジカゼは、満月に向かって咆哮した。それは
ああ。
私は心の底から、里を、人を、愛している。
何故、愛するのか?
それは、私の心に愛があり、
報われなくとも、愛されなくとも、
愛したいものが、いるからだ。
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