起き上がりこぶし
私には、赤ん坊だった時の記憶がある。
仰向けから、ゴロンとうつ伏せになるくらいはできたが、まだズリズリと前進したり、いわゆるハイハイをしたりはできなかった。
誰かの家だ。
たぶん、母は産後すぐに勤めを再開し、知人に私を預けたのだと思う。だから、1日限りというわけではなく、私には結構その家で寝ていた記憶がある。
強烈に記憶しているのは、私の枕元にあった「起き上がりこぶし」だ。
そいつは、手が丸くて、フード付きの赤いべべを着ている。フードを被っているから、顔以外はみんな赤い。たぶん今でも売っている、ポピュラーな起き上がりこぶし。
倒しても倒しても起き上がってくるそいつが、寝ている私の頭の上に常にあった。
そいつには、裏(床にくっついてる側)に凹みがあって、私はそれをいじるのが好きだったのだ。
その凹みの感触が気持ち良かったのだろう。
ある日、私はいつものようにそいつの凹みをいじくっていた。
そいつは、体を斜めにされていじられているわけだが、起きようとする力は常に働いて、私が手を話せばたちどころに起きてしまう。
もしかしたら、その起き上がらんとする力を、この手に感じるのが好きだったのかもしれない。
で、その日、やつは突然重さを無くしたのだ。いじくっていたら、そのまま横に倒れやがったのだ。
私はとても驚いた。
起き上がりこぶしが、起き上がらない。
いつもは隠されている、いや、必死に隠そうとしている裏の凹みを思い切り露わにして、やつは倒れたのだ。
これならいくらでも凹みを堪能できるでしょ、存分にどうぞ。
やつはあまりにしつこく毎日その凹みにトライする私に嫌気が差したのかもそれない。
ならば、どうぞと。
いやいや君、そういうことではないんだ。
まだ言葉を知らない私は、大声で泣いた。
起き上がりこぶしが、起き上がらない。これは、違うぞ、と。
その「違う」という感情を覚えているのだ。
それから、どうなったのかは覚えていない。やつは私が凹みをいじくったせいで、壊れたのだろうか。その後、直ったのだろうか。
ともかく、その時の感情が今も時々よみがえるのだ。たまに夢にも見る。
いつまで覚えていられるだろうか。
いつか忘れてしまうだろうか。
忘れてしまったら、今は少し残念に思うけど、忘れちゃったら忘れてるから何とも思わないんだな、きっと。
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