第31話 遊園地

「どーん」


 どこからか声が聞こえたかと思ったら、とんでもない衝撃で透は目を覚ました。


 腹部に隕石でも落ちてきたのかと、大慌てで妙に重い自分の腹部の上を確認する。


 そこには人間布団ならぬ奈流が、楽しそうな笑顔で布団で横になっていた透と十字の形を作っていた。


 透の目覚めを知るなり、彼女はにぱっと笑う。あまりの無邪気さに怒る気も失せ、両手を上げて降参する。


「あれ? 奈流?」


 トイレにでもいたのか、台所に戻った里奈が誰もいない現場に首を傾げる。


 そのまま顔を動かし、透の上に乗っている妹を見て絶句する。


「何をしてるの!? あれほどお兄ちゃんを無理に起こしたら駄目と言ったのにィ!」


 動揺と憤怒を混ぜ合わせた形容し難い表情で、里奈は悪びれもせずにけらけら笑う妹の首根っこを掴む。まるで猫を持ち上げる時みたいである。


 強制的に布団の上からどかされた奈流だが、姉の注意をものともしない。満開の笑みを披露しつつ、畳の上を楽しそうに左右へ転がる。


「起こすなら、もう少し優しいのがよかったな」


 微苦笑し、上半身を起こす。


 今日は日曜日。約束した通りに、家族で遊園地へ行く日だ。


 食卓の上に置いていた携帯電話を手に取り、現在時刻を確認する。


 早朝六時。夏が近いのもあって、外はすでに明るい。


「どうやら晴れてくれたみたいだな」


 台所横にある窓から差し込む日が、絶好のお出かけ日和なのを教える。


「えへへ。ゆうえんちー。奈流、いったことないんだー」


「遊園地と言っても県内のだから、東京の有名な所みたいな規模じゃないぞ」


「それでも嬉しいんですよ。家族揃ってのお出かけですし」


 里奈が妹の心情を説明する。彼女もとても嬉しそうだ。


 すでに米は炊きあがっており、顔と手を洗ってから透と奈流でおにぎりを握る。


 一方で里奈は背伸びをして、台所で卵焼きを作る。完成度は透が作った場合と比べものにならない。


 だいぶ料理が上手くなったとはいえ、さすがに奏や綾乃ほどではないので簡単かつ子供が好む品が並ぶ。


 卵焼きにウインナー。冷凍食品の小さなハンバーグにえびの乗ったグラタン。


 弁当箱へ皆で詰め込みながら、あれやこれやと遊園地について話す。


 一秒を惜しむように、全員がよく喋った。おどけ、笑い、楽しむ。どれもが全力だった。


 遊園地までは電車で行くことにしたため、リュックを背負った里奈と奈流を連れて駅まで歩き、途中でコンビニへ立ち寄って好きなおやつを選ばせる。


 姉妹が熱心に商品とにらめっこをしてる間に、透は一度コンビニの外へ出て綾乃へ電話をかける。


 透らのために各方面を駆け回ってくれている綾乃の声は、さすがに疲労が隠せなくなっていた。


 朝の挨拶をしてから、彼女に三人で出した結論を伝える。


 一瞬の静寂のあと、沈痛な声が受話口から聞こえた。


「力になれなくて、ごめんなさい」


「いえ、もう十分に助けてもらいました。俺もあの子たちも綾乃さんには感謝しています」


 電話を切り、今度は奏にかける。


 日曜日はスーパーにとって稼ぎ時なのに、理由も言わずに申請した有給休暇を許可してくれた。


 昨夜はどう説明すべきかわからず有給休暇の話しかしなかったが、今朝はきちんと事情を告げる。


 客の出入りするコンビニの自動ドアが開閉するたび、店内の音楽が横に立つ透のところまで流れてくる。


 視線の先にはスイーツコーナー。目当てのプリンとにらめっこしている姉妹がいる。


 しばらくの無言の時間を経て、返ってきた言葉は「そうか」の一言だけ。


 薄情なのではなく、奏自身もどう対応していいかわからなかったのだろう。


「今回急に休んだ分も含めて、あとで必ず取り返すよ」


 必要な報告を終えた透は電話を切り、決して暗い表情にならないよう気を遣いつつ、二人のもとへ行く。


「あ、お兄ちゃん。プリンは大きな方がいいよねー」


 両手で持ったビッグプリンを、どうだとばかりに掲げる奈流。


 譲らない妹に、隣では里奈がため息をつく。


「チョコレートも買ったでしょ。そんなに甘いものばかりだと、お弁当が食べられなくなるわよ」


「みんなでたべればいーんだよ」


 どうあってもプリンはビッグサイズのを買うようだ。なんとなく奈流らしいと思った透は、微笑んで彼女から受け取ったプリンを買物カゴに入れる。


 やったと喜ぶ奈流が、続いてすっかりお気に入りとなったミルクチョコレートもカゴに入れる。やはり里奈と一緒に食べるつもりらしかった。


「お兄ちゃんにもわけてあげるね」


「それは楽しみだ」


 買い込んだおやつは駅のホームで電車を待つ間にも食べる。おかげで暇をせずに済む。


 県内の遊園地へ移動するだけなので、目的地までは一時間程度で着く。


 窓枠に両手を置き、流れる風景に奈流は「おー」と感動の声を上げる。


 隣に座る里奈も妹の背後から覗き込むようにして綺麗ねと呟く。


「そうか? 田舎だから田んぼばかりだろ」


「でも、この町はお兄ちゃんと過ごした場所だから」


 少しでも目に焼き付けておきたい。里奈はそう言った。


 照れと寂しさと。複雑な感情を隠すように、透も車窓へ顔を向ける。


 三人で見る景色は確かに綺麗だった。





 無事に開園直後の遊園地に到着する。


 入場を済ませ、有名所ではないにせよ、それなりの敷地面積を誇る遊び場に奈流が瞳を輝かせる。


「おー! おー! ゆうえんちだよ、お姉ちゃん!」


「そうね。奈流は何か乗りたいのがあるの?」


「ジェットコースター!」


 やっぱりか。絶叫系が苦手な透は、覚悟していたとはいえ顔を青ざめさせる。


 断れば悲しませるので、どうしたものかと悩む。可能であれば、絶叫系だけは姉妹で楽しんでもらいたい。


「どうした。ゾンビみたいな顔になっているぞ。ジェットコースターが苦手なのか?」


「昔から得意ではないな。基本的に高い所が苦手――って、ええっ!?」


 大げさなくらいに目を見開く透を見て、出勤時に着用しているパンツスーツ姿の奏が笑う。日光を浴びる上半身の白いブラウスがなんとも眩しい。


「ど、どうしてここに? さっき電話したのに……」


 途中で言葉が出なくなる。それほどに透の驚きは大きかった。


「バックヤードと売り場の出入口付近で、君と電話で話していたのを戸松君に聞かれてしまってな。彼もクレームの件で事情を知っているから黙っているわけにはいかなかった。透の決断を伝えると、すぐに会いに行けと競合店調査の名目で売り場から追い出されてしまってな」


 どことなくばつが悪そうに頬を掻く奏の隣には、シャツの上にカーディガンを羽織り、下はジーンズという恰好の綾乃もいた。


「私は小学校も休みだしね。自宅で、奏から透君の決断を聞いたかと連絡を受けたの。家へ会いに行くと言ってたから、皆で遊園地へ出かけてるわと教えてあげたのよ」


 そういえば綾乃だけには、今日の予定を伝えていた。心配するかもしれないと配慮してだったが、まさかここで遭遇するとは夢にも思わなかった。


「家族水入らずの時間にお邪魔をするのは申し訳なく思ったけど、せっかくだから私たちも里奈ちゃんや奈流ちゃんと遊びたいじゃない。ねー?」


「ねー」


 首を横に傾けて同意を求めてきた綾乃に、奈流はすぐに応じる。はしゃぎっぷりは変わらないので、新たに二名が合流しても問題はなさそうだった。


 どうすると透は目で里奈に意見を求める。


「綾乃さんと奏さんにもお世話になりました。挨拶をする機会を頂きたいと思っていたので逆に良かったです」


「そう言ってもらえると助かる。相変わらず小学生とは思えない発言内容だがな」


 苦笑する奏が、家族での遊園地に綾乃ともども加わった。


 早速透が荷物番をして、奈流希望のジェットコースターへと向かう。メンバーは綾乃と里奈を含めた三人だ。


 どうして残ったのか尋ねると、ベンチで隣り合って座る奏が照れ臭そうに言った。


「透が一人では寂しいと思ってな」


「そうか」


「ああ」


 短いやりとりを終え、ジェットコースターに乗って楽しそうな悲鳴を上げる三人を眺める。


 日曜日なのもあって人は多いが、一つのアトラクションを遊ぶのに何時間待ちにはならない。せいぜいが十五分程度だ。


 夏休みになればもっと賑わうだろうが、連休でもない日曜日ともなればこのくらいの混雑が普通だった。


 単純に上から降りてくる形式のものなのだが、奈流は一度乗ってすぐにジェットコースターが気に入ったみたいである。


 大好きな姉の手を引っ張り、すぐにまた並ぼうとする。乗り気な里奈と違い、綾乃は一度で満足したのか奏を手招きして呼ぶ。


 今度は奈流と里奈の姉妹に、奏を加えた三人でジェットコースターに乗り込む。代わりに透の座るベンチには綾乃がやってきた。

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