混迷の序曲

 潮風市 学生寮


 薄暗い部屋の中、リクはパソコンの画面を睨みつけながら、コーヒーを呷った。

「くそっ……全然わからん……」

 彼は、徹夜で異常事態に関する情報を集め、分析していた。気象データ、天文データ、物理法則……あらゆる情報を駆使して、太陽が昇らない原因を解明しようとしたが、答えは見つからない。

「一体、何が起こっているんだ……」

 リクは、頭を抱え、苛立ちを募らせた。

 彼は、科学を絶対視する男だった。科学で説明できない現象など、この世に存在しないはずだ。

 しかし、目の前の現実は、彼の信念を根底から覆そうとしていた。

「こんな時こそ、科学の力が試されるはずなのに……」

 リクは、無力感に苛まれた。

 彼は、苛立ちを紛らわすように、SNSを開いた。そこには、「太陽消失」に関する様々なつぶやきがあった。

「これは、神の怒りだ! ここはすでに地獄なんだ!」

「俺たちが見せられてたのは人工太陽だったんだ!」

「宇宙人が地球を侵略しに来て、太陽を隠す円盤が……」

 根拠のない陰謀論やデマが飛び交い、リクはさらに苛立ちを募らせた。

「バカバカしい! こんな時に、非科学的なことを…」

 彼は、思わずキーボードを叩き、反論のリプライを書き込んだ。


『科学少年』


 それが、彼がネット上で使っているハンドルネームだ。

『科学少年』は、瞬く間にオカルト信者たちの標的となった。

「お前は何もわかってない、裁きを受けろ!」

「お前も政府の工作員だろ! 人工太陽なんかで騙しやがって!」

「現実を見ろ! 円盤の群れはすでに頭上に来ているんだぞ!」

 リクは、彼らの言葉に反論し、科学的根拠を提示する。しかし、議論は平行線を辿り、互いの主張は交わることなく、ただ罵詈雑言が飛び交うばかりだった。

「くそっ……!」

 リクは、怒りを込めてパソコンを閉じた。彼の心は、混乱と焦燥感で満たされていた。

「俺は、必ずこの謎を解き明かしてみせる。科学の力で!」

 リクは、決意を新たにし、再び情報収集に没頭する。しかし、彼の心には、拭い去れない不安が渦巻いていた。


 *


 同時刻 潮風市内 ボロアパート


 薄暗い部屋の中、ユウタはパソコンの画面を睨みつけながら、伸びをした。徹夜で書き上げた最新作は、自信作だった。

「やっと書き終わった……」

 彼は、満足げに原稿を保存し、パソコンを閉じた。しかし、次の瞬間、彼の表情は凍りついた。窓の外はまだ薄暗く、夜明け前のようだ。

「あれ? まだこんな時間か……? かなりの時間書いていたつもりだったが」

 時計を見ると、すでに午前8時を過ぎている。しかし、太陽は昇る気配がない。

「まさか……」

 カーテンを開けると、薄明かりに包まれた街が広がっていた。太陽の姿はどこにもない。

「嘘だろ……」

 ユウタは、言葉を失った。慌ててスマホでニュースをチェックすると、「太陽消失、原因不明のまま」「異常気象長期化の恐れ」といった見出しが目に飛び込んできた。

 そのまま情報収集をするユウタ。どうやらこの現象が世界中で、昨日から起きていることが分かった。

「こんなことになったら、俺の小説……」

 ユウタは、パソコンを開き直し、書き上げたばかりの原稿を見つめ、絶望感に襲われた。

 大学を中退し、親に勘当され、手切れ金で細々暮らす彼にとって、小説家になることは唯一の希望だった。しかし、太陽が昇らない世界では、人々は小説どころではないし、再生可能エネルギーが機能しなくなり電力の供給が不安定になって、パソコンが使えなくなるかもしれない。

 変なところで頭の回転が速いユウタはそこまで見越して、絶望していたのだ。

「もう、何もかも終わりだ…」

 ユウタは、ベッドに倒れ込み、暗い天井を見つめた。


 *


 同日昼過ぎ 総理大臣官邸の会議室


「今後、再生可能エネルギー、特に太陽光、風力、水力、波力発電は機能しなくなる可能性が高いです」

 環境省の担当者が、神妙な面持ちで報告する。

「ふむ……? 太陽光はわかるが、風力や水力が機能しなくなるのはなぜかね?」

 経済産業大臣が、眉をひそめながら尋ねる。

「簡単に申しますと、気温差がなくなるからです」

 担当者は、ホワイトボードに地球の絵を描きながら説明を始める。

「風は、太陽光によって暖められた空気と、冷たい空気の温度差によって発生します。しかし、太陽が昇らなくなると、この温度差が小さくなり、風が弱まってしまうのです」

「なるほど。では、水力発電は?」

「水力発電は、ダムに貯めた水を落下させることで発電しますが、その水は、太陽の熱で蒸発した水が雨となって降り注ぐことで供給されています。太陽がなくなれば、蒸発量が減り、降水量も減少するため、ダムの水位が低下し、発電量が減ってしまうのです」

 担当者は、真剣な表情で閣僚たちを見つめる。

「つまり、この現象が続けば、再生可能エネルギーによる発電はほぼ不可能になるということか」

 総理大臣が、重々しい声で呟く。

「はい。その可能性は非常に高いと言わざるを得ません」

 担当者は、力なく頷いた。

「これは、由々しき事態だ……」

 閣僚たちは、顔を見合わせ、不安げな表情を浮かべる。

「さらに、火力などの化石燃料発電も安定しているとは言えません」

 経済産業省の別の担当者が、口を開く。

「原油、天然ガスなどの価格は、昨日より続伸しております」

 担当者は、最新の価格チャートを示しながら説明する。

「今後も、米国などの備蓄解放などで一時的に下がる可能性はありますが、再生可能エネルギーが使えない以上、需要の高まりから価格は高止まりする可能性が高いです」

「また、原子力についてもウラン価格の高騰が予測されます」

 資源エネルギー庁の担当者が付け加える。

「早急に対策を講じなければ、電力不足に陥り、経済活動はもちろん、国民生活にも深刻な影響が出るでしょう」

 総理大臣は、険しい表情で呟く。

「これは、まさに国難だ……」

 会議室は、重苦しい沈黙に包まれる。閣僚たちは、この未曾有の危機に、有効な対策を打ち出せずにいた。

「しかし、このままでは、国民負担が増大し国民生活への影響が甚大です。石油の国家備蓄の開放は?」

 ある閣僚が、藁にもすがる思いで提案する。

「もちろん、検討はするべきですが、輸入が生きているうちは手を出すべきではないでしょう」

 経済産業大臣は、冷静に答える。

「この現象が長引けば、各国はエネルギー安全保障の観点から石油輸出を止める可能性があります。そうなれば、我々はたちまち……」

 別の閣僚が、言葉を詰まらせる。

「わかっている。しかし、備蓄はあくまで最後の手段だ。安易に開放すれば、パニックを引き起こし、状況を悪化させるだけだ」

 経済産業大臣は、厳しい表情で語る。

「では、どうすればいいと言うのですか?」

 閣僚の一人が、苛立ちを露わにする。

「まずは、国内のエネルギー消費量を削減し、輸入量を減らす努力をする。同時に、代替エネルギーの開発を急ぐ。それが、今、我々にできる最善の策だ」

 経済産業大臣は、力強く宣言する。

「しかし、それは時間がかかる……」

「時間は待ってくれない。我々は、今すぐに行動しなければならない」

 総理大臣は、立ち上がり、窓の外に目を向ける。暗闇に包まれた街は、静まり返り、不気味なほど静かだった。

「この国を、そして国民を、必ず守ってみせる」

 総理大臣は、決意を固めた表情で、閣僚たちを見渡した。


 *


 同日早朝 潮風駐屯地 首都守備連隊本部


「異常事態発生から2日目。いまだ太陽は戻らず、状況は予断を許さない状況です」

 テレビのアナウンサーの声が、重苦しい雰囲気を伝える。トウヤは、連隊本部のモニターに映し出される各地の映像を、険しい表情で見つめていた。

「少佐、念のため、出動待機命令が下されました」

 副官が、緊張した面持ちで報告する。

「了解した。各部隊に伝達し、いつでも出動できるよう準備させろ」

 トウヤは、冷静に指示を出す。

「しかし、少佐。一体何が起こっているのでしょうか? 政府からの情報も錯綜していますし……」

 副官は、不安げに尋ねる。

「わからん。だが、我々は、いかなる事態にも対応できるよう、準備を怠ってはならない」

 トウヤは、窓の外に目を向ける。そこには、薄暗い空の下、静まり返った駐屯地が広がっていた。

「哨戒機からの報告は?」

 トウヤは、副官に尋ねる。

「はい。上空からの異常は確認されませんでした。しかし、太陽がなぜ昇らないのか、その原因は依然として不明です」

 副官は、報告書を読み上げる。

「JAXAと航空宇宙隊からの情報では、太陽は現存しており、全く変化は見られないとのことです。JAXAより、NASAをはじめとする世界各国の航空宇宙機関からも同様の情報が入っているようです」

「また、米軍の『ドラゴンレディ』からの情報も入っていますが、同様の情報です」

「つまり、太陽自体は存在しているが、なぜか太陽が昇らないということか……」

 トウヤは、眉間に皺を寄せ、考え込む。

「首都圏の状況は?」

「はい。一部で買い占めや小競り合いが発生していますが、思ったほどの混乱には至っていません」

 副官は、安堵の表情を浮かべる。

「このまま事態が収束すれば、我々の出番はないかもしれないな」

 トウヤは、小さく呟く。しかし、彼の表情は、どこか晴れやかではなかった。

「いや、まだ油断はできないな。何が起こるかはわからない。気を引き締めろ」

 トウヤは、部下たちを見渡し、力強く言った。彼の心には、この異常事態への不安と、国を守るという使命感が渦巻いていた。

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