まさるあらめや

お茶

1.栄冠掴むその日まで

「樋口!遅せぇよ!オメェはブレット・ハーパーかよ!」

戸塚の声はよく通る。

活気のある声色の持ち主は、明朗快活という熟語の擬人化のような少女だ。

高く透き通っていて、それでいて力強さを孕むその声は、どんな人混みの中でも聞き分けられそうだ。

「ブレット・ハーパーって誰だよ…」

そう脳内でボヤキながら、僕はサッカーボールその一点だけを追いかけていた。

訂正させて貰いたいが、僕は足が遅い訳では無い。むしろ平均より早い。なのにクラス対抗球技大会で初戦からぶち当たった1年4組は、サッカー部のレギュラー陣の大半が属しているという教員全員に「何考えてんだ」と問い詰めてやりたいほどの布陣である。ちなみに我々1年2組の布陣はというと、サッカー部のキーパー伏見、陸上400m走専門丸山、中学までバレーを続け、今現在はマクドナルドでボールではなくポテトフライを”あげる”国見くん、野球部キャッチャーで筋トレオタクの四宮、そして僕と文化部etc…で構成されている。パワーバランスは火を見るより明らかだ。むしろ、善戦している方である。下馬評では、1年4組は引退した3年生は兎も角、全盛期バリバリの2年生組までも飲み込むのでは?と言ったところである。

「おい!丸山!そこ桑原みてぇに飛び込めよ!謙太郎じゃねぇぞ?ガッツマンの方だよ!行けよ!もう夏は始まってんだよ!」

スコアは4-0

無論、我々は後者だ。

「樋口!なんだお前そのタケタケステップみてぇな足取りは!お前の熱き血潮を見せてみろ!」

泣きたい。


その後、劇的な展開も何も無く、ただただ大敗を喫した。

何とか1得点こそしたものの、5点差という大差の前では苦し紛れのしっぺ返しでしかない。

とはいえ、試合前から予測していた展開なので、悔しいという感情すら湧かず、我々は苦汁ではなく、アクエリアスを飲んでいた。我々の作戦というのは、とにかく質より量であった。敵の誰よりも走り、誰よりもボールに触り、誰よりも声をあげることであった。が、無駄骨であった。

時代は効率化であると言うことをもっと知っとくべきであった。知ったとて何も変わらないが。

とのことで、僕らは拭えない鉄の味を何とかアクエリアスで流すため、垂直ラッパ飲みをしている訳だが、人間ウォーターサーバーが11台並んでいるその光景は実に滑稽であろう。

僕の前で戸塚は、腰に手を当て、仁王立ちしている。昔のゲームで見たことあるような佇まいだ。スターマンだったか、シャイニングマンだったか…。

「健闘こそ認める。だがなんだその姿は!この軟弱者たちめ!清が居たら、お前らはすぐさま追浜行きであったぞ!見とれ!お前らの仇をとってやる!」

球技大会1回戦は男女交互とする為、次は戸塚たちの出番だ。読者たちはお察しであろうが、4組は女子軍も強者揃いである。男子と違い、女子は高校入学と共にスポーツという世界から去るものが多い。のにも関わらず、半分が運動部かつ、その中でも上位層の面々である。

何考えてんだ。

ちなみに、4組の担当教員原田はバスケ部顧問の体育教師かつ、学年主任である。

本当に何考えてんだ。

さて、そこで煎餅片手に我々を覗く読者諸君よ。さぞ戸塚の印象は最悪であろう。だが、フォローさせて頂くと、戸塚は良い奴だ。何事も器用にこなし、聞き上手でユーモアに富んでいて、それでいて優しい。それに増して端正な容姿と言った秀外恵中な少女である。

「4組め。さながら憎き巨人軍そのものだ!ラミレス、ペタジーニを有してもまだ尚、強奪を望むか!次は誰だ!?村田か!?梶谷か!?ええい!許さぬ!許さぬ!原め!お前のその仏頂面をへし折ってくれる!」

ラミレス、ペタジーニと勝手に呼んでいるのは4組の留学生2人であろう。あと戸塚は原田を原と呼ぶ習性がある。僕はあまり知らないが、読売ジャイアンツの監督の名前とダブるらしい。一連の発言を通して、何も分からないが、多分良くない発言だということは察する。

戸塚は勝負事(特に劣勢時)と神奈川もとい横浜の事となると人が変わる。車のハンドル、お酒、季節。様々な物が人々の心を変えるが、彼女にとってのトリガーがそれだ。

「よし!行くよ!マミ!メイ!田宮!勝利の輝き、目指してぇ〜!」

颯爽と走り抜けて行った。


戸塚にこう言われっぱなしでも、我々が不快になっていないのは、彼女のそもそもの人間性もあるが、言い返す権利すら無いという部分もある。彼女は器用だ。それはスポーツも例を漏れない。僕と彼女は中学三年生からの関係であるが、彼女が負けたところを見たことがない。

瞬発力、持久力、柔軟性、センス。全てに置いて彼女は長けていた。それは専門部員ですら、歯が立たないほどだ。

前述の通り、本当に彼女は明朗快活のその象徴なのだ。


ボールを持った彼女は、ビュンビュンと駆け抜けて行った。後ろに結いだポニーテールがたてがみに見えて、小学校の国語の授業で習った”スーホの白い馬”の挿絵を連想させた。女子バレー部1年キャプテン鈴木を、華麗なエラシコで躱し、左足で壁を作って、右足で蹴り飛ばしたボールは、戸塚の頭1つ分背丈の高いバスケ部留学生ジェニファーの中指をかすり、ミットへ吸い込まれた。

戸塚と仲の良いマミ(鈴谷真美)メイ(山口芽衣)田宮(田宮咲)は、歓声を上げながら、抱きつこうと戸塚を追いかけたが、当の本人は左手で帽子のツバを触るジェスチャーを取りながら、右手を後方へと伸ばし、曲線を描くように走り回っていた。当然、3人が彼女に追いつくことは無かった。

「トニー!プラッシュ!モーガン!」

戸塚が、また変なことを言っている。


「樋口!見たか!弱者が強者に勝つ!これぞ勝負の醍醐味だ!たまらない!さながらハーパーがクルーンから放った釣りなし逆転サヨナラ満塁ホームランだ!」

「戸塚、そろそろ落ち着けよ。2回戦は明日なんだろ?今日は早く帰ろうな。あとハーパーやらクルーンやら誰なんだよそれは。」

「ブレット・ハーパーだよ!私が3歳の時だし、2年しかいなかったから、全然覚えてないんだけど、なぜか好きなんだよね。ていうか、ベイスターズの選手はみんな大好きだ。クルーンは元々横浜にいた当時NPB球速記録を保持していた守護神だよ。私は許さない…。パパが言うには『来年度も横浜で頑張ります。』って言っていたらしいの。それなのに、金持ち球団に唆され、水道橋へと攫われた。そんなクルーンから、ハーパーは逆転サヨナラ満塁ホームランを放ったんだよ!あの動画は1週間に1回は見ないと気が済まない。特に黒星が続いてる時には、それと筒香ロペス宮崎の三者連続ホームランがマストだ!」

適当に相槌を打っているけど、半分聞いてない。聞いていても、理解できないし。


僕の一家は、転勤族だった。住まいを転々としていた為、友達という友達はなかなか出来なかった。中学三年生に上がるタイミングで神奈川へ引越し、今後引っ越すことは無いと父から伝えられた時、返って不安が押し寄せた。今までは、人と親密な関係になれなかった責任を転勤という物に押し付けられたが、これからは、責任は自分の能力不足だと露呈してしまうからだ。特に多感な中学三年生。もう既に2年生までにコミュニティは、形を完成させている。そこに割って入る勇気も能力も、自分にあるとは到底思えなかった。

教室で初めてみんなと顔合わせをして、ここまでに辿り着いた経緯、身の上を話していると、奥の席で、友達と雑談していた戸塚が、いきなり僕の目を見つめてきた。

朝の会が終わると同時に、僕の席へ出向いた彼女は、開口一番

「君、バスケが好きって言ってたよね?横浜ビー・コルセアーズは?川崎ブレイブサンダースは?」

「あ…えっと…俺、Bリーグ全然知らないんだよね…NBAしか見てないから…」

そう答えると、彼女は机に頭を突っ伏した。

「まじかァ…じゃあ!野球は!?サッカーは?ベイスターズとか、マリノスとか、フロンターレとか。」

ひょこっと顔を上げながら話す彼女に残酷な事実を伝える。

「ごめん、野球もサッカーも見てない…」

「くっそー!」

綺麗な顔立ちで、幼気な少女から下品な叫び声が発せられる瞬間を見るのはこれが最初で最後であった。

「あ〜あ、樋口くん。捕まっちゃったね。聖は神奈川県オタクなんだよ。めんどくさいよー。特にベイスターズはダメだよ。止める隙もないんだからね。」

横から茶々を入れられる。

聖とは…この神奈川特化型変質者の名前であろうか。

「あっ…私、戸塚聖って言うの。よろしくね。ベイスターズに興味持ったら、私までに。なんなら今からでもハマスタに…」

「聖。次、移動教室なんだから行くよ。樋口くん、案内してあげるよ。」

知らない廊下を知らない人と歩く。

そして知らない人が神奈川の知らない話をしてくる。

僕の転校初日史上、最も色濃い物であった。


結局僕は、ベイスターズを特に調べることもなく、戸塚と仲良くなった。というよりも席替えで戸塚と隣になり、一方的に横浜豆知識を押し付けられた。が、ほぼ聞いていなかった。唯一覚えているのは、家系ラーメンの総本山吉村家は、ラーメンショップと博多ラーメンを掛け合わせて作られたものだと言うことだ。もちろん、諸説あり。僕は勉強はそれなりにできるので、何でも器用にこなす戸塚と同じ高校へ進学した。そして、今に続く。

「戸塚、流石にもう帰ろう。明日に備えて、早く寝ろよ。」

いつもの4人組で話し込む戸塚を呼ぶ。

彼女も高校進学と共に学んだのか、誰彼構わず、自分の話をわがままに投げつけるのは良くないよねと話していた。本人は完全に普通の女子高生に擬態しているとつもりでいるが、勘違いも甚だしい限りである。しかし、皆はそんな戸塚を愛していた。

戸塚は未だに、通学路で僕に横浜の話を押し付けてくる。彼女もきっと、返答こそ求めていない。ただ誰かに話したいのだ。擬態している(本人調べ)分、抑制されているので、特に饒舌になる。

「にしても今日の戸塚、最高だったでしょ?川崎ユース、行けるかも…女三苫薫…いい響きだ…」

「何言ってんだ。アホ抜かしてないで、早く帰るぞ。俺腹が減って仕方がないんだよ。」

スマホを見つめる彼女にボヤく。

「ちょっと待て…今、満塁で牧が打席入ってるから…

……

………

…………っっ!!いった!いった!!やった〜!!さすが牧!これぞハマの主砲!中央大学には頭上がりません!そもそも横浜は大学生ドラフトが当たっている節がございまして」

「ハイハイ分かった分かったから。ちゃんと前見ろ。転ぶぞ。」

サッカーと牧の満塁ホームランに興奮冷めやらぬままの彼女を見て、ふと笑ってしまった。

神奈川名物、急勾配な坂道を下る僕らと人々を

夕日は、平等に照らしていた。

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