8.手紙
《シエラ・バーンネル》
拝啓、お母さま。
炎神様が天上に築かれたお国で、安らかに過ごしていらっしゃいますか? シエラは元気です。故郷を離れてティアニーリア神学校の女性寮に移り、新生活がいよいよ幕を開けようかというところです。正直、四六時中そわそわしています。
お母さんを失ったあの日のことは、二年が経った今でも昨日のことのようで、思い出すまでもありません。お母さんが育んでくださった正義の炎までもがふっつりと消え、真っ暗になったわたしの心には、目を背けたくなるような醜い感情が蠢いていました。
お母さんを独り、夜闇に沈んだ街へ送り出したことへの後悔。お喋りすることも抱きしめることも、ただお傍にいることさえも叶わなくなってしまったことへの悲しみ。お母さんを奪ったものへの憎しみ。そして、炎神様に縋ることしかできない、無力な自分自身への嫌悪。
もしも聖都からあの方が来てくださらなかったら、わたしの炎は消えたまま。己のうちの醜さに丸呑みにされ、お養父さんの支えがあったとしても、真っ当な日常を送れていなかったでしょう。もちろん、「大聖殿でおつとめできるような立派な聖職者になりたい」という夢を抱いて邁進することもなかったはずです。
それに。救われたのは、わたしだけではないのでしょう。
ミガーネギルドに他支部から、実力的にも人格的にも優れたギルド職員の方々が派遣されてきたこと。ミガーネの夜を、弱き人々にとっても安全なものへと変えるために、街灯の設置や路地の環境整備などが活発に行われるようになったこと。受験勉強の最中にユーデルおじさまから情報をご提供いただいた、数多くの変革も、恐らくは。
叶うならもう一度、あの方に。
アルラズ様に、お会いしたい。
いいえ、
ですが「シェールグレイで最高峰の学校に合格するために重ねてきた努力を認めてもらいたい」ですとか、あの方からこれ以上何かをいただきたいとは、誓って、思っていないのです!
わたしはただ純粋に、申し上げられなかった感謝の気持ちをお伝えしたいだけであって! あの方は願いを叶えてくださった後、わたしが思わず脱力して座り込んでいる間に、お帰りになってしまったから……
「……だから、なんで言い訳っぽくなっちゃうかなあ」
わたしは溜息をこぼしながらガラスペンを置き、インクが渇くのを待ってから、書きかけの手紙をデスクに伏せた。
いつもそう。お母さんにアルラズ様への気持ちを伝えようとすると、上手く言葉にならない。ティアニーリアに合格できるくらい……授業料が殆ど免除される、特待生の座を得られるくらい勉強したのに、笑えてくるほど語彙力が貧弱になる。手紙という形なら、少しは的確な表現を見つけられると思ったのにな。
デスクの端に置いた時計を見れば、午後一時を少し回ったところ。
よし、気合い注入。胸の前で両手をぎゅっと握って、ぱっと開いてまた握る。
わたしは弾かれたように立ち上がった。お養父さんから譲り受けた、ちょっとくたびれ気味だけど丈夫な大きめのリュックに、デスクに積み上げていた本を丁寧にしまいこんでいく。
他の荷物は必要最低限に。あれこれ何でも書き留めているノートに愛用の筆記具、緊張のあまり睨むような眼になってしまった顔写真の付いた学生証、初めて自分で刺繍を施したハンカチ、あとはお財布だけ。知恵の結晶たる本を傷つけることは、ガルージヴァ監獄に送られても仕方ないほどの罪悪だと思っている。
翠色の生地で白襟付き、すとんと落ちる形をした膝下丈スカートの裾周りを、草花の刺繍とフリル飾りが彩るワンピース。その上に、ダークブラウンの丸ボタンがお気に入りの、カフェラテ色をした厚手のカーディガンを羽織って。
よいしょっ、と十六歳の乙女らしからぬ掛け声とともにリュックを背負って、青翅の蝶を模したリボン飾りのあしらわれたカンカン帽を仕上げにかぶる。
全身鏡の前でぐるり、一回転。
……何だか、リュックを背負っているのか、リュックに背負われているのか分からない。三つ編みの完璧さがかえって田舎娘らしさを増長させているような気もする。でもまあ、ひとりで勉強しに行くのだからこれで良いのだ、うん。
入学祝いにお養父さんに買ってもらった、風魔法を使っているみたいに軽くて、靴底の低いスニーカーを履いて外へ出る。
汚れが目立たないように焦茶色を選んだけれど、聖都の道はどこもかしこも綺麗に舗装されているから、もっと淡くて可愛い色でも良かったかも知れない。例えば……ピンクとか? そんな色の靴を置いているお店がミガーネの街に在るのかは、故郷のことなのに分からないけれど。
手に持った二通の手紙は、故郷から応援してくれている、お養父さんとマーガン家の夫妻に宛てたもの。
綴った内容は……お養父さんには近況報告と、身体を大事にしてね、って。マーガン家のおじさまとおばさまには、ご出産おめでとう、里帰りしたときに娘さんに会うのが楽しみ、って。
寮の玄関前に設置されている郵便ポストに手紙を投函し、ふと空を仰いだ。麗らかな春の晴天、お出かけ日和。寮内でほとんど人に会わなかったわけだ。
今日も聖都は美しい。燃え盛る火炎の赤と橙、そして蝋燭の乳白色を基調とした、背の高い暖色の街並みは、荘厳さと親しみやすさを器用に共存させている。通りに配置された街路樹や、花壇に植えられた春の花々には、人の手の加わったものではあるけれど、何となくほっとさせられる。
まあるい陽射しに照らされる中、水路沿いにあるお気に入りの小道を抜けて。埃っぽさのまるでない空気を思いっきり吸い込み、気を引き締めてから大通りへ出た。
賑わう往来の一員になって、歩いてゆく。リュックの両紐を握りしめ、誰かと勝負しているみたいに、せかせかと早足で目的地へまっしぐら。
神域の中で最も一般人にひらかれている場所。シェールグレス宮殿図書館と並び立つ知の殿堂。この国のあらゆる刊行物が集まる、聖都の文化的中枢。
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