あの日
ケストドン
第1話
曇り空、役場の傍の駐車場に車を停めた。この平日に休みをとってわざわざこんな田舎まで車でやってきた。
ある噂を聞いたから。あなたがこの街の小さな公園で小説を読んでいるという噂を。
あなたがくれた安物のネックレスを掛けて歩く。畑を過ぎて用水路を過ぎた辺りで小さな公園が見えた。まだ豆粒みたいな大きさだ。あと200メートルくらい。
スーツ姿の私はいかにも、営業ウーマンといったところか。ヤクルトとか生命保険とかの営業か、めんどくさいんだよなー。なんて思われてるんだろうか。そこまで他人のことに興味ないか。歩き疲れたせいかしょうもない思考に至る。
風が吹いて髪とネックレスが揺れた。公園は目の前だ。ブランコや滑り台の後ろにあるベンチ。そこにあなたは居た。本を読んでいる。近くに首輪をつけられた犬も居る。
あの下らない夜を思い出す。私はあなたに「人間に向いていない」そう言って突き放した。別れた日、私は泣いてあなたは虚ろな表情で何も言わなかった。
あの日のことを謝るつもりもない。何も言いたくないのに、彼が座るベンチに近付いてしまう。もはや夢遊病みたいに。
相変わらず生きているのか死んでいるのか分からないほどに体の線が細い。服は上下ジャージでサンダルを履いている。本から目を放して犬の方を見た。犬は通報されない為の免罪符のようだ。こんな奴犬がいなかったら警察を呼ばれる。
犬を撫でた後、こっちを見そうでー。私は逃げるように歩きだした。彼は私の後ろ姿だけしか見なかったはず。何故か早鐘を打つ心臓に違和感を覚えながら公園から遠ざかる。振り返ると彼はベンチに座り直してタバコを喫っている。
私のことなど忘れたのか。それなら安心だと、前を向こうとした時、彼は私に手を振った。とても控えめに上げられた手が動いている。表情は分からない。
衝撃で一瞬だけ動けなかったが、私も手を振り返して前を向いた。右手を見ると薬指の指輪が美しく煌めいている。
家族が待っている家に帰らないと。半日はかかるけど。いつの間にか涙が出ていた。鎖骨に伝ったそれはネックレスを濡らして艶やかになっている。さながら高級品だ。笑いながらネックレスを外してポケットに仕舞った。
あの日 ケストドン @WANCHEN
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