第6話 共同生活の始まり
「そうなの!? お姉ちゃん、すっごーい!」
目をキラキラさせる奈流とは対照的に、里奈は戸惑う一方だ。
「え? そ、それはどういう意味ですか? まさか私の出自に何か秘密でもあるんですか?」
「いや。言葉遣いや考え方が小学生のレベルじゃないだろ。今だって当たり前のように出自なんて単語を使ったしな。小学校じゃまだ教えてくれないだろ」
透の指摘を受けて、里奈は納得したという感じで小さく「ああ……」と言った。
「小学校に上がる前から本を読むのが好きだったんです。特にママが夜、家にいるようになってからはお金がなかったので、よく図書館を利用していました。でも漢字ばかりで読めなかったりするので、そのたびに読み方や意味をママや武春お――父さんに聞いたりしました。覚えた漢字を読み仮名や意味を含めてノートに書いておくと、次に同じ漢字が文章に登場した時に便利なんです」
要するに自分専用の辞書みたいなのを作ったのだ。スムーズに読むための工夫とはいえ、普通はそこまでしない。よほど里奈は本が好きなのだろう。
それに、透にとって気になる点もあった。
「里奈は親父と会ったことがあるのか?」
「何度か。よく遊んでもらいました。最近は来ないので、ママもどうしたんだろうと心配してました。迷惑をかけたら駄目だからって、連絡はしてなかったみたいですけど」
「奈流もね、小さいときにあそんだよ。すっごくやさしいのー」
手を上げ、正座したままぴょんぴょん跳ねるような動きをする奈流。当時を思い出しているのか、とても楽しそうだ。
「そうか。優しかったか」
ふと透の脳裏に、笑顔で幼い姉妹を相手にしている武春の姿が浮かんだ。簡単に想像できるほど、父親は二人のイメージに近い存在だった。
声を荒げることはなく、すべてを包み込む海みたいな存在。そして見ている側が恥ずかしくなるくらいに母親一筋だった。
軽く頭を振る。疑問はあれど、姉妹を例の神崎律子のもとへ戻すことはできない。当たり前のように多額の借金を法外な利息付きで背負わせる人間だ。
病気になってからは会ってなかったみたいだが、父親と姉妹に面識があるのも不思議と信じられた。
「やれやれ。俺もずいぶんと人の好い人間だったんだな」
ため息と一緒にこぼした言葉を、里奈が耳ざとく聞いていた。
「武春お父さんが前に言ってました。息子がいるけど、とても真っ直ぐに育ってるって。ただ自分より他人を優先する傾向があるので、将来は誰かに騙されたりしないか心配だって」
「親父がそんなことを? いや、その前にお前らに俺の存在を教えたのか? 隠し子やその母親がいる前で本妻の息子の話をする? なんだか頭がこんがらがってきたな」
「あ! あの、その、なんていうか、ええと……お兄ちゃんはいい人だってことです!」
フォローなのか話題を変えようとしているのかはわからないが、力強く断言されたのでとりあえず透はありがとうとお礼を言った。
まだ聞きたいこともあったが、話を遮るように奈流のお腹が唐突にぐうと鳴った。
奈流は照れ笑いをして、隣の里奈は自分事のように恥ずかしがる。
「す、すみません」
「謝る必要はないさ。昨日の夜もおにぎりしか食べてないんだろ? だったら腹が減って当然だ。俺は十時には仕事だし、全員で朝飯にするか」
立ち上がり、食卓脇に置いてある炊飯器を開ける。なんとか三人分はありそうだ。
続いて台所に行って冷蔵庫の中身を確認する。
「私もお手伝いします。ママといる時もそうしていたので、目玉焼きとか簡単なものなら作れます」
実に頼もしい八歳児である。
一人暮らし経験のある透も料理はできる。しかし難しいものは苦手だ。それでも平気で暮らせているのは、会社の社員食堂のおかげだった。
大半はそこで夕食を取る。早めに帰宅できたり、翌日が休みの場合は勤務終わりに食品売り場へ立ち寄る。
割引シールが貼られると大抵が売り切れてしまうが、残っているものを購入して翌日の食料とする。
そのため、立花家の冷蔵庫にはほとんど買い置きがなかった。
「頼もしいが、今日は大丈夫だ。生憎と手伝いがいるほどの料理は作らないからな」
フライパンに油を引き、切ったソーセージを焼いてから卵を投入。一緒に掻き回してお得意のソーセージ卵の完成である。
見事な男料理だが意外と美味しいので透のお気に入りだ。
二つあるガスコンロのもう一つではお湯を沸かし、健康食品の減塩のインスタント味噌汁を作る。
レンジで温めたご飯と一緒に並べれば朝食の完成だ。
ママの手料理と違って貧相などと言われないか心配したが、おおーと身を乗り出して食卓の上を注目している奈流を見る限り大丈夫そうだった。
牛乳を飲む習慣はないので、朝は昨夜にも姉妹に飲ませたジャスミンティーをつける。
食器は透や武春が使っていたので今朝は我慢してもらい、いただきますをして食べる。
塩で味付けするのも、醤油やなどの調味料をかけるのも自由だ。
ソースなどではなく、姉妹は揃って醤油を選択した。
「んむっ。おいしいね、お姉ちゃん。えへへ。あったかいごはん食べたの、久しぶりー」
はしゃぐ奈流を嗜めつつも、そうねと里奈も笑う。
「久しぶり? これまでは何を食べてたんだ?」
「おにぎりー。神崎のおばちゃんが食べろって買ってきたのー」
「おにぎりって、まさか母親が亡くなってからずっとじゃないよな?」
「ずっとー。チンがなかったから、冷たかったのー」
幸せそうに味噌汁をすする奈流を見てると、反射的に同情しそうになる。こんな透だからこそ、亡き父も将来が心配だと言っていたのだろう。
確かに透は他人を信じやすく騙されやすい傾向がある。そんな自分をよく知っているだけに、なんでも疑ってかかるように心がけてはいた。
にも関わらず、正確には正体不明な姉妹を成り行きとはいえ受け入れてしまっているのだからどうしようもない。
あまり感情移入しないようにと自分に言い聞かせつつ、透は奈流にそうかとだけ返した。
どうやら姉妹は母親を失って以降、ろくな生活を送らせてもらっていなかったようだ。
悲壮感はないが、この話題を続けていると暗くなるかもしれない。
会話を一旦区切ってから、透は「ところで」と新たに喋り出す。
「学校はどうしてたんだ。二人とも小学校には通っていたんだろ?」
「ママが亡くなってからはずっと休んでます」
「そうか。先生や友達は心配しているだろうな」
微苦笑する里奈に代わり、奈流がそんなことないよと唇を尖らせる。
「みんな、奈流にいじわるばかりするもん。お昼も食べたらだめとか言われたもん」
借金を重ねていた当時の野々村家の財政状況と奈流の話を合わせれば、給食費を滞納していたのだろうと推測できる。
教室で集める際に誰かが騒ぎ立て、仲間外れにされていったに違いない。
普通は教師が守るべきなのだが、モンスターペアレントも多い昨今、そこまで期待するのは酷なのかもしれない。
「だからきっと、奈流がいなくてよろこんでるよ」
「奈流……」
慰めるように里奈が奈流の手を握る。何より妹を大切にしているのが伝わる。
考えてみれば里奈にとって、母親と同じ血の繋がった家族は妹だけだ。仮に透が本物の兄だったとしても、異母兄弟になる。
どんな行動をとっても、離れたり失いたくない気持ちはなんとなく理解できるような気がした。
■
「君は阿呆か」
午前十時まであと少し。
勤務先の家電売り場へ入るなり、透にかけられた第一声がそれだった。
まだ開店前ということでお客さんは入っていない。
前に立つのは制服のスカート姿の女性である。
「はい? 意味がよくわかりませんが、ひとまずお疲れ様です」
社員同士で行うお決まりの挨拶をする透に、前髪の右側だけをヘアピンで止めているショートヘアの女性が顔をしかめる。
「言葉通りの意味だ。私にはとても信じられない」
目鼻立ちが整っており、呆れ果てたような表情でさえも彼女の美貌を崩せない。
首を左右に振る女性の顔が迫る。
身長は透の方が高いので、下から覗きこまれるような体勢になった。
「母から聞いたよ。お父上の隠し子の面倒を見るそうだな」
他人事なはずなのに、女性の言葉には怒気が含まれている。
透の白ワイシャツに締めている紺色のネクタイを掴み、互いの顔を隔てる距離をさらに少なくする。
「君は子育てを甘く見ている。赤子ではなくとも、人の世話をするというのは難しい。それに子供の寂しさもある。気楽な気持ちで引き受けたのであれば、今すぐ考え直すのを勧める」
いつになく低い声を出す女性。これでは勧めているのではなく警告だ。
「手を離してください。綾乃さんから何て聞いたんです?」
どうしてここで昨夜に透が相談した綾乃の名前が出るかといえば、女性の母親こそがその綾乃だからである。
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