第60話 浮野の戦い 壱の段

永禄元年春、坊丸と文荷斎が石田村で米の収穫量を上げるために様々な工夫をしていた頃、尾張の勢力図に大きな影響を与える事件が起こっていた。


尾張上四郡の守護代である織田伊勢守家でお家騒動が起こったのだ。


織田伊勢守家の当主、織田信安は、嫡男である信賢を徐々に疎んじ、次男である信家を重んじ始めた。そして、ついには、信賢の廃嫡を画策する。




戦国時代のみならず、人の歴史の中で何度も繰り返された事件である。


かの曹操ですらも曹丕、曹植のいずれを世継ぎとするか悩んだ。かつて敵としては自分を苦しめ、家臣と成ってからは謀臣として活躍する賈詡に相談し「袁紹、劉表のことを考えておりました」といわれたことで、曹丕を嫡子とすることを決めたという。




織田信安には曹操ほどの器もなければ、賈詡の如く長幼の序を諭してくれる能臣も居なかった。


そして、信安の動きを察知した信賢は信安、信家の父子を岩倉城から追放したのである。




その動きを把握した信長の動きは早かった。


所領でもめたため、険悪な関係となり犬山城で独自の勢力を築いていた従兄弟の織田信清との関係修復を図ったのだ。


犬山城のある丹羽郡にゆかりのある側近の丹羽長秀と父信秀の代からの家老である林秀貞に命じ、自分の姉を信清に輿入れさせることで、婚姻関係を結び、同盟関係を再度成立させた。




さらに、木曽川周辺の土豪たちにも協力や従属を呼びかける使者を送る。


各務原の前渡、不動山のあたりに勢力を有する前野宗康や松倉城の坪内利定らのもとには、清州城で普請奉行、台所奉行などで交渉力のあることを見せた木下藤吉郎を抜擢して使者とした。


父の追放という手段で家督を継いだばかりとはいえ、守護代の名前の力はまだ依然としてあり、信長にすぐになびく勢力はなかったが、木下藤吉郎の努力により、前野宗康の協力は取り付けられた。




こうして、岩倉城の織田信清の周辺の勢力を自分の陣営に引き寄せた信長は、永禄元年七月、ついに織田伊勢守家の討伐の命を下すのだった。




「さて、皆の衆、ふた月ほど前、岩倉城で家督争いがあったのは知っておろう。織田信賢が、父、信安を城から追い出し、守護代の座を奪い取ったのだ。このような暴虐、決して許されるべきことではない。斯波義銀様は、我が弾正忠家を頼りとされ、一方の守護代、織田大和守家は滅んだ。今、織田伊勢守家を守護代として尊ぶいわれはあるや?答えは、否である。そう、断じて、否である。義は我らにあり。岩倉城を落とし、尾張の国の中で相争うような時代を終わらせるのだ!」




最初は、家臣の前に胡坐で座って話を始めた信長であったが、立膝となり、そしてついには立ち上がって叫ぶように、宣言する。


信長のアジテーションともいうべき演説で、家臣にも岩倉城討伐に向けての熱狂が伝わっていく。




「応!」「信賢討つべし!」「尾張を信長様の手に!」


居並ぶ家臣たちも、膝を叩き、床を叩いて、信長の熱気に答えるように口々に叫ぶ。




「丹羽長秀、林秀貞の尽力で我が姉、伊勢が犬山に輿入れした。また、木下藤吉郎の努力により、川並衆のうち前野宗康が此度の戦に合力する。犬山城の信清、川並衆の前野と協力し、岩倉の織田信賢を討つ!期日は五日後!佐久間盛重、丹羽長秀を先鋒とし、佐久間信盛、盛次、森可成は本陣、林秀貞は後詰じゃ、清州の留守居は柴田勝家とする。尾張の平和のため、各々、一層の奮励努力を期待する!」




「ははぁ!」




抜擢に答え、戦前の下工作の努力を評価された丹羽長秀、木下藤吉郎の顔には笑顔の花が咲く。


林秀貞も筆頭家老から降格された後、やっと家老らしい務めを果たしたとホッとしている。


先鋒の一手の大将も任された丹羽長秀は、特に誇らし気だ。




それに引き換え、柴田勝家の表情は硬い。


留守居を任されたとはいえ、肝心の槍働きの場から外された格好だからだ。


槍働きで先代の織田信秀から評価され地位を固めた勝家としては、内心悔しくてたまらないのだが、皆のやる気に水を差すわけにはいかないことは、長年の戦の経験からわかっている。




七月十日、予定通り、信長は兵を起こす。その数2000。


清須城から岩倉城までは北北東に約10キロ。信長公記では三十町(約3.3キロ)と記載されるが、これは誤りである。


岩倉城の南側には、清州城と信長の軍勢に備えて、砦がいくつか築かれていた。信長が率いる軍勢は、岩倉城を攻めると見せかけて、これらの砦を無視し、岩倉城の西側を通り過ぎた。


信長の軍勢が向かう先、それは岩倉城から北西6キロ、岩倉城の支城として築かれた浮野城であったのだ。




信長は、浮野城の側まで来ると、浮野城から少し離れた平地に陣を敷いた。先鋒の二人に焦らず、ゆるゆると浮野城を攻めるよう指示を出しつつ、佐久間信盛、盛次、林秀貞には青田刈りの指示を出した。そして、森可成には岩倉城方向からの軍勢に備えるように言いつける。




この動きを見た織田信賢は、支城を落とされてはたまらないと、岩倉城の兵3000をかき集めて浮野の地に向かう。


そして、正午の頃、浮野の地にて信長勢2000、岩倉城勢3000、両軍が対峙するのだった。


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