5.「アルラズ」
一人一人が抱く、異なる色をした願いを、神は慈愛の心で以って受けとめる。どれほど強い願いだろうと、「多くの場合」は受けとめるだけ。
即ち、例外が存在するということだ。
裁きの塔の
「……やあ、良い夜ですね」
(獲物を
今夜、ここで、終わらせたっていい。が)
「はは、
(罪に怯える心が
それだけで、次の夜の標的は変わる。他者から「自分自身」へと、変わる)
「逃がしてやるわけ、ないだろ?
今まで悪事ご苦労様、『闇を泳ぐ魔物』さん」
(『哀れな魔物』の仮面を引き剥がしてやる。
空の炎の
「『正義』の名のもとに」
(人間に、戻る時間だ)
5.「アルラズ」
「どうか、どうかお待ちになってください!
男は立ち止まり、追いかけてきた人物……シエラ・バーンネルの老いた養父を振り返った。
束の間、美貌の男は無表情でいた。豊かな感情を宿していた
神父の心には冷ややかな畏怖が兆し、
「いえ、あの……
思わず
男は、依頼主との約束を果たした。
雲間から差し込む陽光のもと、
「闇を泳ぐ魔物」には、外傷など戦闘の痕跡は見られなかった。ただ、心底怯え切った様子で、地面に膝をついて真相を洗いざらい従順に吐き、真冬に裸で屋外に放り出されたかのようにカタカタと震えるばかり。
そしてシエラが選んだのは、言葉でぶん殴ることだった。
十四歳の少女は母親の
『この顔を忘れないで。一生、忘れないで。
わたしは、お前が殺したひとの娘だ』
哀れな魔物の名に隠れていた痩躯の中年男は、伸び放題、曲がり放題の長髪によって
少女は自らの感情より、母親の遺志を尊重した。「たとえどんなことが起ころうとも、清く在り続けましょう。決して奪う側にいってはなりませんよ」と、幾度も聞かされてきた言葉を、幾度も絡めてきた小指の誓いを裏切らなかった。
人を殴れば、自らの拳も忘れがたい痛みを覚えるもの。余所者は片割れを通じて、そのことをよく理解していた。だからこそ、シエラの選択を「尊い」と思った。
そして同時に確信した。
俺は、正しい裁きを
最早、この街ですべきことは残されていない。罪人の連行に協力してくれたミガーネギルドの登録戦闘員、酒場で出会ったユーデル・マーガンともう一名に、手柄も後始末も全部任せると言い放ち、早々にその場を後にしたのだ……
「やや、礼なんて別にいいんですってー。用済みの余所者なんかに構ってないで、娘さんを
ショージキ俺は早く帰って、メンドーな報告をパパッと終わらせて、母さんに思いっきり褒められたり甘やかされたりしたいんだからー」
ロマンスグレーの頭を再び上げた神父が見たものは、先程の印象とは打って変わって柔らかな微笑。神父が更に一歩踏み込もうと考えたのは、その笑顔に少なからず畏怖が和らいだ為だった。
「寛大なご配慮、痛み入ります。しかしながら、これほどの恩義を賜ったのです。『聖都よりの使者様』と仰るだけでは、私どもを救わんと思し召してくださった御方が
「んー……無事に裁けたし、アンタになら明かしてもいーかな。
ひとつ、立てた人差し指を右の目尻の下に接吻させ、揺らすように顔の横へ。中指と薬指を順に立て、合わせてみっつ。
「三」を示すハンドサインだ。
「俺は『
男が何を言ったのか、咄嗟には理解できなかった。しかし、長年炎神に仕えてきた老齢の神父は、三度目のまばたきの後に瞠目する。
思い出したのだ。今から四十年以上前、聖都のティアニーリア神学校で学んでいたとき、その「特殊機関」の噂を耳に挟んだことがあったと。
『瞳。聖都に囚われし神に代わり、物事を見定め、正義を執行する。
成員は皆、
天地が逆さに映るほどの、眩暈に見舞われた。
「ああ、我が神よ……まさか、まさか……!」
『炎神の子。
神体より生み落とされた、眷属であるから』
「だいじょーぶ? なんか具合悪い? 娘さんの為にも身体、大事にした方がいーよ?」
茫然と。気づけば神父は、両手と両膝をついていた。
その双眸を幾度、同等の高さから直視してしまったか? その言葉を幾度、怪しみ、疑ってしまったか? 自分と養女は一体幾度、炎神の御子に不敬を働いてしまったのか?
脂汗が俄かに額を覆う。同時に、若き日に戻ったかのように溢れてくる熱い涙が、ぽつぽつと老眼鏡を叩いては広がる。雫に内包された虹がぐるりと巡り、淡く輝く。
「我々は、何というご無礼を……! まさか『正義』の眷属様が、直々に、正義を執行なさりにいらっしゃるとは……ああ、何という……ああ、ああ、偉大なる、我が主よ……」
「まー、正義は正義でも、俺の場合は『家族愛』なんだけど。母さんの優しさは大ッ好きだけど、残念ながら俺自身は優しくない……だから、人間に寄り添うのが下手なんだよなー」
丘の上を風が渡り、
「それに俺は、身分で呼ばれるのが好きじゃない。だって序列第三位なんだぜー、上のふたりに母さんへの愛で負けてるみてーじゃん? んなこと有り得ねーのにさ……だから、」
「また会うことがあれば、だけど。母さんがつけてくれた、『アルラズ』って名前で呼んでもらえると、嬉しい」
【序章 闇を泳ぐ魔物・了】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます