十七 肥溜めに叩き込め

 翌朝、弥生(三月)二十七日。

 暁七ツ半(午前五時)。

 浪人たち七人が橘町にある廻船問屋吉田屋の蔵を出た。時節は弥生。まだ夜明け前だ。うす明りの中を、浪人たちは二艘の舟でお堀から大川へ進んだ。


 浪人たちの舟が大川を溯る頃に空が白みはじめた。周りに一艘、また一艘と舟が現れた。いずれも部切船だ。昨日買い入れた下肥を、今朝未明から人知れず運んでいる。部切船は浪人たちの舟とともに大川を溯った。

 浪人たちの舟が大川を溯るにつれて部切船が増えてきた。

 東橋を過ぎて鐘ヶ淵が近づいた頃、夜が明けた。

 大川から綾瀬川に近づくと周りの部切船が十艘ほどになった。


 明け六ツ(午前六時)過ぎ。

 浪人たちの舟が、古隅田川の堀切橋近くの船着場に近づいた。

 船着場に男と女が長い竹竿を持って立っている。肥問屋吉田屋の仁吉とお藤だ。

「早朝のお勤め、ご苦労さんです。

 廻船問屋吉田屋のご用件は、私どもと捕縛された浪人どもの殺害とお見受けします。

 このまま、おとなしく引き下がるか、手前どもと一戦交えるか、いかがなさりますか」

 仁吉は丁寧にそう言った。


「なんだとっ。そこまで知っておれば世話はないっ。叩き切ってやるっ」

 仁吉の言葉で、二艘の舟に乗っている浪人たちが怒りくるって立ちあがった。抜刀するが舟が大きく揺れて浪人たちは足元がおぼつかない。

「そう怒らずに、私どものお持てなし、しっかとお受けくださいまし」

 仁吉が丁重にそう言うと、仁吉とお藤は、持っている竿で、船着場に近づいた浪人たちの舟を川の中程へ押し返した。

「おのれっ。こしゃくな真似をしおってっ。早く舟を岸に着けろっ。早くしろっ」

 二艘の舟の浪人たちは、櫓を操っている浪人を怒鳴りつけて慌てている。


ふたたび、二艘の舟が船着場に近づいた。

 またまた、仁吉とお藤は、長い竹竿で二艘の舟の船縁を突いて、二艘を川の中程へ押し返した。


 弥生下旬の大川の水は冷たい。浪人たちは、川に飛びこんでまで、岸にたどり着こうとはしない。うまく艪を操れば、岸にたどり着けると思い、櫓を握る浪人を怒鳴りつけるだけだ。

「ええいっ。何をしておるっ。早く岸に着けろっ」

 その時を待っていたように、十艘ほどの部切船が、五尺ほど間合いを取って浪人たちの二艘の舟を囲んだ。


「何だっ。こいつらっ。我らを邪魔立てする気かっ。

 さては、仁吉たちの仲間だなっ」

 浪人たちは、乗っている二艘の舟から、刀の鋒を部切船の船頭と人足たちに向けた。刀の刃長は二尺四寸(七十~七十三センチメートル)。浪人たちが腕を伸しても、浪人たちの舟と間合いをとっている部切船の船頭と人足たちには届かない。刀を振りまわす浪人たちの動きで、乗っている二艘の舟がぐらぐら揺れた。


「かけろおっ」

 部切船の人足の一声で、部切船の船頭と人足たちが、五尺以上もある長い肥柄杓で次々に浪人たちに下肥を浴びせた。

「卑怯な真似をしおって!許せん!」

「なんだ!臭くてたまらん!」

「やめろ!糞を浴びせるとは何事だ!」

浪人たちは刀を振りまわすが、部切船の船頭と人足に刀の鋒は届かない。見る見るうちに浪人たちは糞尿まみれになって、浪人たちの舟は糞尿で満たされた。


「縄を打てっ、部切船の肥溜めに叩き込めっ」

 そう叫んで手拭いの頬被りを取った人足は、唐十郎だった。

 他の部切船には人足に扮した与力の藤堂八郎たち町方や、藤兵衛、正太、石田たちもいる。糞尿まみれの浪人たちは、町方と特使探索方と石田たちの捕物道具、刺又、袖絡、突棒で小突かれ、叩かれ、絶叫をあげて悶絶し、捕縛されて部切船の肥溜めに叩き込まれた。

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