18.森閑の果て


《アルラズ・スノウ》



 予言が示す日の午前中。俺は里の北方、森の中を進んでいた。無闇矢鱈むやみやたらに散策しているわけじゃない、目的地はちゃんとある。


 しっかし、深くて豊かな森だなー、空がやけに遠く見える。樹の一本一本が太く巨大で、見たこともねー植物が彼方此方あちこち蔓延はびこってる。虫達が草陰でさざめく中に、時折ときおり聞いたことねー鳥の声が降ってくるし、ヴィーが見たら眼をキラキラさせそーな綺麗な蝶が、群れを成して飛んでたりもする。獣のフンも何度か目にした、多分肉食のも草食のも。


 悲しいことに俺は記憶力が悪い。里の民の残した目印がなかったら早々に迷っちまって、空中浮遊で樹の上を移動する羽目になっただろーな。


 目印っていうのは、樹の幹に巻かれた荒縄だ。結び目に、里の人々お手製の植物性塗料がべっとりと塗られている。撥水はっすい性があるので、どんなに雨が降っても大丈夫。


 里の最も近くにある目印は赤い。里から離れるほど赤味が薄まり、丁度ちょうど「中間地点」は橙色で、竜の巣に近づくほど黄色味が濃くなっていく。つまりこの目印は、里への帰り道を示すと同時に、決して踏み入ってはいけない禁区の位置を警告するものでもあるわけだ。


 俺の目的地は勿論、翠竜ツジカゼの巣だ。


 依頼主からは許可を得ている。面倒そうっつーか絶対面倒だから里長には伝えてねーけど、まあ問題はねーだろう。あの人も奥さんも、集会場に集まった皆さんに気を配るので手一杯だろうし?


 お、川に出た。


 透明度が高く、水底の魚影がくっきりと視認できる。流れを囲うゴロゴロした岩の表面は苔生こけむしていて、鹿らしき動物の足跡が薄く残っていた。周辺で暮らす生物達のいこいの場、ってところかな。


 岩の上を跳んで渡れそーだけど。あんまり濡れたくない俺は、水飛沫の届かない位置に点々と足場を創って川を横切る。足場が燃え踊る火炎に似た姿なのは、見た目を意識しないと勝手にそうなるってだけ。特に意味はない。


 再び大岩の上に着地。前方に次の目印有り。黄色味がだいぶ濃くなってきた。

 で。その目印の周りに、三対の昏い双眸有りと。


 「黒狼」だな。狼を模して一回りほど大きくしたような体躯に、外見通りの強靭さと思いもよらぬ俊敏さを兼ね備えている、漆黒の毛並みの魔物。頻繁に発生するので、ギルドでは新人登録戦闘員の初任務の相手に最適、とか。


 上唇を細く舐め、一歩前へ。刹那に展開した特殊結界の入り口へ踏みいり、


「やあ」


 出口……黒狼の群れの頭上に現れつつ、三体それぞれの真上に紅蓮の球体を創造。球体内部から伸ばした糸を、獲物の予期せぬ急接近に怯んだ黒狼の胴に巻きつけ、


「よ、っと」


 重力に従って着地しながら、右の拳をくいと下へ動かす。仕草と連動し、糸が黒狼達の身体を引っ張りあげ、球体の中へつぷんと閉じ込めた。


 あとは球体……小さな小さな特殊結界の体積を、更に圧縮して終わり。魔石も要らねーし、ゼロになるまで。燃やしちゃ駄目なものが周りに在るときは、迂闊うかつに炎を使えねーからマジで面倒臭い。


 さ、先をそれなりに急ごう。この景色にも飽きてきたし、折角の独り時間なわけだし、思考でも整理しながら。大事なことの輪郭を、くっきりと覚えていられるように。



 〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜



 今回の件。鍵となる点は、大きく分けて三つ。

 一つ目は、予言に対する里の民の態度だ。


 予言を持ち込んだのは、里の外側からやってきた美男子。痩躯に燕尾服という見たことのない衣服をまとい、手には小振りな撥弦楽器はつげんがっきを携えていた。


 閉鎖的なこの里の人間……それも、外敵から里を護るという重責を担う門番が、夜中に突如として現れた「どこからどう見ても不審」な人物の立ち入りを、ちょっと熱心な説得だけで許したわけだ。


 続きもおかしい。楽器の奏でる音色によって、それまで眠っていた者を含むほぼ全員を一箇所に集めたかと思えば、不吉な予言を残して文字通り「消えた」? そんな不審者の予言を、里の「全員」が信じている?


 この里に正真正銘初めて訪れた俺でも断言できる。予言者とその予言に対する、里の民の反応は異常だ。そして、ここまで大規模な異常事態を起こせるすべは限られている。


 夜闇の中で妖しく輝いていた翡翠色の双眸。撥弦楽器によって奏でられた優美な旋律。いつの間にか広場に充満していた、衣服にねっとりとまとわりつくような甘い香り。視覚、聴覚、嗅覚への念入りな働きかけが有ったとくれば、最早疑う余地はない。


 虚属性魔法による部分的な「洗脳」。これが答えだ。


 二つ目は予言の前提となる、里の民と翠竜ツジカゼが交わした約束。

 里長から聞いた文言はこうだった。


『命など要らぬ。人間どもの施しなど要らぬ。

 未来永劫えいごう何人なんぴとたりとも、

 我をおとなってはならぬ。

 ただ、我が風が吹きしとき閑寂かんじゃくを献上せよ』


 里の人々は翠竜の外見的特徴や、「魔物の王」「天空の王者」と呼ばれるに相応しい恐るべき力量については知っていたらしいが、翠竜の性質については詳しく知らないらしい。今も昔も、変わらず。


 翠竜は、途轍とてつもなく優れた聴覚を持つ。


 どれくらい優れているのかと言うと、巣と里を結んだ程度の距離ならば、一人一人の鼓動の音までつぶさに聞き分けられる程度だ。人間が生きて里に存在し続ける限り、たとえ家に閉じこもり、僅かな音を立てることさえはばかっていたとしても、ツジカゼにとっては何の影響もない。


 その上、屋外では人間の作ったものである硝子の風鈴が、ひっきりなしに喚いているのだから……ツジカゼの耳にとって、里の民が謹み献上してきたものは「閑寂」とはまるで別物の何かと言わざるを得ない。それでもツジカゼが「うるせー!」……いや、「騒々しいわ!」と里を襲わなかったのは何故なのか?


 そして三つ目。里が今日まで存続できていたこと、それ自体。


 里の民がどこからやってきたのか、その正体と経緯は……少なくとも俺には分からないし、必要以上に過去を掘り返すつもりもない。一つだけ重要な事実は、里が創られた当時から、竜に対抗できるだけの戦力を保持していなかったってことだ。


 殆ど自給自足の生活をしてきたわけだから、狩猟の延長線上で、小型の魔物を倒せる程度の戦士はいるんだろーけど。そもそも防衛設備が明らかに「古い」んだよな、更新された気配もなければ使われた形跡もねーし。畑とか家畜小屋周辺の護りの方が厳重なくらいで。


 で、試しに里長に尋ねてみたら、こんな答えが返ってきたわけだが。


『僕の知る限り、里自体が魔物に襲撃されたことはありません。深い森が「天然の要塞」として機能しているゆえかと思っておりましたが……』


 有り得ない。


 さっき俺の前に現れたように、魔物はどこにでも平等に、不公平に発生する。致命傷を負わない限り、存在し、行動し続ける。そしてその本能として、人の存在を鋭敏に嗅ぎつけて襲う。集落が何百年もの間、全く魔物の被害に遭わずに済んでいるなんて有り得ない。


 必ず、何らかの理由があるはずだ。

 例えば、聖都を護り続ける母さんのような。


 俺は立ち止まり、唇の端を歪めた。偶然に蹴飛けとばした小石が音もなく、森の中に唐突に現れた縦穴の斜面を転がり落ちていく。長年に渡って続いた風属性の「魔粒子過剰」の影響で、乾いた土が露出し、ヒビ割れた大地。風に翻弄される砂塵で薄く白くけぶる中に、植物の影はまるで見当たらない。


 伝承の通り。里の北方、目印の先には、確かに巨竜の巣が存在した。

 ま、もぬけの殻だったけど。


 翠竜は、此処ここにはいない。

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