7,交渉
「それでは、私は少し休憩させて貰うよ……」
フゥと息を吐き、魔使君は委員長を支える僕を見る。
「数分もすれば寝覚めるだろうから、その間彼女を看ていてくれ」
疲労を滲ませた声で彼は言うと、僕の返答を聞く前に、倒れ込むように影の中へ堕ちて消えてしまった。
「えっと……どうしよ」
「とりあえず、そこの無事な教室で寝かしておこう」
突然任され、委員長を抱えたままどうすれば良いか悩んでいる僕に、残ってくれていたバルバトスが提案する。
反対する理由もないので、提案に従って、委員長を寝かしておく事にした。
……っと、その前に。
委員長の瞼をそっと優しく降ろす。
ずっと開きっぱだと乾燥するだろうしね。
――というのは建前で、実は死んでいるみたいでちょっと怖かったのだ。
バルバトスに協力してもらって椅子を降ろし、連結させた椅子の上に委員長を慎重に降ろす。
力が抜けた人間は重い、なんて話を聞いたことがあったが、委員長はむしろちゃんとご飯を食べているのか心配になるほど軽かった。
こんな少女が、先程まで血みどろの戦いをしていたなんて考えられない。
魔術の持つ力がどれほどのモノか再認識した時、僕の手は微かに震えていた。
「それじゃ、お兄サンもそろそろ帰ろうかな」
改めて魔術について考えていると、大きく伸びをしたバルバトスが言った。
「助けてくれてありがとうございました。色々と教えても頂いて」
「いいよいいよ気にしないで〜。……そうだね。帰る前に、少し話をしようか」
その場でしゃがみ、僕と目線を合わせてから、バルバトスは続けた。
「魔術に必要な魔力だけど、人類の体を血液のように巡っている。勿論、君にもね」
とん、と僕の左胸を軽くつついた。
ニコニコと朗らかで陽気な笑顔は消え、真剣な眼差しを僕へ向ける。
「さっきの戦闘で分かったと思うけど、どんな敵が相手でも、魔術なら打破出来る。何故なら魔術は、無限の可能性を秘めた、人類史上最高の技術なのだから」
バルバトスが言っているのは、魔使君が白虎戦で見せた圧縮された空気の事だろう。
敵が魔術が効かない相手だったとしても、決して手詰まりではない。
だから諦めてはいけない。そう言っている。
「だから絶対死なないでね。もし君が死んだらその時が——……あ〜いや、なんでもない」
「え?」
「とにかく! 絶対死なないでね!」
それだけを言い残して、バルバトスは影の中へ消えていった。
もし君が死んだらその時が——。
バルバトスは何て言いかけていたんだろう。
この言葉の続きが、僕の身を異常に案じてくれる理由に繋がるのではないか。
直感でそう感じながらも、続く言葉に見当も付かなかった。
委員長が目を覚ましたのは、そこから数分後の事だった。
「――……ん」
頭を抑えながら、委員長が起き上がった。
辺りをキョロキョロと見回し、僕と目が合った。
「……吉岡くん、ココはどこ?」
「近くの空き教室だよ。魔使君の指示で寝かしてたんだ」
「ん、ちょうど目を覚ましたか。ちょうどいい」
教室の扉が開き、魔使君がその姿を現した。
その姿を見た僕と委員長は、言葉を失った。
なぜなら――。
「魔使君……傷……」
「ん? ……あぁ、治せるさ、あれくらい。時間も貰ったしね」
完治していたのだ。
白虎に抉られた胴体も、引き裂かれた顔も右腕も、雷で灼かれた左腕も全て。
……いやそれだけじゃない。
服に染み付いた血液までも消えている。
まるで何事も無かったかのように、元通りになっているのだ。
そんな彼の姿を見て、フラフラと立ち上がった委員長は戦闘態勢を取った。
肩で息をする姿は、明らかに疲労困憊。
体感すら安定せず、真っ直ぐ立つことすら出来ていない。
「やめておけ。それともまさか、魔力の無いその状態で私に勝てるとでも?」
純粋な疑問。
そこに敵意や脅迫の気配は一切ない。
それだけに、魔使君の余裕。彼と委員長の力量差をひしひしと感じさせる。
その言葉に、委員長は酷く悔しそうに顔を歪ませ、連結された椅子を一つ手繰り寄せて座った。
魔使君はニコリと満足そうに笑うと、小さくパチンと指を鳴らす。
すると、彼に近い椅子が二つ、独りでに浮き始めた。
一つは魔使君の元へ、もう一つは僕の元へと飛んで来た。
彼が椅子に座ったのを見て、お礼を言いつつ僕も座る事にした。
「では、少し話そうか」
全員が座ったのを確認した魔使君は、足を組みながら微笑んだ。
そして次が語られるより先に。
「――貴方が何者かが先よ」
委員長が口を挟んだ。
厳格で、敵意を孕んだ強い口調で。
そこにある力量差に怯まず、毅然とした態度を貫いていた。
「私?」
そうした委員長の態度に一切怯むことなく、魔使君は深く座り直す。
魔使君を利用してこの世界に留まろうとしたために優先度を落としたが、『一体何者か』、その正体を聞くのが普通だろう。
彼は何者かを最初に問う委員長は正しい。
「なに、私はそう特別な存在じゃない。知識欲に溺れただけのただの魔術師だよ」
彼の目的は『人類の歩みの過程、その末路を知ること』。
知識欲に溺れているのは嘘ではないだろう。
けれど、『ただの』魔術師ではない事は、素人目から見ても明らかだった。
「話を進めるが――」
咳払いで委員長からの質問を一蹴して、魔使君は本題へと話を戻した。
「予期していない戦闘ではあったが、図らずも、
チラリと委員長へ目線を向ける。
対する委員長は目が合わないよう目を逸らしていた。
「その若さでは考えられないほどの強さだった。相当な鍛錬を積んだと見て取れる」
確かに、魔使君と戦った委員長は、彼をかなり追い込んでいた。
「……しかし解せないのは、それだけの力を持った君が管理者で居続けている事だ」
「――っ!」
委員長は勢いよく立ち上がり、言葉だけは呑み込んで、怒りのまま魔使君を睨み付ける。
しかしすぐさま冷静さを取り戻し、顔を逸らす。
彼女の手には力が入っていた。
悔しさを堪えるために、自身の二の腕を強く強く握り絞めて……。
「……管理者で居続けるってどういう事? と言うかそもそも管理者って?」
この会話に僕は入るべきじゃない。
そんな事は分かってるが、今を逃せばきっと聞く機会を失う気がした。
……それに。
チラリと委員長を見る。
感情が涙として零れている彼女を見る。
僕が今まで見てきた委員長は、寡黙で、あまり感情を表に出さない少女だった。
そんな彼女の感情が、ここまで溢れ出る理由を知りたかった。
「……まず管理者とは、この学校に眠る
話の腰を折ってしまったのに、魔使君は嫌な顔をせずに教えてくれる。
むしろ、少し嬉しそうだ。
……やっぱり、結界の中にいるのは怪異だったようだ。
「だがもう一つ役割がある。それは『結界に仇なす穢れの一切を祓う』。つまりは、怪異であれ人間であれ、結界に干渉しようとする存在全てを排除しろ、というものだ。……何故こんな役割まであるか、わかるか?」
試すように彼は笑う。
何故これほどまでに敵対的なのか。その理由を彼は僕に問うていた。
「……万が一にも、封印を解除されないよう?」
「その通り。それほどまでに怪異による一般人への被害を恐れた訳だ。……まぁ、彼女は殺さず追い払うだけだったようだが」
僕が答えると、満足そうに彼は目を細める。
「けれどそこまで警戒するのなら、脅威となる怪異そのものを殺せば良いと思わないか?」
確かに、結界を管理するのも、近づく存在を排除するのも、いずれも『怪異を外に出さない』事が目的だ。
であるならば、その脅威そのものが無くなれば良い。
――でも。
「でもソレが出来ないから結界内に閉じ込めてるんじゃないの?」
「何故?」
「何故って……勝てないからじゃないの?」
僕の言葉に、魔使君はニヤリと笑う。
その顔にハッとした。僕は嵌められた。誘導されたのだ。
彼はこの『勝てない』と言う言葉を待っていた。
「そう、勝てない。いつまでも、結界の管理をし続けることになるだろう。……そこでだ」
僕を誘導してまで、言いたかったのは――。
「私がその怪異達を、七不思議を
「――……は?」
委員長は涙を拭う手を止め、滲む目を大きく見開いた。
「その代わり、君にも私を手伝って欲しい。具体的に言えば、君の一族が代々蓄積してきた情報の共有、それと結界内への立ち入りの許可を」
「……分からない、意味が分からない。貴方に何のメリットがあるって言うの?」
僕を誘導して言いたい事は分かったが、僕も理由がわからない。
彼は怪異について知りたい。
それなのに自らが殺してしまっては、意味がないんじゃないか。
「メリットならある。実際に見て、感じて得る経験は替えの効かない貴重なモノだ。確かに殺してしまうのは痛手だが、ソレを差し引いてもプラスだとも」
そうして委員長に近づき、右手を差し出した。
「これは交渉だ。お互いに利があるものだと思うが……どうだろう?」
委員長は答えない。
いや、返答を決めあぐねているようだった。
口を開いては、その度に言葉に詰まり、口を閉じる。
コレを何度も繰り返していた。
そんな時だった。
『――校舎に残っている生徒は、速やかに下校しなさい』
完全下校を告げる放送が入った。
この放送を受け、魔使君は手を下げた。
「返答は今すぐに、と言うつもりはない。時間はたっぷりある。ゆっくりと考えてくれ。――良い返事、期待しているよ」
そう言って魔使君は空き教室を後にした。
僕も彼に続いて教室を出る。
去り際。ふと目に入ったのは、苦悩と葛藤に揉まれながらも、決意を固めたような委員長の姿だった。
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