彼女の目的 二-①
イェトが賭けで手に入れた宇宙船は、最低限の機能を備えただけの本当に小さな船だった。乗り口の先はコックピットへの一本道のみで、途中にエンジン調整室がある他には物置らしき小さな空間があるだけだ。そこには前の所有者が置いていったらしき大きな箱がそのままになっていたが、変な物が出てきたら嫌だったので触れるのは止めておいた。
「問題は無さそう?」
「うん。大丈夫だと思う」
操縦席に座って各機器のチェックをしながら、イェトの問いに頷く。機体は問題なく動きそうだし、宇宙空間に出る時に必須になるスペースアーマーもちゃんとある。特に後者は、密造宇宙船だった場合には備わっていないことも多い――本来宇宙船製造時は必ず最大人数分のスペースアーマーを装備することが
ネイサンの返答にイェトは「そ」と短く返すと、二つある操縦席のもう片方にその身を沈めた。彼女の座る席でも一応操縦は可能なのだが、動かす気は更々無さそうだ。まあ、このためにネイサンは雇われたのだから、敢えて彼女に任せる気も無いが。
「じゃあ飛ぶよ」
フロントガラスの向こうに見えるゲートキーパーに合図を送り、エンジンのスイッチを入れる。外の噴出口からガスが噴き出る音と共に機体が揺れ始めたのを感じ、操縦桿を握るネイサンの胸の内に密かに喜びが広がった。
――――ああ、やっぱり僕は、これが好きだ。
スフィリスは、別名『黒い星』といわれている。その所以は、星全体を渦巻く黒雲が覆っているところにあった。黒雲の正体は世界大戦時に飛来した彗星の衝撃で地中から噴き出るようになった有毒ガスで、街全部が屋根で覆われているのもそのガスの所為だという話だが、詳しいことはわからない。
何にせよ綺麗なものではないな、と安定飛行に移った船の中からスフィリスを見下ろしながらネイサンは思った。――あのどす黒い星を見るのが、これで最後になったらいいのに。
「――動かさなくていいの?」
遠くに飛びかけていたネイサンの思考を、淡々とした声が呼び戻す。ハッとして視線を傍らに落とすと、隣の席で静かにしていたイェトがネイサンの手元を覗き込んで首を傾けていた。
「ああ、うん。もう安定に移ったから」
「安定?」
「……知らない? 安定飛行」
不思議そうな顔をするイェトに、逆にネイサンが不思議な気持ちになった。安定飛行――安定時自動操縦飛行モード――は全操縦士にとって必須のシステムで、今どきこれを実装していない宇宙船など存在しない。直接宇宙船を操縦しない人でも知っているような『普通』のものだった。
宇宙航行には長時間移動が付き物だ。そしてその間ずっと操縦桿を握っていなければならない操縦士には、身体的不調を含む様々な問題が降りかかる。これを解決しようと生み出されたのが、操縦士が寝ていても安全に飛行を続けてくれる安定飛行システムだったと言われている。ネイサンが生まれるより遙か前からある宇宙船技術のひとつで、一秒で超長距離を移動する
「自動操縦の、どの宇宙船にもついてる当たり前の機能なんだけど……知らない?」
「知らない」
「……イェトって宇宙船自体初めてだったりとかしないよね?」
「ないよ」
端的なイェトの返答に、いやでも、とむしろネイサンは謎を深めることになった。宇宙船に乗っていて安定飛行を聞いたこともないなんてあり得るのだろうか。宇宙航行をしていればどこかで必ず聞く単語だと思うのだが。
「今まで移動とかどうしてたの……?」
「目的地に向かう輸送船探して乗せてもらってた。それか星間連絡船」
「…………今までよく賞金稼ぎとして生きて来れたね?」
わざわざ融通の利かない連絡船に乗って移動する賞金稼ぎが今までいただろうか。ひとたび賞金首に飛び立たれてしまえば何もできなくなるのでは、とネイサンは呆れと驚きが
「自分の船を持とうと思わなかったの?」
「運転しようとガチャガチャしてたら壊れたことあるから、持つのは止めた」
「…………」
コックピットは確かに精密機器が多いが、だからこそそう簡単には壊れない設計になっている、はずだ。だが壊れたということは力加減がおかしいのか、それとも機械音痴なのか……どちらにせよ、イェトに操縦桿を持たせてはいけないな、とネイサンは遠い目になった。
「勝手に動くのはわかったけど、目的地には向かってる?」
「大丈夫だよ。さっきイェトにもらった座標をちゃんと設定してるから」
普通の星であれば
「どれくらいで着く?」
「多分……30分もかからないかな。ルート周辺に危険物は無さそうだし、磁場も安定してるから」
最短ルートの進行シミュレーションや、周辺の磁場の計測など、各機器を操作し表示される結果を見ながらそう答える。イェトはネイサンと同じように映し出された映像を見てから、首を傾けた。
「全然わからない」
「あはは……」
素直過ぎる一言に、思わず苦笑いが出る。大事なことを平気で言い忘れたり、説明してくれないが、その一方で彼女は変な所で素直な性格だった。
尚もしばらく映像を見つめていたイェトは、ややあってネイサンを見上げた。
「すごいね、お前。なんでこんなのわかるの?」
「え? え、ええっと……」
イェトに唐突な称賛を投げられ、驚きながら言葉を探す。まさか彼女に褒められるとは思わなかった。
「……僕、
逡巡の後、ネイサンはそう口にした。
正直言うと、これを語るのは少し迷うことではあった。輝く未来を信じて夢を追っていたのは過去のこと。今はそんなものとは無縁の奴隷となってしまった自分が、過去形であってもそれを口にするのは、馬鹿にされそうでもあるし、口にする資格自体無いようにも感じられたからだ。でも――――イェトなら、話してもいい気がした。
「航宙士?」
「えーっと、なんて言うのかな……。宇宙航行の
そこで一度言葉を切り、ネイサンは少し迷ってから「父さんが航宙士だったんだ」と続けた。
ネイサンの父は、名うての航宙士だった。実際に活躍した時期はネイサンが生まれる前だったので直接は知らないが、それでもネイサンは周囲に父を褒められながら育ち、そして父本人にもその頃に見聞きした様々な星の話を聞かされていた。父はいつも実に楽しそうに、時に場面を熱演しながら外の世界の話を語ってくれた。それはネイサンにとって何よりも面白い冒険譚で、そんな話を聞いていたネイサンが父のようになりたいと思うのも自然なことだった。
「父さんに憧れて、父さんがしたみたいな冒険がしたくて、航宙士になりたいって思った。父さん自身は、僕が小さい頃に事故で亡くなっちゃったんだけど」
「ふぅん」
「父さんがいなくなっても……いや、いなくなったから余計にかな。僕の夢は変わらなくて、ずっと航宙士になることを目指してた。学校に行って、いっぱい勉強も訓練もして、それで……」
自然と、そこで口が閉じてしまった。本当なら自分は今頃、航宙士の星際資格を無事取得し、父と同じ道を歩み始めていたはずだ。――――だが、そうはならなかった。
「攫われでもした? 奴隷売りに」
同情も、軽蔑もない淡々とした声が耳朶を打つ。ネイサンはその声にハッとして、それからゆっくりと頷いた。
「故郷の航宙学校を卒業して、リヴェルティスに資格試験を受けに行こうとしたんだ。どの星でも使える星際資格は、
でも、向かってる途中で船が襲われて、攫われた。
その時のことを思い出して暗い気持ちになりながら、ネイサンは言葉を続ける。
「訳分からないうちに捕まって、移動させられて……気付いたらスフィリスで売られてた。それであの店に入って……あとはまあ、知っての通りだよ」
「ふぅん……」
ネイサンの〆の言葉に、イェトは関心があるのかないのか判別しづらい相槌を打った。ちらりと傍らを見ると、頬杖をついてどこか遠くを見ている。彼女が今何を考えているのかは、その横顔からはまったく読み取れなかった。
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