終わりの旅路、始まり ②


「だぁから、無理だっつってんだろうが! いい加減理解しろこの能無し!」


 派遣屋の店主のだみ声が店先に響く。怒鳴られるのと同時に飛んできた唾とイラ立ち汁が顔にあたり、ネイサンは思わず顔をしかめた。


「何度も同じこと言わせるな! 鞭100回食らいたいか!?」


 その言葉と共に、店主の持つ鞭が唸って地面を叩く。その光景に思わず身震いしたくなるが拳を握って耐え、ネイサンは努めて強気な顔でナメクジ人間を見上げた。こんなところで怯んでいては、道など一生見つからない。自由を手にしたいのであれば、不格好であっても抗わなくては。――たとえあの金色のように、鮮やかにとはいかずとも。




 イェトとの別れはあっさりしたものだった。

 ネイサンがイェトを乗せてスフィリスまで戻ると、彼女は別れの挨拶もそこそこにネイサンを店へ帰らせた。「支払いは後日」という派遣屋の店主への伝言を預けて。

 後払いというだけであれだけ苛立っていた店主に、さらに待てという言伝である。伝えた瞬間八つ当たりされそうだとネイサンは思ったが、店主は盛大に苦虫を噛み潰した顔をしただけでネイサンには特に何も言わなかった。スフィリスの王・バロールと十年来の付き合いというのは、思ってるよりこの街での発言力が強いのかも知れない。

 イェトがネイサンに伝言を預けてから既に三日が経った。その間にイェトが代金を払いに来たという話は聞いていないが、ネイサンが知らない間にフラッとやってきてフラッといなくなりそうな気がする。ネイサンとしてはできることならイェトとちゃんとさよならがしたかったし、彼女の相棒を無事助けられたのかも気になってはいた。しかし彼の方からイェトに連絡を取るような手段などないし、イェトの方はそういうものに一切こだわらなさそうだから、きっとこれでもう最後なのだろうな、と思う。残念ではあるが、イェトの性格を考えたら仕方あるまい。

 こうして、ネイサンの短くも不思議な冒険は幕を閉じ、彼は日常に戻って来た。とは言え、少しだけ変わったことがある。

 ネイサンは自由のために、抗うことを始めたのだ。


「――こ、この店で船を動かせるのは僕だけだし、独自ルートを持てればもっと経営にもプラスになると思います……!」


 拳を握り、足を踏ん張り、努めて強気に見せながら、ネイサンは店主にそう言った。店に戻ってから始まった、待遇改善の交渉だ。

 イェトに言われた言葉を改めて考えた時に思いついたのは、操船能力というネイサンが一番自信を持っている部分をうまく使うことだった。スフィリスは人と物が行き交う街。何個もある港では毎日宇宙船の発着がある。それはつまり、それだけ船を動かす仕事があるということだ。

 ネイサンが働く派遣屋は街の中での派遣業務が中心で、イェトの依頼のようなことが無ければ船に乗ることなどない。しかし他星から運ばれる物品を扱うことはあるし、他星に直接出向いた方が儲けが大きくなる仕事が発生することもある。ビジネス拡大を餌に自分をもっとうまく使うよう交渉できれば、待遇改善にも脱出資金調達にも光明が差す。そう考えたネイサンは、それまではただ恐怖の対象だった店主に立ち向かうことを選んだのだ。


「そもそも船のやり取りが多いスフィリスで、動かせる船がないっていうのももったいないかと……」

「うるっせぇなぁ!」


 ネイサンの粘りの交渉に、店主はイライラと頭を振って怒鳴った。


「この店はお前のか!? 違うよなぁ、オレのだよなぁ!?」

「……」

「奴隷の分際でこのオレに指図してんじゃねぇぞ!!」


 店主の苛立ちを表すかのごとく、ピシリ、ピシリとその手に握られた鞭が床を打つ。それを見て打たれる痛みを反射的に思い出してしまったネイサンが身を固くすると、店主はおもむろににやりと笑った。上げられた口の端から、汚いイラ立ち汁がたらりと零れる。


「そうだなぁ。鞭打ち100回……いや、500回に耐えられたら、考えてやってもいいかもなぁ」

「……!」


 一度に500回だなんて、今までされたことのない数字だ。震える足を隠そうとネイサンは踏ん張る力を強くするが、店主はそんな彼を見てにまにまと笑みを深めた。


「ど~うするぅ? 嫌ならやらなくてもいいんだぜ? お前の要望も却下されるがな」


 どうせ耐えられないだろう、と言外に匂わせながら、肌に埋没する小さな目で見降ろしてくる店主にネイサンは唇を噛んだ。悔しい。自分を馬鹿にする店主も、その店主の言う通り怯えてしまう自分も。――でも、ここで諦めるわけにはいかない。


「…………いいですよ」

「あ?」

「……う、受けて立ちます!」


 声は情けないぐらい震えてしまったが、ネイサンはそう言って店主を睨み上げた。鞭は痛いし、店主は恐ろしい。でも、ここで逃げ出したらきっと未来はない。

 怖がりながらも立ち向かって来るネイサンに、店主は盛大に気分を害した顔をした。毎日奴隷をこき使っていい気分になっているこの男にとって、生意気で反抗的な奴隷ほど気に食わないものはないのだ。


「……その言葉、後悔しても遅いからなァ!!」


 ぶよぶよした皮膚に包まれた、イラ立ち汁塗れの手が鞭を振り上げる。


「……っ」


 さすがに見続けることはできなくて、ネイサンは衝撃に耐えるためぎゅっと目をつぶった。しかし次の瞬間耳にしたのは――――鞭の唸りではなく、「頑張ったじゃん」という誰かの囁きと、ベチィッという水っぽい衝撃音だった。


「ガッ……!?」


 何が起きたのかわからず、恐る恐る瞼をあげる。そして目に入った光景を見て、ネイサンは驚愕の声をあげた。


「イェ、イェト……!?」


 カウンターに乗ったマント姿の人物が、店主の首元を持って壁に押し付けている。小柄な少女が巨体の店主を軽々と押さえているその光景は、とんでもなく奇妙で異様だった。


「ねえ、なにしてんの?」


 イェトはネイサンを振り返ることはせず、自らが片手で拘束している店主に淡々と問いかけた。しかし店主は応えるどころではないのか、呻きながら彼女の手を逃れようともがいている。


「せっかくバロールから買ったのに、ここで殺されちゃ困るんだけど」

「ぐ、うぅ……!」


 店主の抵抗で緩むどころか、むしろ締め上げを増しているイェトにネイサンが呆気に取られていると、店の入り口の方からため息混じりの声がした。


「――放してやれ、イェト。それじゃ喋れない」


 ネイサンがパッとそちらを見ると、二本の角を持つ褐色の大男が呆れ顔で立っている。新たな登場人物にネイサンが更に混乱する中、イェトは男の言葉に素直に従って手を放した。

 ドサッという重い音と共に店主が倒れこみ、盛大に咳き込む。その音で状況を思い出したネイサンがそちらを見ると、床に手を付き喉元を撫でる店主がカウンターの上でしゃがんで己を見下ろしているイェトを睨んでいた。


「おま、いったい、なに、を……!」

「何はこっちの台詞。勝手なことしないでくれる? この子はもう私が買ったから」

「え!?」

「は、はあっ!?」


 ネイサンと店主の驚きの声が重なる。二の句が継げないネイサンに代わるように、店主が苛立ちの声を上げた。


「何を勝手なことを! これはウチの奴隷だ!」

「もう違うよ」

「何を根拠に……!」

「バロールから許可貰った」

「はっ……!?」


 イェトの言葉に店主が絶句する。それに追い打ちをかけるように、イェトは立ち上がりながら言った。


「文句あるならあいつに言って。お前がこの街のルールバロールに文句言える立場なのかは知らないけど」

「~~~!!!??」


 イラ立ちか驚愕か、或いはその両方か。声にならない声をあげる店主を他所に、イェトはカウンターから降るとそこで漸くネイサンを振り返った。


「そういうわけだから、もうお前は自由だよ」

「…………待って待って待って待って」


 あまりにも急な展開に片手で頭を抱え、片手でイェトを制する。


「あの……説明して?」

「バロールと交渉してネイサンの所有権もらった。私は奴隷なんかいらないから、自動的にお前は自由の身」

「…………へぁぇえ……?」


 怒涛の展開過ぎて気持ちが追い付かず、変な声が出てしまった。


 自由の身? 誰が? ――僕が。

 なんで? ――イェトが、助けてくれた。


「き…………」

「き?」

「……聞いてない……!」


 やっとこさ出てきたのは、そんな言葉だった。それに対しイェトは一度瞬きをしてから、「言ってないから」と目を細めて言う。


「おめでと、ネイサン」


 ――――これでお前は、もうどこにだって行けるよ。


 そう言って微笑する金の瞳は、確かにこの世界のどの宝石よりも美しかった。





―――――

第一部、これにて終幕です。

第二部始動までしばしお待ちください。

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オルディリの終末者 西田トモセ @Tomose-N

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