丑三つ時に惡魔は嗤う
@Shatori
第一章 一歩、前へ
1,邂逅
「おっはよ吉岡! 昨晩は良く眠れ……なかったみたいだな」
「うん、おはよ……」
教室の扉を開けた僕を、軽快な声が出迎えた。
「ま~た例の夢か? 今日で何日目?」
「今日で十日目。いい加減ぐっすり寝たいよ……」
僕の名前は
僕は昔から良く夢を見る体質だ。毎晩様々な夢を見て、時には人と同じ夢を見ることも度々あった。
けれど最近見る夢は悪夢だけ。しかも毎晩同じ夢を見る。
自分の足下も見えないほどの暗闇に突如として放り出され、言葉なのかすら判別できない音の羅列が、狂ったラジオのように繰り返される。
……これだけならまだマシだった。
理解できない音の羅列が、何重にも重なって聞こえてくるのだ。
耳を塞いでも、その障壁を無視して僕の脳を揺らしてくる。
この夢を見始めた頃はその非日常さに興奮して、何かが起きる前触れかも知れないと心を躍らせた。
けれど来る日も来る日も、何も代わり映えしない平和な日常が続く。
毎晩目を閉じれば真っ暗闇に放り投げられ、何重にも重なった音が延々と脳を揺らす。
それが今日で十日目。僕の精神は限界を迎えそうだ。
「そうだ! それより今日、転校生が来るんだってよ!」
「へぇ、そうなんだ……。道理でみんな騒いでるわけだ」
頭を抱える僕とは対照的に、興奮気味で話を続ける。
僕は適当にあしらいつつ、自分の席へ向かう。
その後はいつも通り談笑した。
内容は、昨日のバラエティ番組について。
人気のゲームについて。
話題の有名人について。
そんなどこの高校生でもするような、他愛もない会話。
話すことに抵抗があるわけじゃない。仲良くなった彼らと話すことは楽しい。
けれど僕は、心の底から笑うことが出来なかった。
心にぽっかりと穴が空いたような虚無感が、僕の心を埋め尽くしているから――。
「よぉしみんないるね。今日はなんと! 転校生がきます!!」
どうやら噂は本当だったらしい。クラス中が再度ざわめきだす。
「男の子かなぁ?」「頼む……頼むぞ来い美少女!!」
もはや言いたい放題。各々が各々の願望を口にする。
だが、僕にとってはもはやどうでもいい事になっていた。
転校生が来る事への興味はすぐに失せ、僕の心は諦念で埋め尽くされていた。
確かに驚きはした。想定外のことに心が躍ったのも事実。
けれど、どうせすぐにまた退屈な、何も変わらない日常が戻ってくる。
だったら、はじめから期待しなければ良い。
「はいはい静かに~。それじゃ入ってきて~」
開かれた扉を、全員が目をキラキラ輝かせて注視する。
しかし転校生が入ってきたその瞬間、ざわめいていた教室がシンと静まり返った。
幼さが残る中性的な顔立ち。
歩くだけでなびく柔らかなプラチナブロンドの髪に、まるでエメラルドが埋め込まれていると思うほど鮮やかな翠眼。
造形美を感じさせるその美貌に見惚れ、クラス中の誰もが言葉を失ってしまった。教卓の横に立つ姿は優美で、陽に当たる姿は神々しさすら覚える。
そんな彼だが、首から指輪をネックレスのようにかけている。窓から差し込む陽の光を受け、宝石のようにキラキラと銀の指輪が輝いている。
この学校はアクセサリー禁止のはず。先生は何も言わないから了承を得ているのだろうけど――。
そんなことを考えていると、黒板に彼の名前が書かれていた。
「(はじめまして。魔使恵です。どうぞ、よろしくお願いします!)」
すぐに彼はクラスメイトに囲まれ、質問攻めが始まった。活発な人が集まり、それぞれが気になることをぶつけていく。
「ねぇねぇ、魔使君って外国の人~?」
「(違うよ。日本人)」
「じゃあさじゃあさ、日本人なのになんでそんな髪色なの? 染めた?」
「(僕のご先祖様にフランス人がいてね、その影響。この眼もそう。綺麗でしょ?)」
隣の席だからいくつか聞こえてくる。先祖の血が色濃く出たというが、出過ぎじゃないか? もうフランス人と言っても誰も疑わないレベルだぞ。
「うん、すっっごくキレ~!!!」
「(ありがとう、自慢の眼なんだ)」
「へぇ~!」「かっけ~!」
――……何か。何か違和感を感じる。話を聞いているだけだが、何か引っかかる。
僕自身、一体何が気になるのかわからない。
「ねぇ、前はどこの学校にいたの?」
「(
「へぇ~しんちゅうがくえん……? ってとこにいたんだ~」
うん、やっぱり何てことない、何の違和感もないただの会話だ。
どこにも気になるところはない。会話の内容も至って普通。特におかしいところはない。彼の声もハキハキとしていて――――……
――……声、彼は一体どんな声だった?
低かったのか高かったのか、そんなことすら思い出せない。
感じた違和感。それは彼が一言も発言していないという事だった。
まるでこう言ったと直接脳内に叩き込まれたかのような……。
彼自身は発言していない。でも、それならなんで会話が成立しているんだ?
なんで彼が答えたように感じたんだろう?
それに、魔使君と会話しているクラスメイト達に不思議がっている様子がない。
なぜ――……?
疑問に思った僕は、彼を注意深く見てみることにした。もちろんガン見なんてせず、さりげなく、バレないように――。
何度見ても見惚れてしまうほど整った顔。纏う雰囲気は無害そのもの。
まだ新学期が始まって日が浅い。何故数日で転校してきた?
いじめ、ではなさそうだな。
「(えーっと、吉岡君、だっけ。僕の顔に何かついてる?)」
「――……あっ」
え………………っとまずいまずいまずいまずい話しかけられるなんて想定してないどうするどうするどうする考えろ考えろ何も言わないのはまずいまずすぎる変に思われるやばいやばいやばいやばいやばい――――……
話しかけられるのは想定外すぎて頭の中がぐちゃぐちゃだ。思考が上手く纏まらない。ダラダラと冷や汗が止まらない。
とにかくなんでもいい。彼の疑問に返答を。
目についたモノについて発言しろ。考える時間を稼げるならそれでもいい。
「えっ、とね……そ、その首から下げてる指輪のことなんだけど」
苦し紛れもいいところ。目について、教室に入ってきてからの疑問を投げかけた。
「指輪?」
「なに言ってんの吉岡。そんなのどこにもないよ?」
「え? そんなはずは——」
――――……ない。指輪がない! どうして? さっきまで確かに……。
「何だろう、ボタンと見間違えたのかな?」
「吉岡ぁ、お前寝不足もいよいよだな」
周りにいたクラスメイトに笑われてしまった。
……あぁそうだ。きっと見間違えたんだろう。
現に指輪なんてないし、何よりちゃんと彼は喋っていたじゃないか。
ただの気のせい。
そんな非日常的な事は、起こるはずないのだから。
◇ ◇ ◇
放課後。
空は見事な橙色に染まっている。頼まれたら断れないせいで、こんな時間まで先生の手伝いをすることになった。
閑散としている教室から荷物を回収し、足早に帰路につこうとした。
――その時だった。
「――……タス、ケテ」
か細い声。簡単にかき消されてしまうそうなほど弱々しい声だ。
僕は駆けていた。声を聞いたその瞬間に、僕の足は動き出した。
消え入りそうな声だった。恐怖の中、縋るように祈るように絞り出された声だったのだから。
「この角の先――!」
そうして角を曲がった先に、いた。
貼り付けられた、口角がつり上がった笑顔。
血が通っていないと思わせるほど青白い肌。
異常なほど長い首に、蜘蛛のように生えた長い手。
廊下を埋め尽くすほどの巨躯を持った何かが、そこにいた。
そして、そんなバケモノを前にへたり込む少女の姿があった。
腰が抜けているのか、震えるだけでその場から動かない。
だが幸いなことに、バケモノはその巨躯のせいで動きが鈍い。逃げ切れる。
少女の手を取り、一目散に駆け――
「――あ?」
握った手から感じる
目を移すと、少女の手から生えた棘が、僕の手を貫いていた。
あぁ、そうか。この瞬間、僕は理解した。
このバケモノは人を襲っていたんじゃない。獲物を待っていたんだと。
この少女は襲われていたんじゃない。餌を釣るための疑似餌だったのだと。
そして僕は、人を助けたんじゃない。まんまと罠に引っかかったのだと。
返しがついた棘が僕を逃がさない。バケモノはゆっくりと、首元まで裂けた口を僕に向ける。
「このまま喰われて終わり、か……」
「――たくない」
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
まだ、僕は、何も――――
「――――っ!」
奥歯を強く噛みしめ、覚悟を決める。
血が溢れ、返しが食い込むが関係ない!
ブチブチと肉が裂けていくが関係ない!
このまま喰われるぐらいなら、右手ぐらいくれてやる!
「ああああああああああああああ!!!!!!」
肉が裂けながらも、右手を一気に引き抜き距離を取る。
乱雑に引き抜いたせいで、右手は血まみれでズタズタだ。
現実味のない事の連続だが、のたうち回りたくなるほどの激痛が、コレは現実だと教えてくれる。
間一髪、死の窮地から何とか脱出することが出来た。
「――はは!」
あぁ、楽しい!
そうだ、これだ。コレを待っていたんだ。
僕の胸はかつてないほど高鳴って、満たされていく。
顔を上げバケモノを視認した時、気づいた。
人間のモノより何倍も長い手が、鞭のように大きく撓りながら僕に迫って来る。
しかし認識したその時には、鞭のように撓った手が、僕の顎を打ち抜いていた。
回避も、防御も間に合わない。気づいたときには遅かった。
為す術なく、抗う事すら出来ずにコンクリート柱へ叩きつけられた。
視界は霞み、意識は薄れ、今にも消えそうだ。
体内に響き渡る耳鳴りは、周囲の音をかき消していく。
興奮した体から徐々に熱が抜けていき、大きな赫い水溜まりを作り出す。
もはや痛みは感じなくなっていたが、手足はピクリとも動かせない。
そんな僕に、ゆっくりと死が近づいてくる。
……まだ、まだ、僕は。
「助けて欲しい?」
声がした。
耳鳴りが響く中、その凛とした声だけはっきり聞き取れた。
消えかけていた意識を取り戻し、霞む視界の中、朧気に浮かぶ人影があった。
転校生、魔使恵がそこにいた。
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