ふわふわ、きらり
京野 薫
第一部:水色のあなたと群青のわたし
深い穴はぽっかりと
私、
正しくは高校2年の春の日、5月18日から大嫌いになった。
あの日から6年経っても春とは仲直りどころか、ますます険悪になるばかり。
せっかく異常気象なんだから、国で音頭とって春とかなくしちゃえばいいのに。
どうせ、すぐ暑くなって春らしい日なんかほぼ無いんだから。
中途半端な季節なんてポイッ! と可燃ごみみたいに捨てればいいんだ。
と意味不明なこと考えるくらいに春が嫌いだ。
なぜって?
一生忘れる事のない6年前の5月18日金曜日の大体20時半頃。
土日を控えて食卓はどこかほのぼのムード。
私も明日、友達と出かける予定のUSJで頭が一杯。
高校1年の弟の
ママも撮りためてた韓国ドラマを見る予定。
そしてパパもおいしそうにビールを飲んでいる。
ああ、そうだ。
この日のせいかな。
私は未だにビールを一滴も飲めない。
そんな気だるさと幸せが包む夜20時半頃。
突然インターホンが鳴った。
こんな時間に?
せっかくUSJの回るルートの構想練ってたのを邪魔されたようで不快だったけど、玄関に出たママがおびえたような表情で戻ってきた事で、一気にみんなの意識がママに向いた。
そしてママは私たち全員を地獄に突き落とす言葉を言った。
長い長い地獄へ。
「ねえ、パパ……警察の人が来てるんだけど。パパに用があるって。『強制わいせつの容疑』って……何のこと? 向こうの勘違いだよね? 頭にきちゃうよね? ちょっと行って間違いです、って言ってくれない? あなたに来るように、って……」
はあ?
私はめんどいな、とスマホから目も離さなかった。
パパが強制わいせつって……
ずっと仕事とママに夢中で、私や翔太にもうっとおしいくらい「大好き」を連呼して。
ママへの誕生日プレゼント選びに私を無理に狩り出して選ばせて。
見た目もパッとしない。
そんなパパが?
ホントに馬鹿馬鹿しい。
日本の警察は優秀って聞いたのに、ご近所さんとか名前の似てる人を間違うんだ。
せっかくの明日の構想が……って、そうか! これも明日の話のネタにしちゃおう。
ゆっこと香の奴、朝一発目からビックリするかな?
「パパが間違って逮捕されそうになったんだよ!」って凄いよね!
せっかくだから話を盛って……
そう考えているうちに、段々と別の意味でスマホの画面から目を離せなくなった。
あれ?
全然戻ってこないな?
説明ってそんなに時間かかるの?
警察って無能にもほどがあるでしょ。
ってか、パパの説明が下手なのか。
ああ、もう! 早くUSJ調べたいのに。
イライラしながら玄関に目をやると、あっちの方からくぐもった声で「……
星野? 誰それ……知らないよ。
自分の心臓の音が、まるで外付けのスピーカーから? と思うくらいハッキリと大きく聞こえる。
もう嫌だ。
早く終わって。
明日USJ……
次の瞬間。
「20時58分。容疑者、
ヨウギシャ?
ねえ、ママ。
ヨウギシャって……なに?
ねえ、何で泣き声が聞こえるの?
ママ、泣いてるの?
誤解なんでしょ?
早く訂正してよ。
パパ、優しいし気が小さいから警察みたいな人には上手くしゃべれないんだよ。
ママがしっかりしないと。
私、明日ゆっこと香と3人でUSJなんだよ。
朝7時に名古屋駅で待ち合わせなんだよ。
「姉さん……何なんだよ、あれ」
翔太の震える声が聞こえる。
「……ママがちゃんと説明してくれる」
それだけ言うのがやっとだった。
そのうち、ママの泣き声は叫び声も混じってきた。
そして車のエンジン音が聞こえた。
静かに、ひっそりと。
その音が遠ざかるのを聞きながら自分の鼻にツンとする臭いと、股の間と太ももにじんわり温かいお湯のような感触を感じた。
自分がおしっこを漏らしているのだと気付くまで5時間かかった。
ねえ、パパはどこいったの?
※
スマホから聞こえる軽やかな目覚ましの音で一気に夢の世界から引き戻された私は、安堵と共にベッドの中で深く息を吐いた。
夢……
あれから6年経っているのに。
とっくに母方の性である「菅原」になっているのに、あの夜の事は今でも録画したドラマの一場面のように何度も何度もくっきりと浮かぶ。
今日が遅番でよかった。
あの夢の後はひどくグッタリするので、テンションを戻すまで苦労するのだ。
今から仕事だったら泣ける。
携帯を確認すると、6時半。
目覚めるの早すぎ。
昨夜は11時くらいまでゆっこと飲んでたから、ゆっくり寝てるつもりだったのがあの夢のせいで……
ラインが来てたので確認するとゆっこ……
高校からの友達。
あんな事があってもたった一人、友達でいてくれた人。
メッセージをみると「ちゃんと起きるんだよ! 寝坊したら怒るからね!」と、猫がプンプン怒っているスタンプ。
微笑みながらメッセージを返して、お風呂に入るためお湯を入れ始めた。
13時頃、職場である児童養護施設「
そう、私は福祉大学卒業後、この児童養護施設で職員として働いている。
子ども好きでは無かったけど、あの1件以降、誰かの役に立ちたかった。
それがパパ……だった人の犯した罪の償いになるように思えて。
弟の翔太は高校卒業後、不動産会社の営業として働いている。
今の会社はその人を見るんじゃなく、成績だけを見るから気分良く働けるのだそうだ。
「社員を人間として見ずに数字として見るんだよ。だから俺みたいに成績挙げられれば、アイツのヤラカシなんて消し飛ぶんだ。めちゃフェアじゃない?」と。
成績優秀な子だったから本来ならいい大学にも行けただろう。
行かせてあげたかった。
でも……頑張ったけど、助けられなかった。
あの人のおかげで全てが狂った。
もう何十回目になるか分からない事を考えながら、仕事着……動きやすい白のシャツとジャージ姿だけど、に着替えて施設の中に入る。
まだ子ども達は帰ってないので、早番からの引き継ぎを行い、きょうは中学校の保護者会があるのでそちらへ。
養護施設は親がいない、または年に数回しか顔を合わせないので、こういったことも職員の仕事だ。
施設に戻ると、子ども達が少しづつ帰って来た。
小学校低学年などは私達の顔を見ると、体全体で手を振る。
つい私も笑顔で手を振り返す。
でも、そうしながら心臓は大きな音を立てる。
2つの意味で。
もうすぐかな……
そう思いながら正門を見ていると、背筋を伸ばして静かに入ってくる少女の姿があった。
ランドセルが不釣り合いに見えるくらい、大人びた雰囲気とスラリと伸びたスレンダーな姿。
ドキドキする理由の1つ目は……私は彼女に恋している。
一目惚れだった。
墓場まで持って行く秘密。
そして2つ目は……
彼女の名前は星野いすず。
母親は星野百合。
そう。
彼女は私のパパだった人の被害者、星野百合の一人娘。
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