アダムとジュリエット

 ドッグランが併設された自然公園で、わたしは猫ちゃんと散歩をしていた。首輪のほかにもハーネスをつけてしっかりとリードで繋いだ猫ちゃんは、この公園の王様であるかのように、堂々とした足取りで歩いている。

 つやつやの黒い毛並みと、意外にもピンク色だった肉球が可愛い猫ちゃんは、赤いお花のハーネスをつけてとてもご機嫌だ。


「あ、立金花だ。食べちゃだめだよ、毒だからね、それ」


 猫ちゃんは答えない。代わりに、まん丸な瞳で見上げてくる。可愛い。

 立金花の花はドッグランのほうには咲いてない。売店脇のプランターや駐車場前の花壇を黄金色に彩っていて、どちらにもペット注意の立て札が立っている。

 広々とした芝生広場や、地面から水が飛び出す仕掛けの噴水。子供の足首ほどしかない、ごく浅い水遊び場に、季節の花がたくさん植えられた小規模の植物園。どこも人の手を離れたいまでさえ、在りし日の賑わいを思わせる名残がある。

 行政は色んなものを作っては放置していたから、そうして出来たガワだけの建物が公園の近所にもそびえ立っていたりする。


「おはよう。今日も猫ちゃんと一緒なんだ」

「おはよう。そっちこそ、相変わらず仲がいいじゃない」


 公園のガゼボにつくと、散歩仲間の英司が片手を上げて話しかけてきた。金茶色に脱色した髪はだいぶプリンになっていて、どこで手に入れたのか知りたくもない柄のシャツと黒のスラックスが、何というか夜職感を醸し出している。これで、動物園の飼育員だったというのだから、世の中はわからない。

 彼の傍らでは、まだ比較的小さいカピバラさんがぼんやり佇んでいる。

 カピバラさんは確か草食動物なのに、わたしの猫ちゃんが目の前にいても無反応を決め込んでいて。猫ちゃんは猫ちゃんで、カピバラさんに見向きもしない。


「どういうわけか、職場にこの子しか残ってなかったからさ。放っとけないっしょ」

「まあ、気持ちはわかるよ。わたしは好奇心で見に行っただけだけど」

「その好奇心で猫ちゃんが救われたなら、いいんじゃない?」


 軽薄そうな口調で、微妙にいいことを言う。


「そういや今日って建国記念日らしいよ」

「そうなの? 日付の感覚なかったから知らなかった。建国ねえ……」


 何とも言えない気持ちを抱えて、視線を遠い空へ逃がす。

 相変わらず天気が良くて風も爽やか。春とも初夏ともつかない、こののんびりした陽気は、ゆるやかに眠気を誘う。

 そよそよと枝葉が歌う音がして、どこかで小鳥が囀る声もする。足元で猫ちゃんが欠伸をしたかと思えば、丸くなって寝始めた。


「猫ちゃんはいいなあ。人間は外で寝たら風邪引いちゃうよ」

「あ、カピバラさんも寝てた。毛布持ってくれば良かったな。失敗した」

「寝る気満々なスタイルで散歩に来るのもどうなの」


 わたしの言葉をスルーして、英司は真上に伸びをした。

 ついでに大あくびなんてするものだから、こっちまでうつってしまった。


「日が出てるうちならちょっとくらい平気っしょ。ほら、こっちおいで」

「なに?」


 呼ばれるまま傍に行けば、肩を抱かれてぽんぽんと寝かしつけられた。一瞬ムッとしたけれど、この陽気には勝てなくて、瞼が溶けるように落ちていく。


「お休み。俺もちょっと寝よ」


 そんな声が聞こえたかどうかのときに、わたしの意識は陽光にとけた。



 どれくらいそうしていただろうか。

 目覚めたときには、日が中天を少しだけ過ぎていた。

 猫ちゃんはいつの間にか起きていて、足元にある小石をおててで弄んでいる。その様子を見ているのか見ていないのかわからないけれど、カピバラさんが傍でぼんやりしている。のどかだ。


「おはよ。夜々ちゃんは、このあとどうすんの?」

「んー……また、手ごねハンバーグのお店に行こうと思う。あそこの冷蔵庫、わりと優秀だから。あと、わたしもハンバーグ食べたいし」

「ああ、いいね。俺はまたふれあい牧場を当たってみようかな」


 どちらからともなく立ち上がり、体をほぐす。

 猫ちゃんもカピバラさんもお出かけの終わりを察したのか、起き上がってわたしと英司をそれぞれ見上げた。賢い子たちだ。


「それじゃあね、俺のジュリエット」

「ご機嫌よう、崖下のアダムさん」


 背後から飛んでくる「せめてバルコニーにしない!?」という彼の声を無視して、わたしは猫ちゃんと連れ立って公園をあとにした。


「建国記念日だって。そう言われても、愛国もなにもないよね」


 猫ちゃんは答えない。

 天鵞絨の毛並みが陽光に煌めいて、つやつやした天使のリングを見せつけてくる。わたしもこんな綺麗な黒髪だったらなあ。

 ハンバーグ店についたら、塊肉をあげよう。鋭い爪で塊肉を引き裂くのを見るのはちょっとドキドキするけれど、それがわたしに向けられることはないから。

 車道に点在する車も、明滅することを忘れた信号も、わたしたちの足を阻むことはない。

 止まってしまった世界でふたりきり。


「明日は何処へ行こうか」

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