第20話 世界樹を目指して(Side ルシアナ)3/3

「許さない。絶対に許さない」

 私から頬を叩かれそう言われた男は暫く顔を伏せていた。


 何とも言えない緊張感が部屋を包み込む。


 顔を上げた男の顔からは表情が無くなり、瞳からも感情が消えていた。 


「まだ、完全には癒えていないと思うから、この治癒薬を飲んでくれ」


 ベッドサイドテーブルを指差しながら男が薬を飲めと言ってくる。

 表情だけで無く声にも感情が無く、淡々と話す。


(お前からの施しなど私は受けない)

 声を出して告げようとしても、声が出てこない。


「この治癒薬はエリクサーだ。完璧に癒やせるので必ず飲んでくれ」


(何を言っている。エリクサーなどこの世に存在しない。お伽噺の世界の話だ)

 やはり声は出ない。


「生活魔法は使えるな? 水は自前で補給してくれ。腹も減っているだろうが、最初は白湯から始めた方が良い。カロリーバーを置いているから柔らかくしてから口にするように」


 男は淡々と説明を続ける。


(カロリーバー? 聞いた事が無い)

 男はエリクサーだの、カロリーバーだの、意味不明な話を淡々と続けていく。

 

「それから、君が着ていた服だが、壁に掛けている。装飾品はテーブルに置いている。レイピアも壁だな」


 その言葉で私が裸である事に気がついた。

 恐ろしい事が頭の中を駆け巡る。


「マントは俺のだから、不要になったら隣の部屋に置いておけば良い。君の服が着られそうに無かったら、この服を着てくれ。一度も袖を通していない新品だ」


 そうだ。私は板の上に寝かされている。

 枕も布団も与えられていない。

 

「最後にもう一度言っておく。エリクサーは必ず飲むように。飲まないと……。死ぬぞ」


 そうして男はドアを閉め外へ出て行った。

 男が最後に言った「死ぬぞ」という言葉が、私を現実に戻した。


 確かに私は生きている。

 魔獣に襲われ、大けがをして、意識を失い。

 気がつけば見知らぬ男に命を助けられた。


 そして違和感に気がついた。

 目に映る腕には傷一つ無い事に。


 あの時私は狼に吹き飛ばされ、骨折し、横腹を抉られていた。

 ダメージは内蔵まで達していたはずだ。

 服は破け、身体の至る所から血が流れていたはずだ。

 致命傷に近い傷に応急処置を施しただけのはずだ。


 それなのに、目に映る腕には傷一つ無いのだ。


 痛みを堪え上体を起こす。

 開け放たれた窓には魔獣の姿は無い。

 誰かと話す男の声が遠ざかっていく。


 恐る恐るマントをめくり自分の身体を確認し絶句する。


 身体には傷一つ無かった。

 エルフの郷を出る時よりも綺麗になっていた。


 もしかしたらあの男の話は本当なのかも知れない。

 しかし、エリクサーなどこの世に存在するはずが無い。


 男がエリクサーと言った薬を確認してみる。

 木のコップに入っていた液体は黄金色の粒子が漂っていた。


 本当にエリクサーなのだろうか。

 否、そんなはずは無い。

 完全治癒薬など、ハイエルフでも作る事が出来ないのだから。


 黄金色の粒子を見つめ逡巡する。

 男の事を信じ、この液体を飲めない。


 先ずは着替えよう。

 何とか起き上がり、壁に掛けられていた衣装を見ると、無残に引き裂かれていた。

 改めて魔獣の、死の森の恐ろしさを見せつけられた気がした。


 男が準備してくれていた服を着る事にしよう。

 信用は出来ないが、背に腹は代えられない。

 裸で過ごす事は耐えられない。


 田舎の村人が身につけるような服だった。

 私には少し大きいが、小さいよりかはまだましだ。


 ベッドに腰を下ろし、再びコップを手に取り逡巡する。

 飲むべきか、飲まずに死を待つか。

 黄金色の粒子をじっと見つめていた。


 悩んでいても仕方が無い。

 本当ならあの時私は命を落としていたのだから。


 コップに口を付け液体を流し込んだ。


 途端に身体は熱くなり、身体から光が溢れだした。

 

(何が起こている?)


 混乱したまま私は再び意識を手放した。



 気がつくと辺りは暗くなっていた。

 ライトで部屋を照らし、自分の状態を確認する。


 身体からは痛みが消えていた。

 折れた右腕も、体内のダメージも全く消えていた。


 本当にエリクサーだったのだろうか。

 エリクサーで無くとも、男のおかげで傷が完全に癒えた事は事実だった。

 そんな恩人に対し私は何て事をしたのだろうか。


 男に謝罪を。

 立ち上がるが、ふらつき歩けない。

 流れた血が多かったのだろう。

 男が戻ってきたら真摯に謝罪しよう。


 水を飲み、カロリーバーと言っていた固形物を口に運び、その日は横になった。


 目を覚ますと辺りは薄暗くなっていた。

 再び水を飲み、カロリーバーを口に入れる。

 男の思惑は判らないが、私を助けてくれたと言う一点で疑いは無い。


 部屋を出ると、リビングだった。

 床には寝袋が落ちている。

 男はここで寝ているのだろう。

 彼のベッドを私が使っていたようだ。


 ライトを使用として思いとどまる。

 辺りに魔獣がひしめいている。

 恐怖に身体が硬直する。


「みんな。こんなに集まってくれてありがとう」


 突然男の声が響き渡る。

 息を殺して窓辺に移動し、外を窺う。

 ステージに立っている男と、無数の魔獣が目に飛び込んでくる。


「俺は女神クレティアの使徒であるカミーユ。先ず、人族である俺を受け入れてくれた事に感謝する。君達は俺のかけがえの無い友だ」


 その言葉に私は絶句する。

 あろう事か女神クレティア様の名を……。


「俺は約束しよう。決して友を裏切らない事を。俺を友と慕う者を守る事を。世界樹とこの森を守る事を」


「この森をエデンと名付け、この森とエデンに住まう友を守る事を女神クレティアの使徒カミーユとしてここに宣誓する」


 男の言葉が終わると同時に、背後の巨木が枝葉の先まで輝き、金色の粒子が降り注いだ。


 あまりにも神秘的な光景に私は見入っていた。

 奇跡としか言いようが無い光景。


 彼は本当に女神クレティア様の使徒なのだろう。

 私が口にした治癒薬はエリクサーなのだろう。

 

 私はとんでもない事をしでかしたのだ。

 絶望で頭がクラクラとしてしまう。


 私はルシアナ・ヘノベバ・レムス・ムルシア。

 あろう事か、女神クレティア様の使徒を疑い、頬を叩いた愚かなるハイエルフ。


 あぁ。私はどうすれば良いの?

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