東奔西走ジオメトリック《3》

 どこまで続くのかと思われたこの林道の終わりは、意外にも唐突に訪れた。

 見渡す限り森であった視界の先に、ひらけた空間があると気がついたのはヴィクターであった。



「クラリス、ストップ。……少し迂回しよう。さっきの魔獣の仲間がいる」



 魔獣が目立つほど大きい上に、派手な色で助かった。

 ヴィクターはステッキを握っていない右手でクラリスを静止すると、目を細めて遠くの黄色いシルエットに目を向ける。

 いち、に、さん……少なくとも三体は確認できる。実際はそれ以上いるのだろう。


 ――相手できなくはないが、クラリスを連れた状態であの速さを複数体相手するのは厄介だな。


 魔獣の視界はそこまで良くないのか、まだこちらに気がつく様子はない。

 先手を打って遠距離から攻撃を仕掛けてもよかったが、あくまで今回の目的は救出。ただ皆殺しにすればいいわけじゃない。

 魔獣の生態がよく分かっていない以上、やみくもに刺激する前に一度、冷静になって観察をしておいた方がいいだろう。



「ほんと? それじゃあ……気乗りはしないけれど、木の間を隠れながら移動しましょうか」


「うん。枝で肌を傷つけないように気をつけて」



 そう言ってヴィクターが林道を逸れた茂みに足を踏み入れる。

 後ろを続くクラリスは不安げだが、あの魔獣の巨体を隠すほど背の高い木が並んでいるのだ。そうやすやすと見つかることもないだろう。

 進む方向は変わらず正面。万が一にも付近に魔獣の仲間がいないか細心の注意を払いながら、時間をかけて茂みをかき分けていく。

 再度ヴィクターがクラリスに静止の声をかけたのは、あのひらけた空間の全貌が見えるほどに近づいた頃であった。



「ここで少し様子を見よう、クラリス。……きっと、あそこが我々の目的地だ」


「ええと……あれって、なにかの施設……なのかな。頻繁に魔獣が出入りしているように見えるけど……」


「いや、ヤツらの巣だろうね」


「巣? あれが!?」



 クラリスが驚くのも無理はない。

 空間の中央に生えた一本の巨木。その巨木を取り囲むかのように、無数の六角形が重なってできた幾何学模様きかがくもようの小部屋がいくつもへばりついている。

 しかし小部屋――とはいっても、あの魔獣が出入りできるくらいだ。クラリスからしてみれば、その様は無理な増築を繰り返して行った巨大な要塞にも見えなくはない。

 それが建築家アーティストによって手がけられた建造物であるならまだしも、ただのだとは。都市部に存在していたとしても、違和感のないデザインである。



「静かにしたまえ。見つかったらどうするのかね。まぁ、パッと見巣には見えないが……元々蜂って、あんな感じの巣を作る生き物なのだろう? それに加えて人間に近い身体の構造を持っているのだから、我々の想像を超えてより緻密な作業ができたとしてもおかしくはないはず――そうだ! ただの魔獣呼ばわりでは味気ないし、これからはアレを蜂人間はちにんげんと呼ぼう! ピッタリなネーミングセンスではないかね」


「えっ? うーん……ヴィクターがそれでいいなら、私はなんでも構わないけれど……さすがにそのまますぎない?」



 そんなことを言っている間にも、魔獣――改め蜂人間達の中に動きが見られた。外から戻ってきた仲間の一体が、なにかを担いで帰ってきたのだ。

 担がれているのはまだ子供の鹿であった。槍に刺されたのか腹から出血してはいるが、息はしている。

 仲間からはぐれてテリトリーから逃げ遅れてしまったのか、はたまたテリトリー外まで蜂人間が狩りに出かけたのか。後者であれば、いずれ村へ直接的な被害が出ることも危惧されてくる。


 ――わざと生け捕りにしているのか……。村人が捕らえられているのだとすれば、が回ってこないかぎりはまだ生きている可能性が高いな。行き先は食料庫か? 後ろから着いていきたいところだが、正面から堂々と行くのはどう考えても無理がある。


 ヴィクターが考えている間にも、小鹿を担いでいた蜂人間は巨木の根元にある小部屋へと入っていってしまった。あそこが食料庫かとも考えたが、どちらかといえば玄関のようなものと考えた方が自然だろう。

 もしかすれば、巨木の中にはエレベーターでも通っているのかもしれない……などと思うのはさすがに考えすぎだろうか。

 それでなくとも、小部屋同士が裏で繋がっている可能性があるとでも思えば、魔獣がどこから出入りをしようが関係がない。要は、どこから入ろうがきっと一緒なのだ。



「……あっ。ねぇヴィクター、あっち。反対の方。今の魔獣……じゃなくて蜂人間が入っていったみたいな、地上から入れそうな部屋があるよ。もしかしてあれも入口なんじゃないかな」



 そうクラリスが示した先にあったのは、今見たのと同じ、巨木の根元に建てられた小部屋だった。

 二人のいるには警備のような蜂人間が複数体いるが、そちらには一体のみ。言ってしまえば、かなり手薄な状態だ。



「さすがワタシのクラリス! よく気がついたね。あそこが裏口になっているに違いない。ありがたく使わせてもらうとしよう」


「でも見張りがいるし、こっちにいるのにも気づかれちゃうんじゃない?」


「問題ない。古来より暗殺という素晴らしい方法が存在しているのを、キミは知っているかね」


「暗殺って……アナタ、そんなことできるの?」



 できると聞いたこともなければ、無遠慮で派手好きなヴィクターが隠密行動に向いた人間であるともクラリスは思ってはいなかった。

 だがヴィクターはそんな心配を鼻で笑って一蹴すると、ズシリと重さのある、羽織っていた分厚いコートをクラリスへと手渡した。



「まぁ見ていたまえ。これでもワタシは慎重派なんだ。バレずに殺るくらい朝飯前さ」



 そう言うとヴィクターはクラリスにその場で待つように伝えて、一人裏口へと回った。

 先ほど確認した通り、見張りの蜂人間は一体。近くに他の個体もいないため、この場所は表の蜂人間達からは死角となっている。



「クラリスに良いところを見せないとね」



 見張りの蜂人間が後ろを向くその一瞬の隙をついて、ヴィクターが茂みを飛び出した。

 身を低くして、足を伸ばし、音も無く地面を蹴りつけ走る。走るというよりは、もはや跳んでいる感覚だ。

 ものの数秒で敵の背後に接近したヴィクターが、ステッキを構える。

 しかしさすがの野生の勘というものか。そのわずかな環境の違和感に、蜂人間の触角がピクリと反応をした。



『Brr?』



 蜂人間が振り返る――だが、そこには誰もいない。

 キョロキョロと付近を見回すが、いつもと代わり映えのない森がそこには広がっているだけである。なんだ気のせいかと、人間であればそう呟いていたことだろう。

 そして魔獣がまた退屈な監視業務へと戻ろうとした、まさにその瞬間。



「面白いね。個体によってこうも反応速度に差があるのか。さっき出会った個体の方がよほど優秀だったよ」


『Br――』



 いるはずのない人間の声。それが聞こえた時には既に、蜂人間の後頭部にはなにか固いものが押し付けられていた。

 当の本人からは見えなかったが、その突きつけられた凶器――ヴィクターのステッキの苺水晶ストロベリークォーツからは、紺色の光が溢れ出していた。

 それはキラキラと眩しいものではなく、どこか怪しくて暗い光。その輪郭がバチリと嫌な音を立てて弾けた時――見張りの蜂人間は、悲鳴を上げるまでもなくその場へと崩れ落ちた。



「……クラリス。もう大丈夫だ。こっちに来て」



 ヴィクターは魔獣が動かなくなったことを確認すると、聞こえているのかも分からない小さな声で彼女を呼んで手招きをした。

 表側にいる蜂人間達が気がついた様子はない。クラリスは茂みを出ると、足早にヴィクターの元へと駆け寄っていった。

 預かっていたコートを手渡せば、彼は季節感も感じられないそれに性懲りもなく袖を通す。



「どうかね。やればできるだろう」


「うん。まさか本当にやっちゃうなんて。それで、さっきのはどういう魔法なの? すごく静かだったけれど、あれって眠らせる魔法とか、力を吸い取るみたいな魔法なのかしら。これなら村人を助けるのにも使え……ヴィクター?」


「……」



 クラリスが尋ねると、ヴィクターはサッと目を逸らした。

 そういえばこれは暗殺だと、最初にそう彼は言っていたはずだ。


 ――こんな状況だと、楽観的なことばかり言っていられないものね。


 そう思ってクラリスが足元に倒れている蜂人間に目を向けると、ふと。魔獣の口からなにかが溢れているのが見えた。

 あまり見慣れないものだ。いや、見慣れないものというよりは、生物の体内から出るにしては見慣れない色――トロトロと流動する赤色と灰色のマーブルカラーのナニカが、止まることなく流れ出ている。



「……もしかして、私が想像できる以上に怖い魔法とか使ったりした?」


「そ、そんなことは……まぁ、隠密行動に向いた魔法なんて他にいくらでもあるし……これは人間相手には使わないと約束しよう。それよりもほら、コレの仲間が集まってきてしまう前に早く中に入ってしまおうよ」



 ヴィクターはそう言ってコートの襟元を正すと、そそくさと幾何学模様の小部屋へと入っていってしまった。

 体内からマーブルカラーの謎の液体が出る魔法とは、何なのか。世の中には知らない方がいいこともある。


 ――あれ……絵の具、みたいだったけれど。まさかそんなものが、ね。


 さすがにもう一度目を向ける勇気はない。

 いっそのこと今見たものは全て忘れてしまうことにして、クラリスもヴィクターを追って小部屋の中へと向かうことにしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る