天文学的な確率を超えて見つけたのがこれかよはナシだぜって話

母の名は蘭子。

私はいつでもどこでも、彼女を蘭子と呼び捨てているが、それは彼女のことを親と思っていないとか、下に見てるとかそういうことではなく、単に幼い時から「私のことは蘭子と呼べ」と彼女に言われてきたからだ。


そのせいで、実は私は祖父母や祖父母の親戚から影でかなり注意を受けている。

とても真剣に怒られたりもしている。

だから、母を名前で呼ぶのが嫌だった時期もけっこう長い間あった。

それを蘭子には言ってはいないが、当然彼女自身も「親を名前呼びさせるな」と散々注意を受けているはずだ。


いつの間にか、嫌な気持ちもなく自然に蘭子と呼ぶようになったが、それはきっとそれを怒っていた世代の方々が、相当なお年寄りになられたり、亡くなられたりで、会う機会がなくなってからの時間のほうが長くなってしまったからだと思う。


私も子供ができたら、自分のことを楓子と呼ばせるのだろうか。


蘭子も私と同じように高校生の時に日記を書いていた。

いや、時系列的に正すと、私が蘭子と同じように日記を書いているのだ、今。


1980年代、彼女の高校生姿は想像できなくもないが、本当にはわからない。

世の中が違う。携帯もスマホもこの世にない頃の女子高生だ。

想像するのは難しい。


そして、彼女はその日記をデジタルで残している。

19990年代、社会人になった彼女は、まだ日本語のホームページとやらが1000コくらいしかなかった時代に、自分でホームページを作りその日記をアップしていたらしい。

だから、今もどこかのサーバーに残ってて、タイムカプセルみたいになって出てくるかも!とか、乙女なことを言ってはしゃいでいたが、それはないだろう。


まあ、なんだかんだ、それもアリかと思って、私も書いているのだ。

私の子供がいつかこの日記を見つけるかもしれない。

宇宙人がいる星を見つけるくらいの確率で。


しかし、そんな確率で見つけたものが、こんなんでいいのかって。

これでも自問自答しながら書いてるんだから。

そのくらいは汲めよ、我が子よ。

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