ほっぷ・ステップ・JUMP

睡魔まっすー

人から人へ。言葉から言葉へ。


「どん底に落ちたら後は這い上がって行くだけ」


まさに、その言葉通りの辛い体験を当時まだ幼かった僕は経験することとなった。


今考えても、何故あのような酷く辛い状況から打開策を模索し、希望とも言える一発逆転の好機に巡り会い盤面をひっくり返し目の前に降り掛かる障害物を乗り越えられたのか、未だに不思議でたまらない。


小学三年生の課程を終了間近の三月頃。

それは大層酷い、いじめを受けていた。


この場で語っても問題は無いのだろうか?

大丈夫なのだろうか?


改めて不安な気持ちに苛まれてしまう程に残酷かつ卑怯な手。一人️に対して複数人で寄って集って行く。世間一般的にも考え着くであろう典型的ないじめの有り様だった。


数での暴力。蹴られる、殴られる、叩かれる。

当時の僕にとって、それは日常茶飯事。なんたる非道か。

」、何をされているのか考えるだけで憔悴しきっており、思い返してみれば、考える事を放棄してしまっていたとさえ思う。


今となっては戦隊系の主役が悪役に一網打尽にされるような、そんなカッコ悪い展開だった。


僕は毎日、いじめの一つに過ぎない暴力という屈辱に耐え、必死に奮闘しながら生きていた……本当はそう書きたかったのだが、世の中そう甘くは行かない。


もう一つ僕のことを遮る障害物が、そこにはあった。『』だ。


言葉と言っても、様々な国の言語がある。深堀りして行けば用語だってあるし組み合わせて使う熟語なんてのもある。


だけど、僕が言いたいのは、言語でも用語でも熟語でもない。言葉そのものだと思う。


いじめを……受ける。する。

その中で、ワーストランキングで間違いなく上位に君臨するであろう言葉……それもタチの悪い暴言や悪口。言葉をカッコ良く言い換えるとするなら誹謗中傷。誰もが好まない、マイナスで負のイメージが強い言葉だと思う。


僕は、その好ましくない言葉たちの屈辱にも耐えていた。


授業の隙間時間や休み時間など、担任や教科の先生の監視が薄れた、その僅かな隙を見計らい、僕の席にまで寄って集って来て、他のクラスメイトには聞こえないくらいの小さな声量で罵詈雑言を僕に煽ってきたり、脅し文句を垂れてきたり。そして、隙間時間が終わりに近づくと、しまいとばかりに心許ない罵倒を浴びせて自席へと戻って行く。毎日それの繰り返し。


周囲のクラスメイトには、仲良くたわいもない会話をしているように装っているため、クラスメイトは誰一人として、いじめを受けているなど思ってもいない…………ということは、そのいじめを受けている僕でさえも、嫌なことをクラスメイトからされているとしか思えなかった。それは暴力も同じだった。


当時の自分が年相応で、純粋無垢であった事と、しょうがないとしか言い切れない自分の無知さに、今となっては嫌気を感じてしまう。それと共に、いじめを知らなかった。……無知への怖さを感じてしまった。


『言葉は時に傷付ける側にもなるし、傷付けられる側にもなる』


これを、いじめから学んだ僕は年齢が上がって行くに連れて理解し、この学びを生かし、現在でも他者とのコミュニケーション面に置いて気を配りながら配慮して、気を付けていることの一つである。


この積み重ねが社会に出て、より多くの方々と関わって行く上で、僕個人にとっての話にしか過ぎないが、弱さから得た強い武器として変わっていってほしいと心からそう思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ほっぷ・ステップ・JUMP 睡魔まっすー @suimamassu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ