第3話 日常
──殺す。
そうは言っても単純では無い。俺はまだ異能にすら目覚めていない、ただの一般人だ。精々が朝のようにバットで殴り掛かるだけ。そして、まるで稚児の遊戯かのように受け流されてしまう。
そう、結局俺は明確な殺意を持ったまま、それを実行する術を持たず、日々を無為に生きている。
学校帰り、夕暮れに沈む住宅街を俺は歩いていた。わざと遠回りしている。特に目的なんてあるわけではなく、アイツがいる家に出来るだけ帰りたくないだけだった。
「ちゃんと学校は行かないとだよ。普通に生きて、普通の暮らしをするの。二人きりで。あ、お金の心配はしなくていいんだけどね。いっぱいあるから」
別にアイツの言うことに従おうとした訳では無かったが、他にやることもなかった。起きて、学校に通って、ご飯を食べて、寝て⋯⋯そんな毎日を、あの悪夢の前の日常に近しい何かの中に俺はいた。
金の心配は無用というのは、功績に応じた報奨なのだろう。存在は秘匿されていても、世界を救ったことは事実なのだから。
正直、今はアイツを殺すなんて夢のまた夢だ。だから普通の高校生のように生きている。けれども殺意は、その気持ちだけは、常に持ち続けて。
例え夢のようであっても、いつか叶うだろうと願う訳ではない。願うだけでは、何も変わらない。そうやって来るはずのない幸運を、地面を這いつくばって乞い願うだけの惨めな人間になどなるつもりは到底ない。叶えたい願いがあるのであれば、それに向かって手を伸ばさなければいけないのだ。そうでなくては、成し遂げられるものでは無い。
しかし、どうしようもなく、事実として、アイツを殺すためには何をすればいいのか分からないのも、また事実ではあった。
──念動力。
アイツの持っている力。
単純で、けれどそれ故に強力な力。
不可視の力。
父のように首を捻じ切ることも、兄のように首を切り飛ばすことも出来るし、背後からの奇襲であろうとその力は無意識に働いてアイツを守る。
攻防一体。事実、世界を恐怖に陥れていた存在を、その力に目覚めて間もなくして完封するだけの力だ。それだけではない。鍛え上げていたはずの数多の他の異能者や、魔法などの特殊能力を使えたなずの勇者たちも、為す術もなく殺された。アイツが手傷を負っているところなど一度足りとも見たことはない。
いや、もしかすると俺が見たことがないだけで、回復能力すら持ち合わせているのかもしれない。俺の知らない他の何かを持っていてもおかしくない。
圧倒的強者。
それがアイツ、姫華という存在。
それを前にして、何が出来るというのか。それを考えて、絶望する。決して折れてはいけない、そう考えても俺がアイツを殺す明確なイメージが持てない。イメージが持てないものは到底実現できるはずがない。
兎にも角にも、力が必要だ。アイツを殺し得る力。そして、何か策も必要だ。あの強大な防壁を突破する方法。そして、もしも回復能力を有していた場合の対処も。
「はぁ⋯⋯」
何度目かもしれない、溜め息をつく。それこそ殺意を具現化する力でもあれば、きっと殺すことが出来るだろうに。
「どうしたの? 溜め息なんてついて」
いつの間にか、当たり前のように、俺の横を姫華が歩いていた。特に驚きはしない。コイツに関しては何があっても驚きはしないだろう。
小学生の頃こそ身長差があったが、今ではほぼ変わらない。俺が小さい訳ではなく、姫華が高いだけの話だ。
肩甲骨の下まで伸びた癖のなく絹のような光沢を持った黒髪、アーモンド型のぱっちりとした目に小ぶりの鼻、毛穴なんて見当たらない陶器のような白い肌、ふっくらとした桜色の唇。十人が見れば確実に九人、或いは全員が振り返るような美少女。
「大丈夫? お兄ちゃん? おっぱい揉む?」
そして、同性が羨むであろうスレンダーな体躯。ああ、胸に関しては慎ましい。だからなんだという話ではあるが。
「あー! なんか失礼なこと考えたでしょー!」
「五月蝿い。死ね」
「酷いなぁ、もう」
年頃の少女らしく頬を膨らませて片手を上げて抗議の言葉を上げるが、それに対してまともに返答するつもりは無い。しかし、そんなことをコイツは意に介していないようだった。
そんな時、だった。
「兄様の仇!」
突然、少し先にある十字路の影から少女が躍り出た。俺と同じくらいの年齢のセーラー服姿。その口振りからして、巻き添えを食らった異能者の遺族だろうか。その端正な顔立ちを般若のように歪ませた彼女は、年齢相応の体躯ではとても扱いきれないような太刀を抜き身で携えて、一足に高速で接近してきた。
「死──⋯⋯」
太刀を振り上げた瞬間に、その頭部は破裂した。弾け飛ぶ脳漿がコンクリートや壁を汚すが、俺に向かって飛んできたものは眼前で止まり、地面にぼたりと落ちた。
「誰?」
きょとんと首を傾げる姫華もまた、衣服の一部すらも汚れてはいなかった。
最早、顔が判別できない襲撃者は無惨に地面に倒れ伏し、びくびくと痙攣する体。顎の下側だけを残した頭部からは赤黒い血液が溢れ、道路脇の排水溝へと流れ落ちていた。
続く、乾いた破裂音。それは背後から聞こえ、反射的に振り向くと姫華の後頭部付近で一発の銃弾が静止していた。殺害手段として銃器も候補に上げていたため、一目見て拳銃程度の大きさの銃弾でないことは分かった。
12.7x99mm NATO弾。質量の塊。人体に対しては明らかに過剰なアンチマテリアルライフルの銃弾。射程は、一キロメートルを遥かに超える。
「何これ? 危ないなー。んー⋯⋯」
振り向いた姫華は眼前にあるシャープペンシルより二回り以上も大きいそれを摘んで怪訝そうに眺めると、くるりと反転させると僅かに目を細める。
瞬間、音もなく銃弾は指先から消えた。恐らく、念動力で来た方向にそのまま返したのであろう。何処ぞの狙撃手の運命は、この瞬間に決定していた。
「じゃ、帰ろ?」
何事も無かったかのように、俺の方へ向いてにっこりと笑う。
こんなこと、初めてではない。異能者の生き残り、遺族、或いは何処かの差し金。けれどもそれらは全て、圧倒的な力を持ってねじ伏せられてきた。
最早、これすらも日常の一部といえなくもなかった。
俺は、姫華に手を引かれて歩き始めつつ、痙攣の止んだ名も知れぬ少女の遺体を一瞥する。手に持ったままの太刀は古びて幾つもの傷が付いており、それは彼女が熟練した猛者の一人であることを示しているようだった。
次いで、俺と手を繋いで機嫌が良さそうに無垢な笑みを浮かべる少女へと視線を移す。
無意識に、奥歯を噛み締めていた。
──圧倒的な、力。
改めてそれを、思い知らされて。
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バレットM82。
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