第70話 その名は虎哉宗乙
ども、坊丸です。
柴田の親父殿が、橋本一巴さんの墓参りが可能かどうか、期日はどうかというの問い合わせの書状を政秀寺の沢彦禅師に送ってくれました。
橋本一巴さんの奥方からの書状だと、政秀寺に何か預けたってことでしたから、引き取りにもいかないといけないし。
つまりは、橋本一巴さんの形見ってことになるからね。
「坊丸、沢彦禅師から返書が来たぞ。ふむふむ。明後日に来てほしいとのことだ。ちなみに、やっと、虎哉禅師が政秀寺に入られたそうだ。橋本一巴殿の墓参りにあわせて紹介するとのことだ。良かったな、坊丸。教育係となる高僧と会えるぞ」
良かったな、以降は笑いを噛み殺すそうな微妙な表情でしたよ、親父殿?
うーん、橋本一巴殿の墓参りと形見をもらうというしっとりイベントから虎哉禅師に会うという要素が加わっただけで、波乱のイベントになりそうな感じになるのは、何故なんだろう?
まぁ、虎哉禅師には、いつか会うんだから、ちょうどいい機会だったと、自分に言い聞かせよう、うん、そうしよう。
で、沢彦禅師に指定された日になり、柴田の親父殿と2人乗りで、政秀寺に向かうことに。
何故か、中村文荷斎さんも一緒です。
今回は、農業関係の訪問ではないのにね。
何故か道中、信長伯父さんが幼少の頃、如何に暴れん坊でうつけだったかのエピソードを話す柴田の親父殿。
なんですか、それ? 教育係の虎哉禅師に迷惑かけるなと遠回しに釘を刺している感じですか?
信長伯父さんのうつけエピソードは楽しいけどさ。乳母の乳首噛みきったりとかは、うつけのエピソードというよりは、単なるビックリエピソードですよね。ハハハ。
そんなこんなで、政秀寺に到着です。
山門のところで、寺男の人に馬を預けて、山門をくぐり、境内へ。
既に話が通っているらしく、今回は本堂に通されます。
柴田の親父殿と中村文荷斎さんに挟まれて、座って待っていると、沢彦禅師ともう一人、沢彦禅師より少し背が高くて、しっかりした太眉で四角い顔の三十代くらいのお坊さんが一緒に入ってきます。
あの人が、虎哉禅師かな?
「柴田勝家殿、津田坊丸殿、それと‥、中村文荷斎殿、本日は当禅林に足をお運びいただき、痛み入り申す。ここに控えまするのが、過日、お話しさせていただきました、虎哉宗乙でございます。本来ならば、初夏の頃には当院に到着する予定でございましたが、先日やっと甲斐より到着いたしました。甲斐を出たあと、信濃、美濃の寺院で修行と称しふらふらと旅を続けていた様子。遅くなったことをこの沢彦、重ねてお詫び申す。これ、宗乙、皆さんにご挨拶せぬか」
旅のあと、仕立て直しなど行っていないのであろうか、やや傷んだ墨染衣を翻しつつ、虎哉宗乙は、わざと頭を本堂の板の間に音が出るほど打ち付けた。一同が唖然としたなか、頭をあげると、ニカリとわらってから挨拶を始めた。
「柴田修理介勝家殿、津田坊丸殿、中村文荷斎殿、お初にお目にかかる、虎哉宗乙と申す。
生国は美濃の国は方県郡、岐秀禅師のもとで仏門に入り、師とともに甲斐の国に移りし後は長禅寺にて修行をしておりました。
この度は、岐秀禅師、快川禅師のご推薦にて、津田坊丸殿の師範役をしつつ、沢彦禅師や犬山の瑞泉寺、美濃の瑞龍寺などで修行する機会をいただく事と相成りました。
もちろん、師範役もしっかりと務める所存。
各々がた、以後、見知りおき、宜しくお願いいたしまする」
そう挨拶すると、今一度、頭をさげ、その後に、自分の仕事は済んだとばかりに、沢彦禅師の方を見て頷く様子です。
沢庵彦禅師もまだ、関係を計りかねているのか、まぁ、こんなものだろうと頷き、今後の教育計画を説明してくれます。
「さて、今後は月に数日、坊丸殿には、虎哉禅師について学んでいただく。柴田殿、坊丸殿には当寺に来てもらうか?虎哉を柴田殿の屋敷に伺わせるか?」
少し悩んだあと、親父殿が切り出しました。
「当面は、屋敷に訪問していただきたくお願い申し上げます。秋に袴着の儀をした後から、乗馬の訓練をはじめますので、春には一人で政秀寺まで訪問できるようにいたす所存。その後は、政秀寺にて、ご指導いただければと、考えております」
「左様か、では、五のつく日には、柴田殿の屋敷に虎哉の方を向かわせるといたしましょう。それでよいな、宗乙?」
「はっ、了解いたしました。それがしの修行の時間もとれますし、尾張の様子も柴田様のお屋敷に伺う間の道々、見てまわれますので、それで宜しくお願いします」
「なら、決まりじゃな、坊丸殿。師父となる虎哉禅師に挨拶いたすがよかろう」
なんか自分の意見を求められることもなく、頭の上で色々決まっちまいましたが、まぁ、仕方ないでしょうね。
この時代は、子供の結婚相手も親が決める時代ですからね。
じゃ、挨拶挨拶っと。
「お初にお目にかかります。津田坊丸と申します。父、織田信行の謀叛に連座するべきところを、祖母、土田御前とこちらにいらっしゃる柴田の親父殿の尽力でなんとか生き延びてございます。今は、柴田の親父殿の預りの身ですが、いずれは織田の柱石となりたく存じます。虎哉禅師には、ご指導のほど、宜しくお願いいたします」
と、こんなもんでどうでしょう?それらしい挨拶になってましたよね?
「ふむ、童とは思えぬ挨拶、痛み入ります。このような挨拶を柴田殿の教えにてできるのであるならば、なにも拙僧が教えずともよいのではないですか?沢彦禅師?」
「くっくっく。岐秀禅師門下の英才も、やはりそう思うか」
「はい、拙僧でなくとも、普通の武家の教育で十分では?」
「いや、そちらではない、そちらではないのだ、虎哉よ。坊丸殿、今の挨拶、いつから練習した?」
はぁ?練習とかなにいっちゃってんの?沢彦禅師?お年のせいで呆けました?今、挨拶しろって急にふられたから、無理やりひねり出したに決まってんじゃん。
「いえ、練習とかしてませんが?挨拶しなさいと言われましたから、頑張って考えましたが?」
その返事を聞いて、満足したようにうなずきながら、親父殿と文荷斎さんの顔を交互に見て質問しました。
「柴田殿、中村殿、坊丸殿の挨拶の文面を教えましたかな?あるいはご存じでしたかな?」
「いえ、坊丸がいましがた考えて答えたものと思いますが‥」
「それがしは、坊丸様が何か余計なことを言ったり失礼なことを言わないかとハラハラしておりました。それにそれがしは今朝方、こちらに同道することを決めましたので、事前に挨拶を教えることなど、とてもとても」
と、二人が答えます。うんうん。正しいことを言ってくれてますな。
「わかったか、虎哉宗乙。坊丸殿とは、こういう童なのじゃ」
「はっ、はぁ。しかし、今の挨拶を一人で考えられる童ならば、もはや人となりて童のことは捨てたようなものなのでは?」
「そうよな、虎哉禅師の言う通り、坊丸殿は、賢い。
それに、まるで、既に三十年近く生きているかのような処世や知恵を見せることもある。
だがな、この坊丸殿は、普通とか常識とか言うものがまるでわかっておらんようなところもある。常識にとらわれていないからこその柔軟な発想ともいえるがのぉ。
まぁ、なんというか、その、賢さとともに不安定で危うさを持つ不思議童子なのじゃよ。
例えばの、自分の生殺与奪の権を持つ織田の当主に、天下を獲れとけしかけてみるだの、せっかく元服後の諱を決めてもらったのに感謝の言葉をすぐに述べないなどのことをしてしまうような童なのじゃ」
「は、はぁ。い、いやぁ、なかなか、難義なかんじがいたしますね」
と、少しひきつった笑顔が印象的ですよ、虎哉禅師。
しっかし、なんですかね、さっきから沢彦禅師の坊丸ディスりが止まりませんが。
褒めるの一割、けなすの九割に聞こえるのは、自分の心がゆがんでるからしょうか?
大根の糠漬けで自分の名前を使われたの、実は根に持っているですか、沢彦禅師?
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