第32話 帰り道
「奈流ちゃんも里奈ちゃんも楽しそうね。透君も一度は付き合ってあげないと駄目よ。あの調子じゃ、三回目もありそうだしね」
「マジですか。でも、頑張りますかね。あいつらと遊べるのも、これで最後になるんでしょうし……」
「……諦められるの?」
綾乃の顔つきが、不意に真剣さを増す。
正面から見つめられた透は、心の迷いを見透かされないように顔を背ける。
「仕方ないと割り切りたくはないですけど、さすがに万策尽きました。まさか神崎律子がこうも執拗だとは」
「そうね。まあ、彼女はそのうちに報いを受けるでしょうけど、問題は市役所の方ね。独身の男性が血の繋がらない姉妹と暮らす。マスコミが飛びついたらどうしようなんて心配ばかり。よほど奥様方からのクレームが効いているみたいね」
太腿の上に両肘を乗せ、開いた両手に顔をちょこんと置く。
「報い?」
「こっちの話よ。市役所の幹部を説得しようとしてたけど、最後まで首を縦に振らなかったわ。ごめんなさい」
「電話でもいいましたけど、綾乃さんには感謝しかないです。ここまで力になってくれたんですから」
「なんとか裏技的なものがあればいいんだけど、小学校にも強引に転入させたりしたから、意外と私への風当たりも強くてね。透君があの子たちと一緒に居るには、養子縁組をするのが一番なんだけど」
「それは俺も考えました。役所の人にも聞きましたけど、安定した収入がないと厳しいらしいです」
透に言われるまでもなく、彼女も知っていたはずだ。だからこそ、今日までどうにもできなかったのである。
二度目のジェットコースターが終わり、案の定、三度目へ向けて奈流が動き出す。そして次は透が呼ばれる。
「お兄ちゃん、こっち! これね、ゴーってね! ズドーンってね! ビューってね! すっごいんだよ!」
「そうか。すっごいのか。それは困った……じゃなくて楽しみだな」
家にある仏壇を思い出し、無事に生還できるように祈る。
自らの人生において、一回たりとも乗ろうとしなかったジェットコースターによる地獄旅の始まりである。
ゆっくりと上に移動する段階で動悸がする。不幸中の幸いなのは、透一人だけが別の列なので姉妹に情けない姿を見られずに済むことだった。
よせばいいのにジェットコースターが落下を開始する。誰が設計したのか下る一方のレールの上を狂ったような速度で走る。
口を開けば魂が抜け落ちていきそうで、透はひたすら無表情で耐える。前の座席では三度目にも関わらず、姉妹がキャアキャアと楽しそうにはしゃいでいる。
遊園地では子供は怪物になる。まるで別世界でも見てるように、前座席の姉妹の姿に透は口元だけの笑みを浮かべた。
悪夢が終わり、現実に戻ると膝が笑っていた。
よほどでない限り二度と乗るまいという決意とトラウマを胸に刻み、透のジェットコースター初体験は終わった。
「つぎなにのろう! もういっかい、ジェットコースター!?」
「待って、奈流。お兄ちゃんが死んでるわ」
ぐったりしている透に気づき、暴走超特急と化した妹を里奈が制してくれる。
姉妹に引きずられるようにしてベンチへ戻ると、奏が冷たいジュースの入ったカップを差し出してくれた。
どうやら園内で買ったものみたいで、綾乃の両手には姉妹の分もある。
大喜びでスポーツドリンクを飲み干す奈流。どこぞの中年親父みたいにぷはあと大きな息を吐いたあと、唐突に腹の虫を鳴らした。
ジェットコースターに並んで乗ってを繰り返すうちに、気がつけば正午近くになっていた。
早朝から起きてお弁当を作っただけに、空腹になるのも早かったようだ。
「昼飯にするか」
丁度休憩もしたかった透が提案する。他の皆も賛成してくれたので、全員で芝生の上で休める休憩所に移動する。
里奈のリュックからブルーシートを取り出し、全員で座れるスペースを作る。
その上に早朝に作ったお弁当を広げると、あっという間に華やかな雰囲気が出来上がる。
お弁当の中身を見た綾乃が感激したように言う。
「まあ、美味しそうね」
「えへへ。奈流もてつだったんだよー」
「味見係をな」
「お兄ちゃん!?」
最初は遠慮していた綾乃と奏にも、多めに作ってきたからとお弁当を振る舞う。
「それで透は何を作ったんだ?」
「おにぎり」
「……そうか。頑張ったな」
「生暖かい目で見るのはやめてくれ」
会話も笑いも尽きない。しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
太陽が真上からの降下を開始し、空に別れを告げて青い空が金色に染まりゆくほどに奈流の、そして里奈から笑顔が消える。
閉園時間が迫りくる。透を中心に左右に立つ姉妹が手を握った。奈流に関しては泣きそうにも見える。
「最後に、あれに乗りませんか」
里奈が指差したのは、大きなコーヒーカップのアトラクションだった。
普段なら恥ずかしいと拒否したかもしれないが、今日ばかりは事情が違う。透はすぐにわかったと返事をした。
誰も並んでいなかったので、すぐに乗れた。ベンチで綾乃と奏が待つ中、三人で穏やかに回るアトラクションを楽しむ。
空は完全に黄金色となり、徐々に夜の闇が侵食し始める。都会の有名所と違い、夜の午後七時には営業が終了する。残りは三十分もない。
涙がこぼれそうなのを必死で堪える奈流の頭を優しく撫でつつ、里奈は正面に座る透を見た。
「ありがとうございました」
軽く微笑む彼女の横顔が、夕日に照らされて煌めく。
「突然押し掛けた私たちを受け入れてくれて、こんなに優しくしてくれました。妹なのが嘘だと知っても、お兄ちゃんでいてくれました。私、今日のこと、それに一緒に過ごした時間を、一生……忘れません」
それはまるで何かの宝石のごとく。里奈の目元で輝く雫は、悲しみと切なさを携えて儚くも綺麗だった。
「すまない」
透はそれしか言えなかった。できるなら、姉妹が旅立つその日まで成長を見守ってあげたかった。
「謝らないでください。それにいつかまたきっと会えます」
「そうだな。大人になった里奈と奈流に、会える日を楽しみにしているよ」
コーヒーカップが回転運動を止める。閉園を告げるアナウンスが流れ、名残惜しそうに夕日が空から立ち去る。
車で来ていた綾乃と奏に乗っていくかと問われたが、透は三人で電車に乗るのを選んだ。なんとなくそうしたかった。
家へ戻る電車が三人を揺らす。人はあまりいない。行きと違い、俯いてばかりの奈流は言葉をほとんど話さない。
里奈も何か話題を出すのではなく、ただ妹の隣で車窓から風景を眺めていた。余韻というにはあまりにも悲しい時間だった。
もうすぐで地元の駅に着く。降りる準備をしようとした透を、奈流が両手で掴んで引き止める。
「やだ。かえりたくない」
唇をアヒルようにした奈流が、強く瞼を閉じる。
「お兄ちゃんと離れたくない! あのおうちが駄目なら、他のおうちにしようよ!」
顔を上げた奈流。開いた両目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「奈流……。お兄ちゃんを困らせては駄目よ」
「だって! いやなんだもん!」
立ち上がり、奈流は透に抱きついてわんわん泣き、先ほどの要望を繰り返す。
透は何も言えずに、血の繋がってない妹の後頭部を撫でる。髪の毛が指の隙間をさらりと流れる。
しゃくり上げる奈流に感化されたのか、必死でお姉ちゃんの体裁を守っていた里奈も、とうとう嗚咽を堪えきれなくなる。
「私だって、お兄ちゃんと一緒がいいよぉ。ママが死んで、邪魔者みたいにされた私たちを、受け入れてくれて、家族にしてくれた、お兄ちゃんのそばで暮らしたいよぉ」
普段の丁寧な口調ではなく、涙と一緒に心の奥底からの願いをこぼす。
やがて言葉はなくなり、姉妹は一緒になって透の胸に顔を埋めて泣いた。
悲しみが悲しみを呼んで、胸が破裂しそうだった。どうして自分はこの子たちを守ってやれないのかと、心の中で呪いの言葉を吐いた。
二人をさらって他の土地へ行ったところで、確実に悪い結果にしかならない。これまで応援してくれた人たちにも迷惑をかける。
どうすればいい。どうしたらいい。考えても、悩んでも、透の頭に妙案は浮かんでくれない。
噛み千切れそうなくらい下唇に歯形をつけ、透は力一杯二人の妹を抱きしめる。
父親を失い、親戚付き合いもない。収入は少なく、今後は一人で生きていくのだろうと思っていた。
そんな時に現れた突然の家族だった。
実際は正式に血は繋がっていなかったが、生活もとても苦しくなったが、それでも明かりが灯っている家へ帰れるのは嬉しかった。
血がどうこうは関係ない。現在の透にとって、里奈と奈流は間違いなく家族だった。妹だった。それがどうして離れ離れにならないといけないのか。
ぐるぐると巡る思考。気がつけば透も泣いていた。
三人で号泣し、感情を爆発させたことで気持ちもすっきりしたのか、目的の駅に着く頃には少し落ち着いていた。
「降りるか」
透が言い、無言で二人が従う。
涙に濡れた頬は若干掘れぼったい。リュックを背負った姉妹は、自然と透の左右に立ち、繋ぐ手には力がこめられた。
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