17,影より出でし双頭の犬
扉の先は、広い空間が広がっていた。
ピアノの公演をしていた地下ホール以上の広さをしている。
だが、この部屋には何もない。
美術品が保管されているわけでもなければ、助けを求めていた声の主がいるわけでもない。
しかし、広い空間を挟んだ向かいに一つ扉がある。
どうやらこの先にまだ部屋が続いているらしい。
向かってみようと委員長と視線を交わし、一歩踏み出した。
――その時だった。
カチャン。
背後の扉から音がした。
まさかと思い、ドアノブを捻ろうと手を伸ばすが。
「――っ!」
伸ばした手が弾かれた。
よく見ると、扉は魔力の層で覆われている。向かいの扉も同じように塞がれていた。
僕達は広い部屋の中に閉じ込められてしまったのだ。
「――……委員長」
「えぇ、わかってる」
空気がざわつく。
肌がぴりつく。
この部屋は何故こんなに広いのか。
この部屋には何故何もないのか。
この部屋に脚を踏み入れた瞬間、何故閉ざされたのか。
部屋の中心に、波紋のように影が広がっていく。
そこからゆっくりと姿を見せる一匹の獣が、僕達の予感が合っていると確証付ける。
何故閉ざされたのか。それは侵入者を逃がさず排除するため。
何故何もないのか。それは侵入者に隠れる場所を与えないため。
何故こんなに広いのか。それは目の前の獣が思う存分暴れられるようにするため。
見上げるほどの大きな巨躯。
闇に紛れる黒い毛並みに、全てを抉る白い牙。
尻尾の蛇が大きく口を開けて威嚇する。
影より出でし黒い獣。ゲーリュオーンの牛の番犬。
現れたのは双頭の犬。その名は――。
「――オルトロス!」
オルトロスは大きく唸ると、大きな腕を横に振るう。
地面を抉りながら向かってくる攻撃を、僕達は後方に飛んで躱す。
その後オルトロスは、躱した委員長を追撃する。
その腕を振るう度、地面や壁が抉れていく。
掠るだけでも致命傷を負いそうな攻撃を、委員長は完璧に躱していく。
躱す度、ホウセンカの爆撃で反撃しているが、オルトロスには効いていない。
二つの頭、尻尾の蛇。全ての注目は委員長に向けられている。
つまり、オルトロスは僕に見向きもしていない。
初撃以降、僕に攻撃は来ていない。
反撃こそしているが、防戦一方の戦いを変える事が出来るのは、現状眼中にない僕だけだ。
必要なのは、防戦一方の戦況を一変させる程の火力。
右手の一点に魔力を集中させ、体が炎に包まれたと思うほどの熱を感じる。
「――『
オルトロスめがけ、一点に凝縮させた炎を放つ――。
が。
「――……え」
眩い光を放つ『
直後、ぞわりと背後から感じる「死」。
振り返ると、僅かに赫が滲んだ白い牙が、目前まで迫っていた。
喰われる。――死。
「――ぐぇ⁉」
死を予感したその時、体に巻き付いた蔓が僕をオルトロスから引き離す。
僕の体を喰い破るはずだった牙は、ガチンと虚しい音を響かせた。
「げほっ……」
蔓から放り出され、震える手で立ち上がる。何だか息苦しい。
「大丈夫?」
オルトロスから目を離すことなく、委員長が口を開いた。
「……大、丈夫。ありがとう」
「貴方の『
なら僕が取れる行動は――。
「――来るわよ」
尻尾の蛇が何かを吐き出した。
僕達は左右に分かれてそれを回避する。
着弾地点を見てみると、地面が蒸気を上げて溶け出していた。
どうやら尻尾の蛇は、かなり強力な酸を吐き出すようだ。
おそらく当たれば即死は免れない。爪や牙は勿論、オルトロスの攻撃は全て当たれば死ぬと思って良いだろう。
強酸を回避した僕達を追撃するため、オルトロスは向かってきた。
今度は委員長だけでなく、僕にも攻撃を仕掛けてくる。
どちらかを優先して狙うわけでも無く、近くに居る方を攻撃するようになっていた。
『
それだけ奴の中で僕の警戒度が上がったという事。それはつまり、それだけ『
もし直撃させることが出来たなら――。
しかし当てるにしても、あの速度が厄介だ。一瞬の内に背後に回り込むあの速度。とても目で追いきれなかった。
どうすれば――……。
「……?」
その時だった。
オルトロスの攻撃を回避していく中で、僕はあることに気がついた。
あれ程のスピードを持っているのに、何故僕達はまだ生きていて、攻撃を躱せているのだろうか、と。
目に見えないほどの速度を出せるのなら、そのまま噛み砕くなり、爪で引き裂けば良い。
しかしオルトロスはそれをしない。
それどころか、攻撃するまでにほんの一瞬動きが止まる。
攻撃の合間。移動後。何か行動する度に、ほんの一瞬だけ動きが止まるのだ。
だから僕でも完璧に回避でき、更にはこれほど思考する余裕まで生まれている。
オルトロスは一つのことしかしないのだ。
攻撃も一回だけしかしない。回避した隙をついてこない。
どこか、オルトロスには機械的な印象を受けた。
その時だった。
「『
光の柱が降り注ぐ。
以前魔使君にしたように、隠匿の結界で覆い隠し、ギリギリまで力を溜めた不意の一撃。
オルトロスの背の向こう、巨大な向日葵の姿で察した僕はすぐにその場を離脱。
少し遅れて気づいたオルトロスも駆け出そうと脚に力を込めるが、向日葵の攻撃範囲から逃げ出すことはできなかった。
大輪の華から降り注ぐ光が、オルトロスを包み込む。
「――ァァ!!!!」
断末魔を上げるオルトロスを横目に、僕は息を整えながら委員長と合流した。
委員長は息が上がっていながらも、一切力を緩めはしない。
次第に光が弱まっていく。
ヒマワリの威力は知っている。きっとオルトロスもこれで――。
そう、思っていたときだった。
薄れていく光の中に、形を保った影が浮かび上がる。
所々皮膚が爛れ、頭が一つ炭化しているが、それでもしっかりと四本の脚で立っている。
確かにダメージは与えているが、それでも倒すには至らない。
ドタッとその場にへたり込むも、その眼は僕達を睨み付けていた。
「委員長! もう一回『
「……ごめ、なさい……もう、魔力、が――」
委員長が力なく僕にもたれ掛かった。
顔色は悪く、息は辛うじて行えている程度。
彼女から生気と呼べるものはほとんど感じられなかった。
――……魔力切れ。
完全に失念していた。彼女は直前まで警備員と三十連戦していたのだ。無理もない。
委員長は戦えない。戦えたとしても、これ以上無理はさせられない。
つまり、これからは僕がなんとかしなければならない。
僕が――……。
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