第15話 坊丸の一日 あるいは幼少期の幸せな日々
ども、津田坊丸です。津田って名乗りにはまだ慣れません。まぁ、自分で名字を名乗る機会は今のところ多くないので大丈夫ですが。
で、柴田の親父殿のうちに来て数日、大分親父殿のうちにもなれてきました。
今日は、一般的な一日の、過ごし方を紹介します。
朝は、日が昇るのと同時に起床です。
で、ちゃちゃっと着替えて、婆上に挨拶。
挨拶に屋敷の母屋のほうに向かうと、だいたい、庭の方から、柴田の親父殿の鍛錬している声が聞こえてきます。
婆上に挨拶を済ませたら、庭の方に向い、柴田の親父殿を探します。まぁ、声のする方に行けば、必ず、いるんですが。
巻き藁に向かって、木刀や槍で鍛錬していることがほとんどです。
縁側に控えて、親父殿がこちらに気づいてくれるのを待ちます。そこで、挨拶。
親父殿に挨拶が終わると、道着に着替えて、親父殿が鍛錬している庭に行きます。ちなみに弟たちは幼いので、挨拶にはついてきますが、道着に着替えている間に、また眠くなるか、お妙さんやお千ちゃんにあやしてもらっている様子。畜生、俺もお妙さんやお千ちゃんとゆったりな時間を過ごしたいのにぃぃ。
ため息を一つついて、庭に出ると、だいたい木刀の素振りです。短い杖を槍代わりに突きや打ち下ろしの打撃の練習をさせられることもあります。柴田の親父殿が隣で号令をかけながら木刀の素振りをすることが多いので、手が抜けません。ていうか、3歳児に戦闘訓練はまだ早いと思うんですが…
四半刻ほど鍛錬した後、また着替えます。三歳児に三十分も訓練させるなよ…て思いますが、柴田の親父は半刻ほど、現代の感覚だと一時間近く鍛練しているそうです。
流石、織田軍団最強の武闘派、柴田勝家です。三十代後半でも、自分の体を苛め抜いています。かかれ柴田や、甕割り柴田の異名は伊達じゃないぜ!
で、柴田の親父殿が鍛練を終えたら、一緒に朝御飯です。
朝御飯は一汁一菜って奴ですね。根菜多めの具だくさん味噌汁と煮物か魚の干物を軽く炙ったやつで一汁一菜。現代の味付けに比べると塩味強めなことが多いです。で、その塩味でご飯はたくさん食べる。マンガ日本昔話かよって感じで山盛りです。
朝御飯の後、柴田の親父殿が、登城します。清洲に評定で行くこともあれば、末森城に監督に行くこともある様子。あと、自分の領地の見回りなんかにも行くようです。どの仕事かは、服装と出発前の緊張感で大体わかります。
清洲の評定の時は、小綺麗な感じで、やや緊張感あるし。自分の領地の見回りの時は、服装も普段着っぽくてかなりリラックスしている感じだし。末森の城に行くときはその中間くらい。
織田信長っつう、気分屋で癇癪持ちの上司に振り回される評定という名前の定例会議は、ホントに大変ですよねぇ~(棒読み)
あ、時々、婆上に言われた力仕事や下男の人たちと家の修繕してることもありますが。
柴田の親父殿が仕事に出た後は、吉田次兵衛さんつう、親族兼重臣の方が、家のことを取り仕切ってくれます。この人は柴田の親父殿の、お姉さんの旦那さんです。柴田の親父殿からすれば義理の兄になる方ですね。
この吉田次兵衛さんが、柴田の親父殿の代わりに家の中と柴田家の領地についてのいろいろを決裁したり、柴田の親父殿が決裁するのに必要なことをまとめたりしている感じ。柴田の家の家老や家宰って感じでしょうか。
で、柴田の親父殿が出仕後、自分は、妙さんや吉田次兵衛さんから読み書きを習います。平仮名の書き取りとか、簡単な漢字の読み書きとかマジでダルいんすけど。
こっちとら、頭脳は大人、体は子供の三歳児ですからね。平成の受験戦争を勝ち抜いて、難関学部に入った上に、国家資格も取ったんじゃ、ボケぇ。
資格を活かして活躍する前に、いろいろ管理が雑な天使のせいで死んじゃったけどな。
で、一刻ほど勉学にいそしんだら、何故か、柴田の家には親戚の子供たちが集まってきやがります。で、その子達とかくれんぼ、陣取りなどをして遊びます。楽しいかって?かくれんぼとか、みんな分かりやすいところ隠れるから、手加減が大変です。こっちとら、頭脳は大人ですからね。嘘です、ほんとうはけっこう本気で楽しみます。だってしかたないじゃないかぁ、娯楽が無いんだもん。
でも、木刀を持って本気のチャンバラごっこは、勘弁な。特に一つ年上の理助の奴は時々、本気で、喉仏を狙った突きとかしやがるので、チョー危ないです。木刀でも普通に死ねるから、それ。
空腹がピークになった頃、太陽の感じだとたぶん午後二時くらいに、ご飯です。
また、一汁一菜、ご飯は多めです。おかずが、数品あった実家の食事や独り暮らしのファミレスのサラダバースープバーが懐かしいです。
米はたくさん食えるだろって?農協系の病院に入院して大盛り希望出したわけじゃねえんですよ?ご飯のおかわり無料の体育会系御用達の定食屋にいったわけでもないし。
ただ、ここで腹一杯食べとかないと、あとが辛いので食べます。
何故かって?知らなかったけど、どうやら戦国時代は、一日二食が基本みたいだから。
末森の城にいたときは、小さいから一日二食なのかなってこと思ってたけど、柴田の親父殿の家でもみんな一日二食なので、どうやら戦国時代は、一日二食が基本のご様子。
夜にご飯食べたいって言ったら、夜回りなんかの夜の仕事してる訳じゃないんだから、ご飯は無しって言うのを優しく諭されました。婆上様やお妙さんに。
で、また、親戚の子供達で集まって一刻ほど遊び、家にかえって身を清めたら、寝る準備です。
が、腹が減り始めるので、寝るの辛い。それに、この布団のなかの時間がいろいろ今後のことを考えたりする大切な頭脳労働の時間。血糖値少し高めにしておきたいのですよ。自分の脳細胞に頑張ってもらうためにも。
この時間で、空腹はマジで辛いのよ。
婆上もお妙さんも、いくら交渉しても、坊丸様のためだけに米は炊けないと、激しく拒否されました。何度も交渉して、米は、無理筋でしたよ。トホホ。
何度も交渉して、夕方に煎り大豆数粒を確保するのがやっとでしたよ、トホホ。
長座布団みたいな敷布団とやや長めのどてらみたいな掛け布団にくるまりながら、炒り豆を良く噛んで食べて満腹中枢を刺激します。
後、二年くらいで桶狭間の戦いのはずだし、その頃にもう一度、あの偉そうな割にポンコツな天使と話せるはずなので、直接的ではないんだけど津田信澄が正史でどういう動きをしたのか知る方法がないかを考えないとな。
って、体に引っ張られて、眠気が…
もう少し、いろいろ考えないと… 寝落ちしてる場合じゃないのにぃ…
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