第32話 悔恨

 凌光に誘われ青颯に睨まれ上った塔で、晴瀬は二階の空室に通された。

「とりあえずこれ着ててよ。私のだから入るか分かんないけど」

 差し出された服と、凌光を見比べる。細身の男のような体躯たいくをしていた。しかし声や口調はどちらかというと女のようだ。黒い髪をかんざしでひっつめた顔は中性的で、判別がつかない。

「……男なのか、女なのか?」

「どっちでもいいよ。あんたが好きに決めな」

 あっけらかんと言うと、部屋を出ていく。しかしちょっと引き返して顔を覗かせ「脱いだやつは下持って来て」と残し、軽やかな足音を響かせて下りていった。

 晴瀬は、どちらかというと女だろうと思いながら、着替える。案の定腕が通らず、諸肌もろはだ脱ぎになって、髪を拭きながら下におりる。


 下りてきた彼を見て、凌光は目を見開いた。

「すごい、立派な身体からだしてるよ。肩と胸がしっかりしてる」

 降る雷鳴と共に、脆弱ぜいじゃくな身体を震わせてくしゃみをした少年を振り返る。

「嫌味?」

 と凌光を睨む。

「顔も良く見りゃいいよ……脱いだのかして」

 彼……女は受け取った服を、既に二着が沈んでいるたらいの中に放り込み、台所に立つ。

「見た目のいいのが来て、良かっ……」

 ともう一度くしゃみをし、言い残した「たね」を加えて晴瀬を見る。睨んでいるわけではないのだが、彼の三白眼は晴瀬に睨まれたと感じさせた。


「そんなとこ突っ立ってないで座ったら」

 と自分のむかいの椅子を示す。晴瀬は言われた通りに、椅子に座る。毛皮を被り、寒そうに腕をさする彼は見たところ十代前半のようだが、頭の上の方で束ねた灰色の髪のせいか、どことなく老人のような雰囲気を感じさせた。

「お前、いくつなんだ」

「知らない。でも、この島には五十年ぐらいいるよ」

「何年だって?」

 聞き間違いかと思う。

「五十年だってば」

「あいつ……凌光もか?」

 台所で包丁を振るう彼女の背中を見る。どう見ても、三十歳前後だった。

「大体同じだね。俺の方がちょっと後に来たけど」

「来たって、来ようと思って来れるとこなのか」

「いいや」と彼は首を横に振る。

「俺らは一回死んでるはず。死んだ瞬間の記憶はないけどね。死にそうになって目覚めたらここにいたんだから、まあそういうことなんだろうと思う」

「でも、五十年って、どういうことなんだよ」

「死人は歳取らないだろう?でも、地上と全く同じように生活してる。ってことで、半分死んでて半分生きてる。あんたが死んだ後の世界にいたっていうんなら、半分は生き返ったってことなんだろうね」

 死後の世にいるとき、飢えや渇きは一切感じなかったことを思い出す。今の自分の腹は食物を欲し、ぐうと音を上げる。


 生を取り戻した実感に、彼は顔を歪めた。

「……俺は生き返りたいわけじゃなかった」

「まだ言ってる。死後の世界で何かあったの?人を探してる風だったけど」

 言いたくないと言ったところで、この少年は譲らないのだろう。それでも黙っていたが、強い視線に観念し口を開く。

「……女の子がいて、守り切れずに……死んじまった」

「死後の世界に死があるっていうの?」

「俺も、よく分からない。でも、あれは、死んだ、って言うしかない」

 指に残って離れない、彼女の冷たさを思い出す。涙がこぼれそうになり、こぶしを握って堪えた。

「みち、っていうんだけど……みちを救い出すには、俺も死ぬしかないだろ。それに、なんで俺の方が生き返って、みちが死んだんだ……」

「そのみちは、誰かに殺されたの?」

 晴瀬は首を横に振る。

「『自分は死んだ』って、言い出して、そしたら身体が冷たくなっていったんだ……」

 空に雷光が弾け、直後に轟音が爆ぜる。


「それさっき凌光が言ってた、ほんとに死にたいから自分で勝手に死んだ、ってやつなんじゃないの?」

 あっさり言われ、晴瀬は逆上し立ち上がる。「そんなことねえよ!」

「あんたみちでもないのになんでそんなこと断言できるの」

 あまりに何でもないように言うため頭に血が上る。青颯はそれを見抜いて「悪かったから、座りなよ」と落ち着いた声で言う。晴瀬も腹を立てた自分が急に恥ずかしくなり、椅子に腰を戻す。

「でもさ、自分で死んでいった人を救い出すことがほんとにその人を幸せにするのかは疑問だね。あんたが今腹を立てたように、あんたの衝動でしかない気がする」

 的の中央を射切られたようだった。


 思えば、春軌を殺したのだって、衝動のようなものだ。大勢を殺すなら一人を殺せ、と、反乱に至るまでの様々な苦労や仲間の願いを思い出すこともなく、その感情に突き動かされて、殺していた。

「……あんたは悪い人じゃなさそうだけど、ふっと湧いた衝動で人を殺したんだろうね」

 そこまで看破され、彼の目を見ることができない。

「なんで、分かるんだ」

「見てりゃ分かるよ」

「火、ちょうだい」

 凌光が振り返る。青颯は一指のもとに、かまどに火を灯した。晴瀬は目を丸くする。

「お前、すげえな」

「まあね……で、なんで人を殺したの?」

「……」

 晴瀬は目を瞑る。唇を内側から噛んだ。遠ざかってはいるものの、いま轟々ごうごうとした雷の音が、目蓋の裏の暗闇に響く。

「嫌なら無理に言わなくていいよ」

 妙に優し気な、少年の声。

「これからも黙って自分の内だけに抱え続けて、罪過ざいか意識を太らせてった方が楽だってんならね」

 胃のえぐるような思いで、目を開けた。

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