遺物の爪痕 三-②
「――終わったよ」
「っわぁ!?」
戦いに圧倒されていたネイサンは、イェトにそう声を掛けられたことでようやく我に返った。
「う、腕! 大丈夫!? 手当てしないと……!」
身体も顔も真っ赤なイェトに、慌ててそう問いかける。今彼女が血だらけな理由は、何も返り血だけなわけではない。あまりにも大胆に、敵の牙を甘んじて受けた彼女の身が心配だった。
「要らない。もう治った」
「そんなわけないでしょ!」
「本当。ほら」
敵の歯に裂かれたはずの二の腕の血を手で拭って、イェトがそれを見せてくる。赤の下から姿を現したのは傷ひとつない白い肌で、ネイサンはその光景に目を見開いた。
「え……!?」
「治ってるでしょ」
驚愕でぽかんとしているネイサンにいつも通り淡々と言い、イェトは離れた所に落ちていた自分のマントを取った。
「ほ、本当に大丈夫なの……?」
「大丈夫だから言ってる」
取り合う気は無いようで、イェトは振り返ることもなくそう返してくる。未だに信じられないネイサンの前でマントを着直すと、彼女は袖でその顔の血を拭った。
「怪我してもすぐ治る体質なの。だからいちいち騒ぐな」
「……わ、わかった」
少し面倒臭そうな声音で言われたそれに、ネイサンは無理やり頷くことにした。すぐ治るとしても無茶は良くないのでは、とは思うが、これ以上突っ込んだことを言うのもあまり賢明ではないだろう。
「敵、まだいるかな……? こいつみたいなやつ」
気を取り直し、周囲を見ながらそう問いかけてみる。一体でもヤバそうだったのに、二体も三体も出て来られたら大変だ。ネイサンのその問いに対し、イェトは「さあ」と関心無さそうに言った。
「あれだけ騒いで出てこないなら、いないんじゃない」
言いながら死体の傍へ寄り、躊躇いなく敵の口に手を突っ込んで喉に差した自分の剣を引き抜く。
「……やっぱり潰れた」
ぐちゃ、と嫌な音を響かせて抜かれた剣の刃を見てイェトはそう呟くと、手に持ったものをその場にぽいと放り投げた。
「え、捨てるの!?」
「使えなくなった武器なんか、持ってても仕方ない」
「いや、それはそうかも知れないけど……」
自分が使っていたものを使い捨てのように扱う様に驚くが、イェトは一切のこだわりがない様子だった。戦う人間は自分の武器を大事にするイメージがあったが、イェトは違うらしい。
もしかして、潰れる度に新しいものを買っているのだろうか、と考えて、それがイェトの懐事情が潤っていない理由のひとつなのでは、とネイサンは思った。賞金稼ぎというものがどれくらい稼げるものなのかはよくわからないが、イェトの様子を見る限りそこまで稼げているようでも無さそうだ。
「あいつ気が付いた?」
ネイサンが変な邪推を巡らせている間に、イェトは元々隠れていたコンテナの陰を覗き込んだ。そしてそこで倒れ伏したままの犬顔の男を見て、面倒そうな声を出す。
「……まだか」
「その人、殺した訳じゃなかったんだ……」
「聞きたいことあったし、生け捕りにして連れて帰る予定だったから」
「聞きたいこと?」
「アレがなんでいるのか」
イェトが、くい、と倒れ伏した化け物だったものを顎で示す。それを見てネイサンは、犬男が何か知っていそうな様子だったことを思い出した。
「そういえば……アレ、この人と同じ服だったよね? あと、さっき見つけた死体も……。もしかして、宙賊の内輪揉め?」
「だろうね」
「でも、なんであんな化け物が……」
ここで起きたことが内輪揉めであるとしても、なぜあの化け物がいるのか――――あるいは、生まれたのか。その疑問に首を傾げたネイサンは、ふと目に入った箱に動きを止めた。
コンテナの陰に隠されるようにして、木箱が置いてある。その表面には『K』を示しているらしき飾り文字が刻まれていた。
「ねえ、イェト。あれ何かな?」
己の見つけたものを指さして尋ねる。振り向いたイェトはそれを見て、一瞬沈黙したあとその箱に近づいた。ネイサンもそれに続き、彼女の後ろ側から箱を覗き込む。
木箱は既に開けられていて、中身が少し見えている。イェトがその中に手を突っ込み取り出したのは、緑色の小瓶だった。引っ張り出された衝撃で、入れられた液体が揺れるのが見える。
「……小さな瓶に入った、水薬……」
――――飲んだだけで強くなれる、便利な代物だよ。
倉庫で聞いた、サ=イクの男の声が蘇る。
飲むだけで強くなれる、便利で、恐ろしい薬。ネイサンは、イェトが戦ったあの化け物が、男が言っていた『中毒者』によく似ていたことに気が付いた。
「ねえ、これってもしかして……」
「……カッリァヴァーレ。これか」
イェトも同じことを思ったようで、手に取った瓶を掲げながらそう確かめるように呟く。目を細めて薬を見るその様が、ネイサンには少し、睨んでいるように見えた。
「倉庫のあいつが言ってた通り、ってところかな。こいつらは、この薬をスフィリスで売りさばこうとして――自分でその封を開けてしまった」
イェトはそう言って、今なお気絶している犬顔の男を見下ろした。
「売り物なら開けちゃダメなんじゃ……」
「手軽に強くなれる代物を、悪党が手を出さずに我慢できると思う?」
「……確かに」
自分で言っておいてなんだが、まったくその通りだ。思わず深く頷いてしまったネイサンを他所に、イェトは手に持っていた瓶をマントの下に仕舞った。
「持って帰るの?」
「証人だけじゃなく、実物もあった方が話が早いでしょ」
あの犬顔の男と一緒にバロールに引き渡す、ということか。そこでやっとネイサンは、この船に来たのはバロールの仕事の為であることを思い出した。
「じゃあもうそろそろ……――うっ」
帰る時間か、と思い出口を向いたところで、ネイサンは思わず呻いた。この部屋のすぐ外に、先ほどの戦闘の残骸が転がっていることを忘れていた。血だまりの中にある凄惨な死体を直視してしまい、反射的に口元を覆う。さっきまでは神経が高ぶっていたのか平気だったが、落ち着いた状態で改めて見るとやはり怯んでしまう光景だった。
「……お前、ああいうの苦手なの?」
死体とネイサンを交互に見たイェトが、首を傾けてそう問いかけてきた。ネイサンよりも遙かに太い神経をしているらしい彼女は、あの光景を見てもけろっとしている。まあ、自分で作り上げたのだから、ある種当たり前なのだろうが。
「まあ……得意とは言えないね」
得意と言えないどころか大の苦手だが、だからと言っていつまでもここにいるわけにもいかない。というか、いたくない。
腹を括る以外に道はない、と覚悟を決め、できるだけ直視しないようにしながら足を踏み出す。そんなネイサンを見ていたイェトは、そこで「じゃあ」と彼に声をかけた。
「先に戻ってな」
「へ?」
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