9,焔

「あら、こんな時間にどこか出かけるの?」


 晩ご飯を食べて少しして、玄関で靴紐を結んでいる僕に向けて、お母さんが声をかけた。


「うん。食後の運動がてらちょっとジョギングに」


 最近寝不足が続いているから睡眠の質改善も兼ねてね、と付け足す。


「そう? 分かってると思うけど、暗いからそんなに遠くには行かないでね。それと――」

「わかってるよ、ほら」


 そう言って、GPSが表示されたスマホを見せる。

 覚えていないが、僕が小さかった頃、一度迷子になったことがあるらしい。

 当時ははすぐ見つける事が出来たそうだが、両親にとってトラウマ級の出来事だったらしい。

 そのため高校生となった今でも、夜中に一人で出歩く時はGPSで位置が分かるようにしなければならない。

 少し過保護すぎる気もするが、それだけ大事にされていると分かる嬉しさもある。


「それじゃ行ってきま~す」


 玄関のドアを開け、勢いそのままに駆け出した。



 ◇ ◇ ◇



「ハァ……ハァ……」


 目指しているのは少し行ったところにある河川敷。

 街灯のおかげで明るく、人通りが少ない。

 土手を降りれば、余程のことが無い限り人目に付くことは無い。


 そんな場所を目指すのは、運動不足解消などではない。

 魔使君や委員長のように、僕も魔術を使えるよう練習するためだ。


 バルバトスは言った。魔力は全人類に流れていると。――勿論、僕にも。

 ならば、僕だって彼らのように魔術を使うことが出来るはずだ。

 そのために人目に付かないところで練習がしたかったのだ。


 とは言え、体力なんてあって困るモノじゃないので、目的地までは走って行くことにした。

 しばらく運動していなかったから体力の衰えを感じつつも、十数分で到着した。

 周りに誰も居ないことを確認しつつ、土手を降りようとしたその時だった。


「――吉岡くん」


 声をかけられた。

 振り返ると、そこには委員長が居た。

 腰ほどまである長い髪をポニーテールで纏め、スポーツウェアを身に纏ったラフな格好は、スレンダーな彼女のスタイルを引き立たせている。


「……奇遇ね。こんな所で会うなんて」

「う、うん。そう、だね」


 奇遇なものか。あまりにもタイミングが良すぎる。

 

「少し、話さない?」


 委員長の提案で、土手へ降りる階段に横並びで腰を下ろした。


「「…………」」


 しかし両者とも喋らない。

 僕が八つ当たりしたせいで気まずい沈黙が流れる。

 あれから委員長の顔をまともに見れていない。

 気まづさからつい顔を逸らしてしまうのだ。

 今だってそうだ。謝る絶好の機会なのに、口が開かない。開いても、言葉が続かない。


「――……ごめんなさい、吉岡くん」


 先に謝罪したのは委員長だった。


「無神経に踏み込んで、貴方を不快な気持ちにさせてしまった」

「違う!」


 俯く彼女を見て、僕の口はようやく動き出す。


「謝るのは僕の方だ! ……心配してくれた君に八つ当たりしてしまった。……ごめんなさい」


 ようやく、謝ることが出来た。


「――いいえ、それでも私は謝らないと」


 俯いた委員長の顔は、依然暗いままだった。


「貴方の事は分かったわ。魔術の世界にいたい理由も、停滞に絶望する気持ちも」


 僕へ視線を向けながら、ぽつりぽつりと語り出す。


「それでも私は、死に向かう貴方を見過ごすことは出来ない。ただ黙ってみているだけなのは、もう嫌なの」


 分かってた。

 委員長が偶然を装って会う時点で、何を言われるかの察しはついていた。

 ……けれど。


「……言ったでしょ? 引き返しはしないって。僕にはもう、選択肢なんてないんだよ」


 結局はこうなる。

 いくら時間をおこうとも、いくら話し合おうとも、どちらかが折れるまでこの話は終わらない。どこまで行っても平行線なのだ。

 この場を去ろうと立ち上がると、委員長も腰を上げた。


「そうよね。吉岡くんはそう言うよね。……だから私、力尽くで行くわ」


 そう言って広げた彼女の右手から、仄かに白く光る一輪の花が生み出された。


「――何、その花は?」

「……『忘却の華ヒナゲシ』。花弁に触れた者の記憶を一部消す事が出来る華よ」


 冗談でしょ?

 言いかけたその言葉は、僕を見据える委員長の眼に止められた。

 真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに僕を見据える眼。

 本気だとすぐに分かった。

 だが、その眼に怖じ気づいて、無抵抗でやられるわけにはいかない――!


 委員長から距離を取ろうと後ずさる、その瞬間だった。

 僕の視界端。左にチラリと影が映った。

 ほぼ反射的に体が動いた。

 すぐさまその場にしゃがみ込む。


 すると頭上を何か巨大なものが通り過ぎた。

 躱せたことに安堵の息を吐く間もなく、第二波が襲い来る。

 今度は右側。しゃがんだ僕を刈り取るように向かって来ている。


「――くそっ」


 小さく悪態を吐いて、左斜め後方へ体重を移動する。

 ここは土手の中腹。

 少し重心を移動すれば、坂を転がり落ちていける。

 強制的に委員長とのを変える。

 と同時に距離を離す事にも成功した。


 しっかり頭を抱えて受け身を取ったことに加え、草のクッションが衝撃を和らげてくれたおかげで、ゴロゴロと転がり落ちても全身かすり傷程度で済んだ。


「貴方は、『死』を理解していない」


 階段を降りながら委員長は言う。


「貴方は自分一人のモノだと思っているけれど、それは間違ってる。親は? 友達は? ……遺される者達が見えていない。貴方の命は、貴方だけのモノじゃない!」


 委員長の背後には魔法陣。

 そこから二本の蔓が生えていた。

 あれは、確か。


「――『左巻きの捕縛蔓アサガオ』!」


 魔使君を瞬時に捕らえ、その力強さで彼の四肢を締め上げた魔術。

 だが、と比べたら全然遅い。

 僕でも見てから反応出来るレベルだ。


 逃げる上で、委員長が扱う魔術は驚異だ。

 けれど、彼女の目的は『僕の記憶の消去』。魔使君と戦った時のような戦闘が目的じゃない。

 委員長は手を抜いている。

 その証拠が蔓の速度。僕に傷がつかないよう最低限の速度になっている。

 逃げ切れる可能性はゼロじゃない――!


 街灯のおかげで何も見えない暗さじゃない。

 それに、攻撃も見てから回避が間に合う速度。

 ただ問題は、僕の体力がいつまで保つか。


 委員長の背後からは一本、また一本と蔓が数を増やし、今ではその数は五本。



 ――さて、どこまでいけるか……。



 蔓が動いた。

 まずは正面、真っ直ぐに突っ込んでくる。それを身を翻して躱す。

 今度は左から横薙ぎに向かってくる。両手をついてしゃがんで躱す。

 頭上に覆い被さるように二本、逃げ場を無くすように倒れてくる。曲げた足と腕をバネのように弾ませて、勢いよく後方へ離脱する。

 最後、五本目。回避した僕を狩ろうと背後から回り込む。瞬時に地面を蹴り、向かってくる蔓を飛び越えることで難を逃れた。


「――よしっ」


 小さく自分を鼓舞しながら、息を整え次に備える。

 委員長も流石に予想外だったようで、目を丸くしながら蔓を引き戻す。


「……貴方は、遺された者の気持ちが分かる?」


 忘却の花ヒナゲシを持つ委員長の手に力が加わる。


「寂しくて、切なくて、心にぽっかり穴が空いたような喪失感。何をするにしても涙が先行して、前に進むことはおろか、立つことすら出来なくなる」


 彼女の目が滲む。


「貴方の言うが襲い来る! ……貴方は、吉岡くんは、自分が苦しんでる絶望に、家族や友達が苦しんでも良いの?」


 もはや泣き縋るように言う彼女の言葉は、とても弱々しく、今にも消えてしまいそうだ。

 涙を零す彼女の言葉には力があった。

 きっと立ち直れなくなると言うのも、大切な人を失ったと言うのも、経験してきたからなのかもしれない。


「委員長の言う通り、遺された人がどう思うのかは考えてなかったよ。……それはきっと、僕の想像よりも辛くて、苦しいんだろう」


 僕も同じ絶望を味わっているからよく分かる。

 出来ることなら、こんな思いは体験して欲しくない。


 ――……ごめんね、けれど。


「けど、僕は。僕はただ、大きく息をしてみたいんだ」


 先へ進むことは許されなかった。

 閉塞と絶望が苦しくて、耐えられなくて、生きることすら疑問に思って。

 目一杯息を吸うことなんて、出来なかった。

 けど今なら。希望が差し込んだ今なら、思う存分、息を吸える。生を謳歌してみたい――!


 僕の返答に、小さく「そう」と漏らす彼女はひどく悲しそうだった。

 呼吸を整えた彼女の目が変わる。


 ――――来る!


 背後の魔法陣から、また新たに蔓が追加され、その総数は八本。その全てが襲い来る。

 速度は上がり、激しさも増す。

 なんとか全て紙一重で躱すことが出来たが、引き換えに僕の体力は限界で、息も絶え絶えになっていた。


 それでも委員長は攻撃の手を止めない。

 ジリジリと距離を詰めてくる。

 委員長が一歩近づく。

 僕も一歩後ろに下がる。


「――⁉」


 何か硬いモノにぶつかった。

 振り返ると、コンクリートの壁。高架橋の柱にぶつかっていた。

 いつの間にか高架下まで移動していたようだ。

 いやそれより。


 まずいまずいまずい……!

 逃げ場がない。

 避けることに必死で、周りが見えていなかった。

 委員長は確実に捕まえるため、僕をここまで誘導していたのだ。


 委員長はジリジリと距離を詰め、蔓をゆっくり移動させる。

 逃げ場のない僕を相手にしている現状、万全を期す余裕が生まれている。

 前は勿論、左右にも既に蔓が配置されている。


 ……どうする? どこに逃げる?

 いっそ正面突破でも……いや、触れたら一発アウトな忘却の花ヒナゲシを持っている委員長に自ら近づくのは危険だ。

 覆い隠すように包囲されているため、すり抜けるのも厳しいだろう。

 何より、残りの体力で逃げ切れる自信が無い。


 ここまで、なのか――?






『魔術は、無限の可能性を秘めた、人類史上最高の技術なのだから』





 声が駆け巡る。それはかつてバルバトスにかけられた言葉。

 そして思い出す。

 魔術の持つ可能性を。

 そしてその魔術を、自分も使え得る事を。


 そうだ。魔術なら、今この状況を打開できる――。


 目を閉じて、大きく呼吸する。


 必要なのは、向かってくる蔓全てを吹き飛ばす火力。

 火力。そう、炎。

 それこそ、あの日あの時あの夕暮れ、僕の目に焼き付いた希望。

 魔使君が怪異に向けて放ったあの炎なら!



 イメージする。

 全身を巡っているはずの魔力を炎へと変換するように――。



 ……まだ、まだ足りない。

 あの時のような、僕の闇を全て打ち払うような炎には到底及ばない。

 それこそ、僕の体ごと――……。



 その瞬間、全身が発火したと錯覚するほどの熱を帯びた。


 確信。


 全身の熱を一点に、右の手のひらへ集約させる。

 目を開くと、蔓は襲いかかろうと動き出している。

 僕は右手を大きく振りかぶり、手の中にある光を解き放つ。




「『フレイル』!!!」




 僕の手から離れた光から、炎が溢れ出す。

 うねりながら煌々と輝く業火は、迫り来る蔓を、その先にある魔法陣すら呑み込んだ。

 そして一瞬のうちに燃やし尽くし、全てを灰に変えてしまった。




 ……出来た。


「~~~~~~~~!!!!!!!!!!」


 言葉に出来ない喜びのままに、僕は空に向け拳を突き上げた。

 出来た、出来た!

 僕にも魔術が使えたんだ!

 これが夢じゃない事は、全身を駆け巡っている全能感が示している。

 今なら何でも出来そうだ……!

 これなら僕も、魔使君や委員長と同じように――……。


 ――そうだ、委員長!


 まだ戦闘中だったことを思い出し、即座に彼女へと目を向ける。


 しかし委員長は呆然と突っ立っていた。

 力なく垂れ下がった手に握られていた忘却の花ヒナゲシは、霧散して消えていく。


「なん、で……魔術を……」


 ぶつぶつと譫言のように何かを呟きながら、フラフラとこちらに向かってくる。

 ガシッと僕の腕を握るが、容易に振り解けるほどに、その手に力を感じない。

 彼女から一切の敵意が消えていた。

 残っているのは——。


「もう……止められない……」


 僕の腕を掴みながら、ズルズルと力なく膝をつく。

 彼女に残っているのは、後悔と自責だけ。


忘却の花ヒナゲシが消せるのは記憶だけ……。経験は、消せない……」

「委員長……」

「経験は感覚を、感覚は記憶を呼び起こす。だから……もう……」


 僕が魔術を使った事で、もう元の日常へ戻す手段がなくなったようだ。

 項垂れる彼女の目には、大粒の涙が溜まっていた。


「大丈夫だよ、委員長」


 僕も膝を突き、垂れ下がった彼女の手を握る。


「見たでしょ? 僕の魔術。この力があれば、なんだって出来るよ。……それに、この力があるからこそ、僕は

「——!」


 僕の言葉に目を見開く。溢れる涙は止まっていた。


「そう、だったのね……」


 それからゆっくりと立ち上がり、夜空を仰ぐ。


が、魔術の世界を望んでいたのね。――……ねぇ、吉岡くん」


 小さく何かを呟いて、僕を呼ぶ。


「魔術の世界は、死が常に纏わりつく。それは『怪異が人を襲うから』だけじゃない。『思想の違いで、魔術師とも戦う事があるから』なの」


 僕の手を引いて立ち上がらせる。

 彼女の目からもう涙は消えていて、代わりに光が灯っている。


「貴方の言う通り、魔術とは無限の可能性。出来る幅が広すぎる。何が起こるかわからないし、何をされるか予想が出来ない」


 目線を逸らすことはなく、真っ直ぐと僕の目を見て。


「だから危険なの。だから遠ざけたかった。それでも、貴方は飛び込んできた。……何が起こるか分からない世界だから、何か起こる前に、貴方をこの場所から遠ざけたかった。でももう、後戻りは出来ない。覚悟はいい?」

「――勿論!」


 そんな彼女の問いかけに、僕は勢いよく首を振る。


「……吉岡くん、約束するわ。貴方は絶対死なせない。私が、貴方を護ってみせるから!」


 そうして笑う彼女の笑顔は、憑き物が落ちたかのように晴れやかで、空に浮かぶ月よりも輝いていた。

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