ララ・ライフ

クロノヒョウ

ララ・ライフ




 朝からへとへとになる通勤ラッシュが嫌いだ。偉そうにする上司たちを見ているとイライラする。ちゃんと仕事しろよ。じゃなくても俺らの仕事の邪魔するなよな。

 真面目に仕事をすればするほど、なぜか俺らが損をしているのではないかと思う今日この頃。中には楽しそうに気楽に仕事もこなせる器用なやつもいる。俺だってああいうふうにできたらどんなに楽だろうか。だが無理だ。俺は何事も真面目にきちんとやることしかできない性分なのだから。

『お前、人生楽しい?』

 二十何年生きてきた中で、俺がよく言われる言葉だった。確かに人生が楽しいとは思っていない。人付き合いも得意ではないから友達もいない。外に出たくない。毎日通勤ラッシュで人の波にもまれているのに、休みの日にまで人混みの中を歩きたくない。それよりも俺にはやりたいことがある。

「……ただいま」

 一人になるとほっとする。買ってきたサンドイッチを食べようと俺はコーヒーを入れるために電気ケトルをつかんだ。

「なあ、ちょっと沸かしすぎなんじゃねえの?」

「は?」

 俺は自分の耳を疑った。

「誰か……いるのか?」

 俺は電気ケトルを置いた。確かに今、声がしたよな?

「オレだよ、オレ!」

「えぇ!?」

 誰だ? どこだ? どろぼう? 幽霊?

「まさか、宇宙人!」

「ハッハッ、お前さん、宇宙人はねえだろ」

「へ? な、なんだ!?」

 今、間違いなく俺の視界の中で動いたのは、電気ケトルのそそぎ口だった。

「お、やっと気づいたか」

「ウソだっ」

 俺は幻覚を見ているのだろうか。いや、頭がおかしくなってしまったのか。そう考えるとなぜなのか笑いがこみ上げてきた。

「ふっ、はははっ、何でケトルがしゃべるんだよ、俺ヤバくない? ははっ」

「おいおい、大丈夫か?」

「ああ~、なんとか大丈夫。俺もとうとうおかしくなったのかぁ」

 この、夢か現実かもわからない感覚が楽しくなった俺はケラケラと笑っていた。

「やっぱあれだな、沸かしすぎだ」

「沸かしすぎってさっきから何なんだよ? お湯? だって毎日コーヒー飲むし」

「オレは沸かすのが仕事だからな。沸かしてなんぼってもんだ。だがお前さんは沸かしちゃいけねえ」

 俺はわけがわからないまま電気ケトルを見つめた。間違いなく、ケトルのそそぎ口が話している。

「電気ケトルって、おっさんだったのか」

 俺は思わずそう口に出していた。

「なっ、おっさんとは失礼な! オレはまだ製造されてから三年しか経ってねえぞ」

「……そうだけど、声がおっさんなんだよな」

 俺はいろいろと考えるのをやめ、ケトルをつかんでリビングのテーブルに移動させ、自分も椅子に座った。

「それで、おっさんは何が言いたいんだ?」

 そうだ、これはきっと夢だ。だったらおっさんケトルの話を聞いてやろう。

「いいか、お前さんの頭はずっと沸きっぱなしだ。沸きっぱなしにしていたらどうなると思うか?」

「うーん、水分が蒸発して空っぽになっ……」

「そのとおりだ! 空っぽどころかからだきだぞ? すぐにぶっこわれちまう。お前さんも同じだ。沸かしすぎてたらぶっこわれちまうぞ」

「だから、俺はケトルじゃないって」

「ケトルでもケトルじゃなくてもおんなじだ! 沸かしすぎはいけねえ。なあお前さんよ、一回スイッチ切って、洗って新しい水を入れてみねえか? あん?」

「意味が、わからないな」

「要するに、頭沸かさずにただ楽しめってことだ! お前さんはグツグツグツグツ考えすぎ、沸かしすぎなんだよ! わかったか?」

「ああ……いや……うん……」

「ほぉら! そうと決まれば早速だ! 会社なんか辞めちまえ! お前さんの夢は小説家だろ? だったらその夢に向かって突き進め!」

「お、おい、何で俺の夢を知ってるんだよ」

「そりゃお前さん、毎日一緒にいたらわかるってもんだ。知ってるぞ、こつこつパソコンに小説を書きためていることくらいな」

「なっ……そう、だけど」

「だったらあんな会社なんか辞めろ。生活がある? んなもん家の近所で適当にやってろ。仕事は選ばなけりゃ何でもある。夢を手にしたいなら何かは我慢しなくちゃならねえ。ならばだ。夢を手にできるならそれくらい我慢でもなんでもねえ。そうだろう?」

「……まあ、確かに」

「決まりだな。これで通勤ラッシュもない、イライラもしない、好きなこともやれる! どうだ! 人生楽しいだろ! ハッハッハ!」

「ああ、それができたら……楽しいだろうな」

「できたら、じゃねえ! お前さんはや・る・ん・だ・よっ!」

「ふふっ、わかったよ、おっさん」

「わかってくれたか! 人生は短いぞ。もっと楽しめ。楽しんだもん勝ちだ!」

「ああ、そうだな……」

 おっさんのいうとおりかもしれない。今の会社には何の未練もない。よく考えてみれば、俺がいなくても会社や世の中はまわる。だったら俺だって好きなことをして夢を追いかけてみたい。そう思うと自分のこれからの人生が楽しみになってきた。

「じゃあな。人生楽しめよ……」

 もう動かなくなったケトルに、俺はお礼を言った。



           完






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