天界の門番
登美丘 丈
第1章 ヒットマン①
少女に流れ弾が命中する様子が、スローモーション映像で俺の視界を捉えた。
「!」
狙撃失敗。
ヒットマンとしての役割を果たせなかった俺の行く末は地獄だ。
俺は、敵たちが態勢を整える前にレストランを逃げ出した。
エレベーターホールへ向かう。
「!」
だが、二基あるエレベーターはどちらもすぐにやって来そうにない。
背後に足音。
俺は咄嗟に緑に点灯している非常口のマークの方へ向かった。扉が二つある。一瞬迷った。だが、迷っている暇などないことに気づいた俺は、手前の扉を蹴破るようにしてその向こうへ転がり込んだ。
「!」
しかし、そこには昇り階段しかなかった。下り階段は別の扉だったようだ。
扉の向こうは慌しい雰囲気だ。
敵はもちろん、突然の発砲に驚いたレストランの客たちでごった返している雰囲気が伝わってくる。
引きかえすわけにはいかない。
引きかえせば……敵に捕まれば殺される。味方はどうか……下手を打った俺は、破門、いや絶縁だけでは済まないだろう。間違いなく殺される。警察に捕まっても……きっと誰かが始末しに来る。
逃げるしかない。そして、逃げ道は上しかない。
階段を駆け上がる。踊り場毎にドアはあったが、どれも無視して駆け上がれるだけ駆け上がる。
「!」
行き止まり。最後のドアを開ける。
給水塔がポツンと佇んでいるだけの屋上。地上五十メートル。金網フェンス越しにネオン街が見下ろせる。
不意に、死への憧憬のような想いが湧き上がってきた。
矛盾しているのは自分でもわかる。
殺されるのが嫌でここまで逃げてきたというのに、ここへ来た途端、死への欲求に包まれた。
無様に殺されるくらいなら、自ら命を絶ちたいという心境なのだろうか。
考えてみれば、一度は捨てた命だ。
元々ヤクザになどなるつもりはなかった。
俺はキックボクシングの東洋チャンピオンだった。それがヤクザになる前の俺の肩書きだ。俺はキックボクシング世界チャンピオンへの階段を着実に昇っていた。東洋チャンピオンになり、タイ式キックボクシング、いわゆるムエタイのチャンピオンに挑戦することも決まっていた。
しかし、俺は練習中、目に膝を受け、網膜剥離になってしまった。黙っていればわからなかったのだが、たまたまそのスパーリングが公開スパーだったため、世間の知るところとなったのだ。
引退を勧告された。そして、受け入れざるをえなかった。俺は荒れ、やがて荒んだ生活に身を落とす。
そこから先が自分でも笑ってしまうくらいの陳腐な人生を俺は送ってきた。まるで安物のドラマのように、キックボクサー崩れがヤクザの用心棒になり、そして鉄砲玉となったのだった。
そしてその仕事で下手を打った。
「!」
そこまで考え、俺は笑いが洩れた。
もし仮に、今夜の仕事に成功していたとして……組は俺を守ってくれただろうか?
確かに仕事を終えた後、潜伏先のホテルへ戻る手筈になっていた。そして隙を見て高飛びする予定だった。だが、よく考えてみると、それも疑わしい話だ。
敵対する組の組長を弾くということは、かなりのリスクを伴う。いや、リスクどころか戦争に発展するだろう。それを避けるため、組側は俺を始末するだろう。
いや、俺のようなチンピラは正式な構成員ではないため、知らぬ存ぜぬで通すのだろうか。そして口を塞ぐために俺を殺すのか。或いは敵に俺を差し出すのか……。
いずれにせよ、失敗した俺は、組側にとっては危険な存在だし、敵にとっては憎き相手だ。
捕まれば命はない。
死のう。
身寄りもいなければ恋人もいない。そして家族と思っていた組織はあくまで擬似家族だった。いや、それ以下だった。幻想だった。
死のう。
俺はフェンスを乗り越えた。金網フェンスの向こうは、五十センチほどのスペースがあるだけだ。そこに立ち、金網にもたれる。ネオンの夜景を見下ろした。不思議と恐怖心はなかった。むしろ、ホッとした心境になっていた。
「死ぬか……」
自分の声を聞いて、可笑しくなった。まるで、布団に入り、「寝るか……」と呟く時の声のトーンと同じだったからだ。
そう、眠るのだ。二度と目覚めることのない眠りにつくのだ。
俺は金網から背中を引き剥がすようにし、再びネオン街を見下ろした。
と、その時だった。
誰かが、何かが俺の両肩を掴んだ。
「!」
追っ手が来たのか! まずそう思った。
そして次に考えたのは、俺の肩を掴む手は、金網の向こうから伸びてきているという事実だ。金網の目は細かく、人の手が通り抜ける隙間などないというのに……。
そして……俺の肩を掴む手は、やけに冷たかった。薄手のシャツを着ているとはいえ、その冷たさがダイレクトに伝わってくるようだ。
一体何だ?
それにしても、人間の脳というものは、一瞬にして色々なことを考えられるものだ。
俺は戸惑っていた。
少しの怖れすら感じていた。
動けなかった。
肩に置かれた手を払うことも、振り返ることもできなかった。
そして……飛び降りることも……。
手は、明らかに俺が飛び降りるのを止めていた。邪魔していた。
成す術もない俺に、背後から声がかかった。
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