第36話


 アイリス様がバスルームから出ると、入れ変わるようにそそくさと私はバスルームに向かう。

アイリス様は何も反応されることもなく、私は拍子抜けした様にバスルームの扉を閉めて、ため息をついた。


意識しすぎているのは私だ。そう思ったらなんだか気が張っていたのだが、肩から力が抜けた。



 お風呂から戻ると、アイリス様がベッドで横になっている。

用意されている部屋のベッドは2台で、もちろんだが2台の間にスペースはある。

2台のベッドを前に一瞬躊躇する。もう一台の空いたベッドに行こうか迷いながら近づいていく。


 横になったアイリス様を覗き込むと、私が近づいてきたことに気づいていなかったのか、私が視界の端に入って初めてこちらに顔を向けた。


「マリー…」


 アイリス様は横になった体勢から体を起こしてベッドの端に腰掛ける。一度こちらをチラッと見て微笑んだ後、静かに窓の外の遠くもう暗くなっているのを眺めている。


「アイリス様どうかなさったのですか?」


 さっきまでの、いつもの勝ち気な雰囲気を想像していただけに、なんだか不安になった。落ち着いて静かなアイリス様は大人びて見える。そうやって静かな時の方が、動揺させられることなく安心して近くにいられるはずなのに。なんだか嫌だ・・・。


 アイリス様の隣に静かに腰掛ける。


「今、思い出しているの。貴女が別のお屋敷で働くから出て行くと言って私の元から去ろうとしたとき。私はあの時まであなたに求めたりしなかったしそれでいいと思っていた。マリーがいてくれることが当たり前だったし。ずっと私の侍女でいてくれると思っていたから。でも、貴女が簡単そうに私の侍女どころかお屋敷を去るなんていうから。わたしは欲張りを押し通してしまったと思うわ。……今、あなたが隣に居ることがどれだけ幸せなんだろうって思って……今そう考えて噛みしめてたの……もっともっと欲張りになって、貴女が私を求めるのをもっと見たいなんて思ってしまって。困らせたくもないし、嫌がることをしたいわけじゃないから……反省してる」


 見るとアイリス様は、遠くを見ていた目を伏せて、つま先を見つめている。

 とても愛おしくてたまらなくなった。

 はっきりと迷いのない行動をとるように見えて、私に嫌なことをしたと思って?こうして時々弱気になったりする。気付けば両手を伸ばして、抱きしめていた。


「私がアイリス様の侍女を辞めようと思っていると話した時、私はたぶん怖かったんです。必要とされたい人に、必要とされなくなる日が来ることが。……でも、私はあの時、自分自身の気持ちに気づいてなかったんです。そう、アイリス様に必要とされることは、私にとって初めから重要な意味があって……私の居場所をアンナにアイリス様が渡してしまうんじゃないかって不安があって、そうなったら、私はただアイリス様にとってただの侍女でしかなかったと思いしらされることになるから。

……逃げようとしたんです。

 今だって。アイリス様……私は臆病で私からもっと触れたいと思っても勇気が無くて、でもそんなこと言えなくて。未だにアイリス様が私に離れないでって言ってくださったのも、夢かもしれないように思うところがあって……

 時々大胆になれたとしても、自信があるわけじゃなくて。私は、アイリス様を不安にさせていますよね……こうやって一緒にいられるっていうのに」


「マリー…」


ゆっくりと体を離すと、アイリス様の不安そうな顔が緩んで優しい表情が見えた。


「今こうして隣にあなたがいることに、私は心底ほっとしているわ」


 アイリス様がそう言って、気が付けば私が嫌だと思った不安になるような雰囲気はなくなっていた。


私も何だかホッとして口元が自然と緩んで、ニコリと笑いかけた。


そうするとアイリス様も同じようにニコリと笑い返してくれた。




少しの間沈黙があって、アイリス様は私の表情を少し窺って

「・・・・・・ありがとう。マリーはそれでいい。……でも、待ってるから。見せてほしい。マリーが私を好きだってこと、私はどうしても時々不安になるから……」

アイリス様は笑顔を見せて言った。それは笑顔でいようと努めているときの表情だった。


「はい……。アイリス様…、好きです…とても。愛しています」

そう答えて見つめていると、突然引き寄せられてぎゅーと、力強く抱きしめられる。

思わず「わぁ!」とそのまま体勢を崩してアイリス様をつぶしてしまいそうになる。


 何とか咄嗟に手をついて体を支えると、今度は私を見つめてくる。それを見ると私が驚いて焦ったのは意に介していないようだ。

私に笑いかける表情に、私は胸をキュッと掴まれるよう愛しさが込み上げた。


 またぎゅーと抱きしめられて

「もっと…もっと・・・ずっと、2人でいたい…、なぁ……」

そう言ったアイリス様の表情はわからない。こういう時間が終わってほしくないと一緒にいるうちから、惜しくなる気持ちがよくわかる。お屋敷に帰れば、また見られないよう気をつけながら過ごさなければならない。


今、失うと思って寂しさを埋めようとアイリス様を求めた日あの時とは違う。幸せに包まれている。

私もぎゅーと抱きしめ返して、目一杯アイリス様の香りを吸い込んだ。










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