婚約破棄された聖女は甘酸っぱいのがお好き

uribou

第1話

 それは王室御用達と思われる絶品のオレンジをいただいていた時だった。


「で、ボクは君との婚約を破棄したいんだ」

「はあ」


 王宮で国王陛下夫妻と私の婚約者エルズワース殿下、私及びその保護者である聖燭教大司教で話し合いが行われている。

 殿下が私との婚約を解消したいとは聞いていたが、まんま殿下の口から聞かされるとそれなりの落胆があるなあ。

 ただオレンジのおいしさの方が衝撃的で、婚約破棄の方はまあ。

 大司教のじっちゃんが問う。


「要するに聖女ライカとの婚約を解消したいとの申し出でよろしいのですな?」

「解消でなく、ボクからの婚約破棄だ」

「破棄……聖女ライカに何か不都合がありましたか?」

「特には。ただボクの方から婚約を嫌ったという強い意思表示をしたいのでね」

「はあ」


 じっちゃん、侮蔑の感情が隠せてないよ?

 ある程度の事情は聞いてる。

 エルズワース殿下は貴族学校で同級生の公爵令嬢だか侯爵令嬢だかと仲良くなって、私が邪魔になったって話だよね?


 私だって以前一方的に殿下に惚れられて、婚約者にって望まれたんだけど。

 やはり身近に可愛らしい御令嬢がいると、心変わりするものなんだね。

 わかってたけど、永遠の愛なんてないんだ。

 ちょっとガッカリ。


 いやでもオレンジはすごい。

 酸味と甘味の絶妙なバランス。

 ガッカリ感を補って余りあるわ。


 チラリと国王陛下夫妻を見ると、まるで空気だな。

 しかし特に殿下の意見に反対はないみたい。

 そもそも聖女であっても平民の私と殿下との婚約は、かなりムリがあったと聞いている。

 エルズワース殿下は直系唯一の王位継承権保持者だから、我が儘が通っちゃったけど。


 結局陛下夫妻は聖燭教との関係が悪くなっても、高位貴族との繋がりができる方が有利と見たんだろうな。

 私を切って、どこぞの御令嬢と結ぶことに決めたと。

 元々王侯貴族のパワーバランス的にはそっちの方がいいんだろうけど……。


「エルズワース殿下の仰せとあらば否はありません。が、一方的に婚約破棄となると聖女ライカの価値が毀損します。聖燭教にとっては見過ごせない事態です。何らかの補償をいただきたい」


 あっ、じっちゃん欲張りに行った!

 思わずじっちゃんを見たら、ちょっとは傷ついた顔しとれって目で合図されたわ。

 了解です。

 顔を伏せて……オレンジが視界に入るなあ。

 メッチャ美味かったぞ?

 また食べたいな。


「もちろん。相応の慰謝料の他、長年聖燭教が欲していた『聖なる燭台』の所有権を引き渡そう。どうだい?」


 『聖なる燭台』は始まりの聖女が使ったとされる燭台で、カルカウ王国の建国と聖燭教の創立の両方に関わる重要アイテムだ。

 これを譲り渡してくれるなら、王家が聖燭教を蔑ろにしているってことにはならないな。

 国王陛下夫妻も頷いてるところ見ると、最初からこの条件で納得させようとしてたみたい。

 じっちゃんニンマリ。


「では婚約破棄については以上の条件で承ります。エルズワース殿下の新たな婚約とカルカウ王国の繁栄を祈っておりますぞ」


 かくして私は婚約破棄された。

 お茶請けに出てきたオレンジの強い甘味と酸味だけが印象に残った。


          ◇


 ――――――――――その夜。


「何じゃ、あれは」


 じっちゃんがお冠です。

 王宮から帰る時は機嫌よかったのにな?


「すごくおいしいオレンジだったね。あんなの食べたことない」

「オレンジではなくてエルズワース殿下のことじゃ。ライカは腹が立たんのか?」

「特には。ちょっと顔がいいだけのフワフワした王子だと思うし」


 さすがに二年も婚約者をやってると、全く何も感じないってわけでもないけど。

 振り回されたって思いが強いなあ。


「未練があるとかは?」

「まさか。あるわけないじゃん。でもモヤモヤはする」

「ふむ、ライカがその程度の認識ならば、怒るだけ損か」

「あたしのために怒ってくれたの? 血圧上がるといけないからやめてよ」

「さすがに聖女は優しいの。しかしライカとの婚約が成立した時、こんなことになるとは思いもせなんだわ。大体エルズワース殿下は病弱という話であったろうが」


 エルズワース殿下は病弱だったから、割と我が儘が利いたって側面があったみたい。

 私と婚約した後は普通に健康だったから遊び回って、恋の楽しさを知ったんじゃないの?

 知らんけど。


「ライカを貴族学校に通わせていれば状況は違ったのかの」

「いや、私は貴族じゃないから、反感買いそう。じっちゃんは殿下のことどう思う?」

「王の器ではないの」

「じっちゃんもそう思うか。じゃあまあいいか」

「じゃあいい、とは?」

「放っとくとエルズワース殿下は死んじゃうと思う。多分半年くらいで」

「何? どういうことじゃ!」


 エルズワース殿下は悪縁とか自分に向けられた悪感情を、負のものとして身にまとわせちゃう体質のようだ。

 だから体に不調が現れがちで、病弱って言われてたんだと思う。

 浄化したら調子よくなってたし。


 病弱王子時代はあんまり悪感情を向けられることもなかったろうけど、今はどうだろ?

 調子に乗ってバカを晒してるんでしょ?

 恨まれることも多いんじゃないかなあ?


「つまりライカが会うたび浄化してたから、殿下の健康は保たれていた?」

「じゃないかなーと思う」

「何と……」

「でも殿下が王位に就くと国が乱れるレベルなら、別の人が王様になった方がいいかと思って」


 じっちゃん苦笑しとるわ。


「ドライな考えじゃの。しかし真理か。ライカがそこまでエルズワース殿下を見限っているということに、むしろ安心するの」

「ドライとか言わないでよ。可哀そうなのは婚約破棄された私の方」

「もっともなことじゃの。王家は聖女との婚約を破棄した報いを受ければよいわ」


 ざまあ見ろとは思わないけど、私も婚約がなくなってエルズワース殿下との繋がりは切れちゃった。

 現状何もできないしな。


「エルズワース殿下以外の王位継承権保持者は誰になるんだっけ?」

「血統が近いのは二人の王弟殿下じゃが、子供は王女ばかりじゃの。新しい側妃を娶ってということになるかも知れぬが、今まで生まれてこぬのだから難しいであろう」

「となると?」

「筆頭公爵のティスデイルス家には王位継承権が認められている」


 ふうん。

 一悶着ありそうだなあ。


「私旅に出てくるね。一年くらい」

「エルズワース殿下は見殺しか。……まあよかろう」

「ごめんね。私も婚約破棄された心の傷を癒したいの」

「何をぬかしおるか。オレンジの話ばかりしていたろうが」


 アハハと笑い合う。


「今日もらった『聖なる燭台』あるでしょ? あれ結構なパワーだわ」

「ほう?」

「邪気を払う力がかなり強いから、私がいない間に何かあったら使うといいよ」

「ふむ、単なる象徴的なアイテムというわけではないのか。わかった。忠告感謝する」

「じゃ、じっちゃんおやすみ」

 

          ◇


 ――――――――――一年後。


「ライカ様! 聖女ライカ様でいらっしゃいますな?」

「そうだけど……」


 旅を終えてカルカウ王国に帰ってきたら、国境の検問所で捕まった。

 王宮の伝令近衛兵だな。

 何だ何だって皆にジロジロ見られるわ。

 恥ずかしいじゃないか。


「どうしたの?」

「道々報告いたします。急ぎ王都においでくだされ」


 ふうん、人のいるところでは話せないこともあるみたいだな。

 あたしもカルカウ王国の内情に疎くなってるし。

 了解、ゆっくり歩いていくつもりだったけど、転移で飛ぶか。

 転移の魔法を発動!


「こ、ここは?」

「王都の聖燭教の大聖堂だよ。急ぎみたいだから転移してきたの」

「ライカ様は転移を使えるので?」

「使えるけど、あんまり便利なものじゃないよ。よく知ってるところじゃないと飛べないし、バカげた魔力食うし、国境越えると不法出入国になるし」

「いやあ、素晴らしいです!」


 伝令の近衛兵は興奮してるけど……何だろうな?


「王都どうしちゃったの? どんよりしてる気がする」

「お気付きになりましたか」

「近衛兵さんの話も聞きたいけど、大司教のじっちゃんと一緒でいい? いろんな角度からの事情を知りたいから」

「もちろん構いませんとも」


 大聖堂内部に入る。

 あ、『聖なる燭台』を使って火を灯してるな。

 うん、ここは大丈夫だ。

 変な気配がない。


「あっ、聖女様!」

「ただいま。王都がおかしくなっちゃったみたい?」

「お帰りなさいませ。聖女様がおられぬ間、王都は不幸続きで……」

「じっちゃんいる?」

「おられます。奥へどうぞ」


          ◇


 近衛兵さんと大司教のじっちゃんの話を聞く。

 やっぱり私との婚約破棄後半年くらいで、エルズワース殿下が病死したらしい。

 ここまで予想通り。


「エルズワース殿下は元々身体が弱かったですから」

「仕方のないことじゃったの」


 エルズワース殿下は多分悪意や悪感情を溜め込んだんだよ。

 私が浄化しなかったからお亡くなりになったんだよ、とはまさか言えないもんな。


「国王夫妻の嘆きようは大変なものでした」

「察するに余りあるねえ」

「そこから王宮の空気が変わった気がするのです」

「次代の王と目されていた王子殿下が亡くなったのじゃ。湿っぽい雰囲気になるのは当然だが、ライカは王都に帰ってきた時どう思った?」

「殿下が亡くなったという予備知識なしでもおかしいと思った。邪気というか瘴気というかが漂ってる」

「何と!」

「やはり。つい先日、陛下夫妻が相次いで亡くなった」

「「えっ?」」


 伝令に出てた近衛兵さんも知らなかったことか。

 そんな一大事は最初に教えてよ!

 あたしは最近のカルカウの状況がわかんないんだから!

 近衛兵さんが言う。


「瘴気は王宮に原因があるとは考えられぬか?」

「あり得るね」

「確かに王宮はおかしいです。王宮勤めの者に体調を崩す者が続出していると聞いておりました。伝令が任務の小官には影響がないですが」


 瘴気に弱そうなエルズワース殿下が真っ先にやられたのか?

 それとも……。


「王宮を見ないとわかんないな。明日見に行くよ」

「ライカなら瘴気を祓えるじゃろう?」

「多分。でも原因を除去しないとまた瘴気が溜まるのかもしれないし。原因までわかるかは何とも」


 おかしなことになってるなあ。


「で、次の王様は誰になるの?」

「王宮住みの二人の王弟殿下も病に臥せっておられる。二人とも王位に就くのを辞退したと聞いた」

「メチャクチャだなあ」

「王位継承権を持つ、イーノック・ティスデイルス公爵が次の王と目されておるな。しかしイーノック殿の嫡男メレディス殿の婚約者が逃げ出してしまったそうな。呪われた王宮に住むのは嫌だと」

「あっ、王宮が呪われてるっていう噂が出てるんだ?」


 じっちゃんと近衛兵さんが頷く。

 さもありなん。


「とにかく明日、王宮を見に行ってからだな」


          ◇


 ――――――――――翌日。


「どうじゃ、わかるか?」


 次の日朝からじっちゃんと王宮を見に行った。

 こりゃひどいわ。


「わかる。これエルズワース殿下の残留思念だわ」

「エルズワース殿下の?」


 俗な言い方をすれば地縛霊だ。

 何の未練があったか知らんけど、エルズワース殿下の魂が昇天できず王宮に残ってしまっている。

 たまたま殿下が悪意その他を溜めちゃう体質だったから、とんでもない瘴気として漂っているという状況になった。


「浄化できるな?」

「うん。昨日たっぷり寝たから大丈夫」


 浄化の術式を唱える。

 王宮全体を光の柱が包み、覆っていた瘴気が取り払われた。

 あ、エルズワース殿下の魂が……何か言ってる?


「……ねえ、じっちゃん。シンディーちゃんって知ってる?」

「シンディー? どこから出てきた名前じゃ?」

「今エルズワース殿下の魂が昇天したんだけどさ。殿下が私に伝えてきた。シンディーちゃんが殿下の子を孕んだって言ってるそーな」

「何じゃと!」

「でもそれは濡れ衣だ、シンディーちゃんといかがわしい関係になったことはないって。ウソを吐いてるようには思えなかったな」

「つまりその思いが原因で、エルズワース殿下は王宮に取り憑いていたのじゃな?」

「みたいだね」


 もし本当にエルズワース殿下の子なら陛下の直系の孫だ。

 王位に一番近いのかな?

 どえらい面倒なことになってきたなあ。


「時間的に出産間近なのではないか?」

「だろうねえ。あと任せていい?」

「うむ。真偽の判別が必要になったら手伝うのじゃぞ?」

「手伝うって、あの残酷な魔法?」

「そうじゃ」

「ええ? 気が進まないけどしょうがないか」


 とりあえず瘴気は霧散するけど、王位はどうなるんだろ?

 もう私には関係ないから、高みの見物だなあ。


          ◇


 ――――――――――二〇日後。


「聖女殿、ぜひ息子の嫁に!」

「はあ」

「ぜひオレの妃に!」

「はあ」


 困惑。

 王宮に呼び出され、戴冠間近のイーノック様とその御子息メレディス様に頼み込まれている。

 いや、私の魔法で王宮が浄化され、王都に漂う怪しげな気配がなくなったことから、聖燭教と私の評価が爆上がりなんだって。


 どこぞの侯爵家のシンディーちゃんが妊娠してるのは本当だった。

 けど、エルズワース殿下の子なのかって聞いたら目が泳いでた。


 殿下も私と婚約破棄したのは、シンディーちゃんと結ばれたかったからみたい。

 でも即行で飽きたみたい。

 エルズワース殿下も罪なやつだなあ。

 シンディーちゃんも追い詰められて一か八かの手段を取っちゃったんだろうか?

 

 審問でウソ吐くと目が潰れる魔法があるよ、大マジだよって言ったら、シンディーちゃんもすぐ腰が引けて撤退してくれた。

 エルズワース殿下この件に関してはウソ吐いてなかった。

 クズなことには変わりないけど。

 おかげで余計で不毛な争いを回避できたと褒められた。


 じっちゃんが言う。


「メレディス殿が気に入らんと言うことはないのじゃろ?」

「もちろん。素敵な貴公子だと思う」


 誠実そう。

 第一印象はメッチャいい。

 じっちゃんが集めてた情報によれば、真面目で優秀な好男子とあるしな。


 メレディス様の、私を見ては慌てて視線を避ける様子がシャイで可愛い。

 比較対象が今は亡きエルズワース殿下だからかなあ?

 殿下はとにかく浮気性だったから。


「だったら……」

「婚約そのものにいいイメージがなくて」


 皆さんがあーみたいな顔になる。

 私はエルズワース殿下に一方的に求められて婚約し、一方的に婚約破棄された。

 殿下には特に思うところはなかったけど、面白くないことは確かなのだ。


「カルカウ王国が動揺しておる。国民的支持のあるライカが王太子妃にならんと収まらんのだぞ」

「わかってるけど……」


 私だってエルズワース殿下と婚約が決まった時、ちょっとはときめいたわ。

 病弱ハンサム王子だったから、あたしが支えるんだって気持ちもあった。

 でも殿下が熱心だったのは最初だけで、その後ほぼ放置されて。

 月一くらい義理で会うだけだったもんで萎えた。

 釣った魚にエサやらん主義なのかと、殿下に対して失望したし、婚約には不信感がある。

 私の我が儘なのかなあ?


 オレンジが運ばれてきた。

 あれ? あのオレンジ……。

 色、艶、間違いない!

 口に運び、味を確かめる。


「おいしい!」

「ハハッ、聖女殿に気に入ってもらえましたかな? 王家に献上していた特級品です」


 そうか、公爵領産のオレンジだったのか。


「まさに婚約破棄された日に、王宮で食べさせてもらったオレンジなんです」


 やっちまった、みたいな顔をイーノック様がしてるけど違くて。

 私はこのオレンジを求めてたんだよ。


「この甘さ、酸っぱさのバランスが最高で。一年間世界中のオレンジを食べ回ったんですけど出会えなくて」


 世界中ってのは大げさじゃない。

 飛行魔法使って移動時間短縮したから、マジで世界中回った。


「旅をしてくるって、オレンジを探すためじゃったのか」

「いや、だって鮮烈においしかったんだもん」


 私が食いしん坊なだけじゃないわ。

 恋愛的な甘酸っぱさの代償をオレンジに求めちゃっただけなんだって。

 何うまいこと言ってるんだじゃなくてさ。

 信じて!


 今度は少し長めにメレディス様と目が合った。

 熱を帯びた目だ。

 エルズワース殿下よりもずっと実があると感じた。

 もう一度私は……。


「……世界一のオレンジを作れるティスデイルス公爵家を信用します。私をメレディス様の婚約者としてください」


 皆様の喜ぶまいことか。

 オレンジに釣られたって言うな。

 メレディス様の視線に騙されたって言うな。

 結論は決まってたんだよ。

 きっかけが欲しかったというか、思い切りが必要だったというか。


 国がどうなるかとか結婚生活がどうなるかとか、先のことはわからない。

 でもあの最高のオレンジが食べられるんだったら、他のことはまあいいや。

 顔が赤くなってるメレディス様と、また目が合った。

 オレンジみたいなソバカスがちょっと好き。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

婚約破棄された聖女は甘酸っぱいのがお好き uribou @asobigokoro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る