第10話 黒刃

 蝶野ちょうの鈴谷すずや


 俺には二つの駒が出来た。仲間ではなく、駒。蝶野の想いも、鈴谷の復讐心も、利用する。共に戦うつもりなどない。

 俺は俺として、俺個人の復讐として、アイツを殺す。もしも俺の命と引き換えにアイツを殺せるのであれば、喜んでこの命を捧げる。


 ──この殺意こそが、俺の存在理由レゾンデートル


「さて、私の異能だけど」


 そう言って、鈴谷は近くに落ちていた木の枝を拾った。十センチ程もない、力を入れれば簡単に折れてしまうような、何処にでもある木の枝。

 それを忠誠を誓う騎士ように自らの胸の前に掲げ、不敵な笑みを浮かべると同時、それは一瞬にして日本刀程の長さを持つ黒い刃へと変貌した。黒より黒い漆黒、つかも何も持たないそれは見るものに禍々しいイメージを与える。


「『棒状の物体を刃物へと変える』こと。より正確に言えば、かな」


 鈴谷は、その笑みを獰猛なものへと変えた。僅かな、悲しみと自嘲を混ぜて。


「言わずもがな、強力な能力。なのに、私はあの日逃げたの。私が兄様の隣に並べば、あの化け物を殺し得たかもしれないのに。……兄様を殺したのはアイツでもあり、私自身でもある」


 実際、そんな状況下で実戦経験も少ないであろう幼い子供が、周りの大人たちが殺されていく中で覚悟を決めるなど無理な話だ。

 鈴谷は、アイツと、それだけではなく己にも殺意を向けている。俺と同じように。ただアイツを殺すことだけが、それだけが生きる目的になっている。そうなれば、その意思は何よりも固い。


「……何でも切れる、っていうのは本当か」

「少なくとも私の知る限り、実体を持つものであれば。…………何処かにいるんでしょう? 糸を出して」


 見えずとも、何処かにいると予測してだろう。その言葉は蝶野に向けたものだった。

 蝶野はあからさまに嫌そうな表情を浮かべるが、頭を上げて指示を待つ蜘蛛に一言二言何かを述べ、それを受けた蜘蛛は腹部を上方へと曲げて出糸突起しゅっしとっきを鈴谷へと向けた。普通の蜘蛛には出来ない動きが出来るのもあやかし故だろうか。


 ぴくりとその突起が動いた直後、蝶野の位置──鈴谷の斜め後ろ──から真っ直ぐな糸が射出され、鈴谷は振り向きながら逆袈裟でそれを断ち切る。更に、射出され続ける糸には真っ直ぐ立てて刀を構え、 糸はその勢いを緩めずに刀身にぶつかり、左右へと分かたれていった。その刀身も体も一切ぶれないことから、糸からの衝撃は一切届いていないように見える。


「……ふぅん、やるじゃん。くれないちゃん、渾身の縦糸射出だったのにー。縦糸って一番頑丈なんだよ? くれないちゃんのなら鋼鉄くらいの硬さあるし、鉄板とか余裕でぶち抜けるしー。 見てよ、落ち込んじゃってんじゃん。ほらほら、大丈夫だよー」


 蝶野は鈴谷にも姿が見えるようにしたらしく、ゆっくりと歩いてくる姿に鈴谷の視線がそちらへと向けられる。

 ふんっ、と鈴谷は自慢げに小さく鼻を鳴らしている一方で、蜘蛛は蝶野の言う通り見るからにどんよりとした雰囲気を出しており、とぼとぼと歩くその頭を蝶野に優しく撫でられていた。


「どう? 手前味噌だけど、有用さは証明できたのではないかしら? ちなみにある程度は長さも変えられるわ」


 鈴谷は俺の方へと顔を向けて誇らしげに口角を上げ、黒くて分からないが刀の峰と思われる部分で自身の肩を数度叩く。実験体たる蜘蛛の糸がどれだけの強度かは不明だが、それでも強力な力であることは確かだ。


「それで、キミの異能チカラは?」

「……アイツの、力が視える」

「……………………は?」


 鈴谷は眉間にしわを寄せて首を傾げる。


 その時、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴ったが、誰もその場を動こうとはしなかった。


 態々わざわざ説明などしたくはなかったが、勿論そういう訳にもいかない。俺は自分の持つ異能について、分かっている範囲のことを話した。


 その間、鈴谷は余計な口は挟まず、片手を顎に当てながらじっと聞いていた。蝶野は再びあやとりをして遊んでいた。

 説明すればする程に、自らの能力が他の二人に比べて圧倒的に弱々しく、汎用性もないことに気付かされて惨めさを痛感させられる。


「……………………成程、分かったわ」

「復讐するとか言っておいて、こんな戦力の足しにもならない能力で悪かったな」


 暫く考え込んでからの鈴谷の頷きに、俺は自嘲で半ば投げやりになって言葉を投げ捨てる。


「いいえ、そんなことはないわよ。寧ろ、必要よ。そもそもからして、ヤツの能力の仕組みが分かったのは一番の収穫ね」


 鈴谷は真剣な表情でじっと此方を見つめて、首を左右に振って俺の言葉を否定する。


「まず、その膜とやらが攻撃なり防御なりを行っていると言うこと。直接的に物質に干渉出来るということは、キミ以外には不可視だとしても実体を持っていると考えられる。攻撃、または防御を行う時だけ実体化する、という可能性も考えられるけど。いずれにせよ、実体を持つのであれば──


 鈴谷は、僅かであれ突破口を見つけたことに怜悧な笑みを浮かべる。

 俺もまた、自らの能力が明確にアイツを殺害するために必要とされるものだと分かり、同様の表情を浮かべていたことだろう。


「それに、キミであればリアルタイムでその膜の動きが視える。有能な観測手よ。戦闘中、現在どんな動きを、形をしているのか、それが分かるのは明確なアドバンテージ。……成程、あの時は不可視の弾丸が式神の頭を吹き飛ばしたのね。キミ達に血飛沫が付かなかったのも、どういった原理なのか疑問には思っていたの」


 どうやら、あの時の戦闘を見ていたらしい。いや、斥候として突っ込ませたのだから当然か。


「あぁ、ちなみにああいう式神は最大三体までなら使役できるわ。数が増えるほど、与えられる命令は簡素になってしまうけれど。ただ、式神に私の異能チカラは付与できない故に、何かしら武器は持たせる必要があるの。まぁ、アイツを前にして戦力としては数えられないでしょうね。精々、目眩し程度かしら」


 あの時襲ってきた少女は、その鬼気迫る表情も相まってとても紛い物とは思えなかった。式神という存在自体は知っていても、そうだったとは気付けなかった。恐らくはアイツも。……興味が無かっただけかもしれないが。式神は役目を終えると形代に戻る、という先入観もあったのかもしれない。


 形代、そういえば。


「人体を素体に、と言っていたな」

「そうよ、通常のように紙形代ではなくて人体を依代よりしろとして構成してるわ。鈴谷家の技術わざね。死体を調達する必要がある分、多用できないのがデメリットかしら。でも、その分、より精巧に私を再現することが出来る」


 それが、あの無惨な遺体が残った理由。

 鈴谷は、さも当然のことのように、寧ろ自信を持って語った。どのような経路を辿って入手しているのかは分からないが、真っ当なものではないだろう。


 俺の中の倫理観が、僅かな嫌悪を覚える。しかし、そんなものは直ぐに打ち消した。死体を使っているから何だというのだ。倫理観など、アイツを殺すためには必要が無い。

 俺は、捨てる。アイツを殺すために不必要な全てを。怒り、憎悪、殺意……俺の動かすのは、原動力たる負の感情だけでいい。


 倫理観?

 友情?


 そんなもの、なんの役に立つというのだ。

 アイツを殺せるなら、何だっていい。

 俺自身、どうなっても構わない。例え壊れようが、死のうが、アイツをこの世から消せるのであれば。


「あ、ちなみにちなみにー。さっき出した糸も、ふつーに見えない状態にすることも出来るからね?」


 俺と鈴谷の間に割り込み、自身の顔を指差して蝶野は有用性をアピールしていた。


 蝶野は、最大の盾となり得る。

 鈴谷は、最大の矛となり得る。


 やはり俺自身の存在が霞むような気がするが、そんなコンプレックスめいたものも、必要のない感情だ。即座に切り捨てる。


 この二つの駒を上手く使えば、確実とは言えずとも、アイツを殺せる可能性は十分に生じ得る。その為にも、具体的な作戦を練らなければならないだろう。


 ──今、俺はどんな表情を浮かべているのか。


 鈴谷は、一歩後退あとずさり。

 蝶野は、両頬に手を当てて体をくねらせ。


 蜘蛛は、不思議そうに首を傾げながら両者を交互に見ていた。

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