~保身を呈して~(『夢時代』より)
天川裕司
~保身を呈して~(『夢時代』より)
~保身を呈して~
〝最果て〟に続く道の途中でしゃがんで太陽を見上げれば小さな黒点は見得ないにしてもその陽光は十分に輝くもので自ず目と足とを止められて、小さく闊歩する、抑揚の利いた不埒な矛盾に気が付いたのだ。〝小さな者〟とは誰の事なのか、又自ず鏡に映ったモンローの様な気性の激しい醜態と妖艶とを歌い踊った着飾る〝曇天・ムード〟に魅了された俺は、とぼとぼ又、小さく険しい上り坂を上(あが)り切って山を見下ろそうとし、躰は街中に置いた儘で、休む事を知らずに何処か遠くの、出来れば自分の郷里の様な見知った場所へ行く事が出来ればと、一途にお道化始めて居た。白紙は言わずと知れた硝子・ケースが反射して大映しにする三面鏡の様な赤裸々を既に謳って居り、青い表紙に描かれ出された自分の稚拙と空虚とを目の当たりにさせて俺の眼内(まなこうち)に落して来て、小さく大きく照り輝く太陽の有力を退引き成らない尽力が織り成した追憶の彼方迄へと追い遣って行った。俺は今此処で何をしてるのか、と誰に、何に、問うて見ても自ず自答のみが引っ切り無しに熱烈に跳び残り、跳ねて又この心中へ舞い返って来た。私の友人は今、あそこの地で自然に苦しんで居り、この今の自分に何か有力な賜物でも在ればそれがあの彼の失楽した手足の代わりに成り得るのではないかと又自問して、矢張り、やがてはその言葉達を携えた儘深い郷里の水面へと歩かされる。友人と女とが又頻りに問答打って俺の正直に迄近付いて来た。俺は咄嗟に身構えて服を着直し、闇雲に手で深手の傷の内を弄(まさぐ)ってあわよくば自分の糧と出来る物を探し当てて、その時の身の保身に努めようとして居た。オレンジ色の夕陽が今度は、俺のもう一つの正直を側面から真向に照らす。何時も通りの空虚な空だ。人はずんずんどんどん歩き去って行き、私に顔を見せる事も無く空は暮れて行く。今に俺は有名に成る、なんて堕落した根拠の輝きを両手一杯にした儘で他人と、俺は何とか自身の栄華にその顔を覗かせて尊敬を得たい、とした。男にも女にも通じる尊敬される為の契機(きっかけ)を得る為の内心を隠して居り、この栄華を極めし尊敬とは成らず者が手にする物だった。アップグレードされた魅力の花園は常に男から遠い郷里に在る様で、〝最果て〟の光景が持つ人の孤独を自ず立派に照り輝かせながら天然の動きなのか、その場所自体が自分から遠く離れて行くような気が俺はして居たのである。もう十数年続けて来た独断の作業は人への糧と人の自然から織り成された尽力の遂行へとその身を投げ遣って、遂には見果てぬ夢の様な物を、頻りに俺に見せて来るのだ。白紙に描かれたドストエフスキーは神義論への説明の付加と修正とを図りながら又遠い外国の地へとその身を遣って、自ずこの俺の理想から次第次第に離れて行く強靭の態を矢張り見せ付けて来る様子であり、俺は一度そのドストエフスキーの正直な人生への感想の内に他人の顔を知って居た。辺り一面が火の海にも感じる事が出来る望郷の花園には俺の骸はこれ見よがしに割愛させる強さを以て降り立ち、保身に努め出した様で、俺は今でも白紙に正直を書き続けながらあわよくば救いを得ようと、ずっと何かに照準を合せる努力をしながら自分の人生を象って行く。その照準とは随時変更されて行く為、これといった不変の態を見せずに醜態と魅了する体(てい)とを使い分け、それでも俺の注意を十分引く対象(もの)と成って行った。
未だ快楽の全てを知らない俺は〝どうかこの人生の内でそれを一度は味わって見たい〟と強く盲目の態を以て決断し、他人を追い遣ってでも、這ってでも、自分が見た目的の地へと体を進めようと試みるが、何かが邪魔をして、自分の思う様に成らない歯痒さの様な逡巡を隠して居た。神という絶大不変の存在に自身の非力を呈しながら、〝共有出来る〟と信じた人の楽園に追憶を馳せ、それでも何とか人生を全うする事が出来るように、と又人の快楽を欲して居たのである。太陽と月とが均等間隔で自己が織り成す発光に依り自身の保身を努める様に、俺は自己主張を勝手に人生に於ける主張へと変えて、自分を今取り巻いて居る他人の存在が織り成す強靭に対抗させて居た。何時(いつ)まで経っても縮まらぬその「間隔」はこの現実に於いて不変の物と成り、私の他人への思い遣りは見る見る解け始めて形を成さなく成って、何が正義で悪なのか、に就いて問答する上で一端(いっぱし)の疲労を感じ始めて居たのだ。自然に啄まれて行く人の活力はその源を失っては直ぐに目的を失うらしくて、自分が今何処に向かって通り過ぎて行くのか考えなく成り、次に開く扉も重く成って仕舞うようだった。
或る昼下がり、俺は自分の見知った介護施設に居り、旧来の友人である、少々顔が長くのっぺりとした、それで居て活発な芯を持ちその職場では先輩のTと共に笑って居た。Tは女である。そうした光景・情景を傍(はた)から見ながら俺は嬉しく、又懐かしい気がして、又この白痴の様な白紙に降りる思惑の内で、頻りに何か、物を書いて行く事と成る。楽しいムードを引き出して笑い合いながらでも俺には下心が矢張り在って、このTを、Tには既に夫が在る事を知りながらも、自分の下僕(しもべ)の様にして見たい、という一念は働いた訳であり、胸から熱が出る程、虚無に捕われて行く羞恥にこの身を敢えて任せて行った。俺達の周りには、何人かの男女の介護福祉士、役員、利用者達が居た。時はもう夜と成っており、仕事の為か忙しそうにして居た。その仕事の成れの果てには何か楽しい夜のイベントでも在る様子で、退引き成らないその施設のオーラと自分の下心の狭間に俺は身を置きながら帰らずに、何とかその元職場に踏み止まって居た。別段、何も用事が無いので、辺りを右往左往して、少しでもその時の自身が保身を保てる流暢が見えれば身を寄せる事を努め、その下心をも他人に気付かれまいと躍起に成って画策して居り、その他人の内には年端も行かない未熟な利用者の能力さえも含めて居た。それ等の連動はまるで一つ一つの自然が連鎖する様に、何時の間にかそう成っていた。
その介護福祉士が集まる職場に於いて一つの片を付けた後、俺は直ぐに別の目的地へ向かわねば成らなかった様子であり、その時自分が通って居たD大学の校内に居た。その校内に於いて俺が、街中で良く見掛ける熟女と知り合い、その熟女は事の序に段々と俺との関係を構築して行った様子で、自身の保身を図る口実や内実、又その術に就いては一つのヒントも明かさず、プライドを大切にして居た様子である。これも良く見る、女特有の悪質が成す業(わざ)だとその時の俺は発想し、次第にその悪質はまるで初めから自分の目前に在った産物であると、やや麻痺した思惑の内で交錯して居た。その熟女とは、俺が以前にパソコンのスクリーン上で観た、正座してパンツを少し覗かせ、顏は上半分が切れて居るあの熟女に似て居り、俺はその熟女の太腿の内に顔と体を辷り込ませて保身を図った事が在る。その熟女の様子を俺はプリントアウトした後自分のベッド下に置いて在る大学ノートの内に挟んで隠して在った事から、俺は良くその熟女の様子を記憶して居り、パソコンの物理的な記憶から俺の肉体的な保存へとその身を摩り替えて現在は改まって座って居るのだ。故に俺はその熟女に次第に惹かれて行った。知り合ったと言っても道を訊かれて教えた程度の間柄であり、自然に風が流れる儘にその頼り無さは消され行くものに思えたが、その熟女はその一時(いっとき)の欲望に身を駆られて仕舞った様で俺の美顔が呈する若さに恐らく注意して、俺達は少し喋る事にし、そのうち笑顔が零れ始めて夢想の内へと下って行った。昼下がりの事だった。何時の間にか俺の夜の時間は明けた様で、又何か新たな光景が顔を覗かせるような、そんな期待出来る人間模様が溌剌とした儘の体(てい)で孤独を打ち消して、俺の目前へと降り立って居たようだ。
そうして居る内に、何処からともなく、背の高い活発な若い男がどしどしやって来て、強引に、俺とその彼女との紡ぎ上げた儚気(はかなげ)な絆の内に割り込んだ。男がその胸に掲げて居たのは、女を見掛けた時の若年特有の汚らしさである。その男とは、恐らく事の序に校内に割り込んで来たこのD大の学生であり、黒い肩を剥き出しにしたタンクトップの様な薄地のシャツを着て居り、執拗な迄の執念を以て俺を威嚇し、結局、俺はその熟女を、その背の高い、やや童顔染みた若者に奪われて仕舞った。男は唯満足そうで、次に講じるその熟女との計画にはゆったりと構えて居り、歩調を緩めて、もうその気色の内に俺を認めても動じないように成って居た。目的を果したからである。その若者は大学の校内であるにも拘わらず車に乗って来た様子で、禁止されている箇条等をまるで無視する事が若気の至りだ、とでも言うべく貴重な瞳を以て大空を見上げて居り、虚空を見上げて居た俺は唯その光景に対して躊躇するだけで、道端に掲げられた聖典の一説を忙しく二度程心中で音読して居た。熟女は始め、何気にその若者に付いて行くだけだったが、その内、積極的に成り始め、少し席を外したその若者の為に、自分は小さな鞄から化粧品を取り出して身繕いを始め、男が残して行った上着の様な物をきちんと畳んで又直ぐに男が着る事が出来るようにと、妻がする様な行為をして居り、その間、俺が傍(そば)を通っても、その熟女は俺に一瞥もしなかった。その行為の一つ一つに淑女が見せる様な清潔感と誠実さえ見え始めて、二人の土台が一時(いっとき)に於いても構築されて行くのが目の当たりに明るく成り出し、時折、何か思い出して笑うその熟女の表情には何処か内輪の情景が醸し出されて、俺はその熟女と若い男との関係に妖艶を知った。熟女は若者に遠慮を憶えたのか、着て居る服も少しずつ流行り物に変えて行った。そうした一連の言葉の並びを俺は唯変らず遠くから覗き見て居るだけであって、如何でも好い用事を工作してはその熟女が見える道を態と歩いたり、或いは、如何してもその道を通らねば成らぬ用事が出来る事も在り、その時は態とその道を通る時よりも辛かったのを憶えて居る。しかし不思議な事に、俺の嫉妬心は直ぐに消えて行った。未だ知り合ってから時間が経っていなかった事と、〝自分にとって俗世の女は臭く、大体にして、その俗世の女が自分に持ち込む結末は知って見えている。既に経験して来た〟という持論と妙な自信が在った為だろう、という樞に就いては、自分ながらに薄々感じて居た。それから俺は少々解放された様に、校内をぐるぐると歩き廻った。彼女と背の高い若者は車を挟んで大体決まった位置に居り、余りそこから動かないので、或る決まった場所に行けば、その二人の光景を覗く事は出来た。若者はその熟女を遂に自分の車に乗せ、爽やかな春の陽射しと風の中、自分達の為に何かを取りに行こうとして居た様子で又エンジンを吹き掛け、遠くから見て居た為か少々分り辛かったが、熟女は車に乗って澄まして居る頃から黒いサングラスを掛けて居たようだ。日光避(よ)けの様(よう)にも見えたが、その熟女の情景には恐らく〝若者の物に成れた自分への賛歌〟の様なものが響いていたようで、他の女子大生を大目に見る事が出来る程の〝大人の女性〟を演じる事さえ出来る余力の様なものも在る、と俺は感じて居た。地味な見栄えを呈して居た、俺と出会った時に居た熟女からその熟女は、まるで一つの本性を取り戻せたように束の間で変貌を遂げて居た。両者の表情は真顔であり、余計な気遣いを表情に出す事もしないで済むように成った様子があり、男と女は、すっかり板に付いて来たようだ。俺はぐるぐると一つの大きなキャンパス内の建物の周囲を廻りながら、その彼等を三度程見た。一度目は、その若者と目が合い、向こうは挨拶程度に此方へずかずかやって来た様だったが此方は一戦交える覚悟をして居た。しかし特に何も起らずに、二人の時間は互いに外方(そっぽ)を向いたようだった。二度目は目が合っただけで若者は此方へはもう来なかった。その時でも俺は前回と同様に咄嗟に身構えたが、そうしながらも確かに俺の戦闘心は少々薄れていた。三度目は、きっと気付かれても可笑しくないと思われる距離間を以て擦れ違ったのに、若者は俺に見向きもせずに唯真っ直ぐ前方だけを見据えて去ってしまった。若者は、喋る気配も何も無く、春の気配を醸し出す風(かぜ)の内を唯悠々と、我が物顏で歩き去って行った。俺はその時、ちらちらと〝若者の風〟と身長を見て居た。その儘互いに通り去って、若者は何処か日常の彼方に、俺は元在るべき道を見付けさせてくれた空間に、帰ったのである。そうして通り過ぎながらも俺は時々、何処か建物(ビル)の中からその若者と熟女の情事を覗き見る事は出来ないものか、と算段して居たが、結局一度も出来ずに終って仕舞った。少し冒険をした後、又、自分の空間へ帰って行く時にふと、その冒険をして居た時の自分の熱情をふと思い出しつつ、俺は栄子の事を考えて居た。栄子とは、以前に教会で知り合った幼馴染の女の子であり、歳は一つ下である。もし栄子があの若者にああやって言い寄られたらどんな展開が起こるのだろうか、等と勝手な妄想に捕われて居たのだ。栄子なら、クリスチャンである故に、ほいほいと男の安い口車と見掛けの体躯の好さに惹かれて付いて行ったりしないだろう、それよりも、「私はあなたの様な人は嫌いです」とあの若者に面と向かってきっぱり言うのじゃないか、そうじゃなきゃ〝線引き〟した意味が無ぇ、等、色々と、悶々と俺は想像して居た。しかしクリスチャンとは罪を憎んで人を憎まず、とか、否もしかしたら栄子だって一人の娘だしこの世の魅力に縋る性質は在るだろう、等と、神秘の内、現実の内に於いて甦る人の引き金が頭を擡げて又俺を威嚇する事と成り、俺は変わらず悶々として居た。そこらを歩いて居た他人にこの事に就いて問うて見ると、「勿論、あの熟女と同様に、そんな若者と栄子が宜しく付き合い始める事だって当然として在り得るのだ。栄子の人生である。他人の男が決める処は無い。」と返って来た。
春の麗らかな涼風の内に燦燦と照り付ける太陽を俺は立ち止まりしゃがみ込んで見上げた時、現実が画策した様な風は唯冷たかった。
~保身を呈して~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji
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