1章 横溝碧の日常(2)

 俺には一つ譲れない信念があった。

 それはできる限り、死人を出さないことだ。

 勿論、全ての事件事故で死人を出さないなんて不可能だ。そんな事は解っている。

 でも俺は二度と、後悔はしたくない。

 なので自分の手の届く範囲で、全ての人間を助けると決めていた。



 結論から言うと、俺のその推理は大当たりだった。

 さすが俺としか言いようが無い。


 二時間かけて事件現場に行き、深夜にも関わらず捜索を続けていた幼児の家族に接触。俺はコミュ力がなく会話に自信がないため、スマホを渡してセブンに話してもらった。そして翌朝、警察が八十年前に例の施設があった場所を重点的に捜索したところ、地面に昔の貯水池の痕跡を発見。そこから無事、幼児は発見された。

 衰弱していたものの命に別状はなかった様だ。


 事件解決後、警察に呼び止められたものの俺は探偵七つ道具の一つである煙幕弾を投擲して逃走。帰路についた。

その途中、俺がスマホでツイッターを確認すると、大手ニュース番組が速報で幼児発見を流したのだろう。推理が的中した俺のツイートはバズっていた。

 通知が止まらない。

 インカムでセブンが楽しそうに告げる。


『碧、めっちゃ有名人じゃん!』

「俺は天才名探偵だしな。これぐらい余裕だぜ」


 自慢げに俺がそう言い返した直後だ。

 ディスコードでセブン以外から通知が入る。

 同居している俺の妹、横溝杏からのDMだった。


 ――――家に叔母きた。クッソ怒ってる、助けて。


 俺は頭を抱える。

 やっぱ着信拒否は不味かったか~~~~~~~~~。



 

 家に帰ると、リビングで妹が死んでいた。

 勿論、それは比喩である。

ショートヘアの髪に猫耳の様なヘッドフォン。薄いキャミソールにホットパンツという衣服から不健康そうな真っ白い肢体を出しリビングに倒れているのは、俺の妹の横溝杏だ。

 近寄ると、杏は俺に恨めしげな視線を送ってくる。


「兄さ。叔母さんが帰る時間を見計らって帰って来たでしょ……」


 さすがは我が妹。大した名推理だ。正解。

 叔母は普通の社会人で、今日は平日だ。朝に来たということは仕事の前に寄ったと予想でき、俺はわざと時間を調整して昼前に帰宅していた。

 今頃叔母は、会社で仕事をしているだろう。

 この自宅兼、両親の営む探偵事務所には俺と杏しかおらず、俺が不在のため被害は杏に直撃したらしい。

 杏の問いには答えず、俺は訊く。


「叔母さん、なんか言ってたか? 元気してた?」

「兄を探してた。またなにか怒らせたでしょ。ちゃんと謝っておいてよ。でないとまた来るじゃん」

「あ? なんで俺が謝らないといけないんだよ」

「兄が叔母さん怒らせる度に、理不尽にも私まで巻き添えになる」

「杏は何を言われたんだ?」

「ゲームとかパソコンで遊んでばかりいないで学校に行けって五月蠅いから。だから私も、叔母さんこそ仕事ばっかりしないで結婚したら? って言ったら、もっと怒った」

「……それさ。叔母さん怒らせたの俺だけじゃなくね?」


 火に油を注ぐストロングな杏の姿勢は嫌いじゃない。

 俺の妹の横溝杏は双子で、姉の方だ。年齢は十二歳の女子小学生だが俺と同じで不登校のひきこもりだ。

 杏は俺と同じ様に、情報やネットワークの分野では天才だった。特にハッキングによる情報収集とシステム改竄は特出しており、有名な国際ハッカー集団との情報戦に一人で打ち勝った実績があった。

 そんなニッチな界隈では伝説的な杏だが、現実では俺と同じレベルの駄目人間だ。

 趣味は企業のシステムを乗っ取り社会に迷惑をかけること、SNSでキラキラしたインフルエンサーを炎上させること、後は格闘ゲームなどのネット対戦で世界ランキングのランカーに舐めプで勝つこと。

 兄の俺が言うのも何だが、本当に残念な妹だ。おまけに性格も悪い。

 リビングで転がっていた杏が上体を起こす。


「叔母さん、なんであんな怒るんだろう。怒鳴れば、私達が言う事を聞くと思っているのかな。キレやすい大人は本当に困る……」 

「俺にもわからん。叔母さんに直接聞いたらどうだ?」

「直接聞いたら、また怒りそうな気がする……」


 確かにそれはそう。

 俺は朝飯をとっておらず、非常に腹が減っていた。

 何か食べようと思いキッチンの冷蔵庫を開けるが、中には空気しか入っていなかった。要するに何もない。

 俺が辛い気持ちになっていると、背後から杏が声を飛ばす。


「ねえ兄、私スパコンほしい。買っていい?」

「なにスパコンって」

「スパコンはスパコンだよ。スーパーコンピューターのこと」

「言われなくてもそんな事は知ってるよ……。買って何に使うんだって話。そもそもスパコンって、いくらするんだ?」

「一億円、二億円ぐらいかな? スパコン買って、アメリカのCAIをハッキングして遊ぶんだ」

「社会に迷惑をかける遊びにスパコンを導入するのはやめろ。ダメに決まってるだろ……そもそもそんなの個人で買える値段じゃないだろうが。寝言は寝て言え」

「私は寝て言ってるよ……?」


 と言って勝ち誇った様な笑みを浮かべ、リビングでゴロゴロ寝転がる杏。

 うぜえ……と俺が思っていると杏が続ける。


「ちなみに。スパコン、実はもう買っちゃった、って言ったら兄は怒る?」

「いやいや、さすがに嘘だろ。ウチには一億とか二億みたいな金はないぞ」


 俺がそう応じた時だ、杏の腹の音が部屋に響く。


「私お腹減った。兄、飯なにか頼む」

「……お前な。飯って言えば出てくると思ったら大間違いだぞ。俺はお前の嫁じゃないんだ。自分の飯ぐらい自分で何とかしろ」

「じゃあ兄が私の嫁になれば解決なのでは……?」

「なんでだよ! 大体、俺はお前みたいな社会性オールゼロの駄目人間と結婚するなんて絶対に嫌だぞ」

「私だって嫌だよ。兄みたいな性格粗大ゴミと結婚するなんて」


 やめよう。社会性のない兄妹同士でこんな罵り合いをしても不毛だ。

 いずれにしても何か食わなくては倒れてしまう。面倒だが、また外に出て買ってくるしかない。

 財布の中をみると金もなかった。

 親から生活費として銀行の通帳とキャッシュカードを預かっている。通帳を見ると預金残高はまだ五千万円あった。

 親の探偵事務所の仕事はそこそこ繁盛しているらしく、俺も杏もお金に困らない不登校ひきこもり生活を満喫している。

 通帳とカードをポケットにねじ込み、俺は言う。


「俺は自分の飯を買ってくるぞ。お前も自分の飯ぐらい自分で買ってこい」

「外に出るぐらいなら、私はこのまま餓死を選択する……」


 それきり動かない杏。

 アホかこいつ。杏は放っておくと、すぐ栄養失調で倒れる。救急車を呼んだのも一度や二度ではない。

 あー本当に面倒くさい。

 俺が杏の分も買ってくるしかないのだろう。

 再び外出した俺はコンビニのATMに行き、とりあえず一万円を払い戻そうとする。


 ……が、下ろせない。


 ATMの画面には軽快なメロディと共に『残高不足』の文字が表示されていた。

 は? なんで?

 訳がわからず、とりあえず俺は通帳を記帳する。

 通帳残高は十二円になっていた。


 ……は? どうして五千万円から十二円に???


 預金の取引履歴をみると明らかに動きがおかしい。

 殆どの金額が払い戻されており、しかも今月は電気代だけで三百万円が引き落としされていた。

 俺には心当たりが全くない。

 となれば、もう犯人は一人しかいない。

 杏を問い詰めるべく、俺は物凄い勢いで帰宅する。


 リビングに杏の姿はない。

 杏の部屋に向かう。扉には鍵がかかっていた。

 俺は探偵スキルであるピッキングで鍵を外し、強引に中に入る。

 部屋の中に杏はいない。そんな馬鹿な何かのトリックだ。杏はひきこもりガチ勢で、外へ出るはずがない。

 部屋を徹底的に捜索。と、クローゼットの中に地下へと続く通路を発見した。


 ……は? なにこれ。


 妹の部屋とは言え、こんな通路があるのは初めて知った。

 梯子を使って地下に降りる。再び鍵の掛かった扉が現れた。

 ピッキングするのも面倒で、俺は金槌を手に取る。探偵スキル、金槌アタックでドアノブを破壊。扉を開けて中に入る。

 その地下室には機械の駆動音が響いていた。空調設備が導入されているらしく、冷たい風が流れている。

 部屋の中央には金属質の四角いパソコンの様なものが積まれて並び、多数のランプが点滅している。

 これはパソコンではない。

 恐らくはサーバーか、スーパーコンピューターだ。


 ……は? なにこれ???


 と、ここでようやく部屋の奥にある机に、杏の姿を見つけた。

 杏もこちら気づき振り向く。

 俺は問う。


「なにこれ?」


 すると杏は今まで見たこともないような天使の笑顔で、


「スパコン、このまえ安かったから買っちった」

 と言った。


「この、バァーーーーーーーーーーーーーーーカッ!!!!」


 俺は絶叫した。

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