第8話 冬樹の日記

 珠子は、新しい御神木の祠の前に立った。祠の扉を開け、日記を取り出す。



 ――この交換日記も、これが最後になります。今日栄様の御神木の影が出て言ったのです。

「出て行くことは許さん、お前は贄になれ。ならぬなら珠子を喰らう」

「そうしよう」と僕は答え、珠子を返しました。


 いつも僕は栄様の御神木に本心を気付かれぬ様、心を閉ざして押さえの任にあたってきました。

 けれど珠子の思いがけない言葉に心が乱れて、御神木に本心を読まれ気を全て食われてしまった。

 そうなってしまっては言霊に縛られて、もう僕に逆らう力はありません。

 貴女は「逃げてくれ」と僕に言いました。

 貴女の最初の夫、僕の祖父はその言葉に従った。

 そしてどうなりました? 僕の父が贄になりました。

 母の目の前で生き埋めにされました。


 もう、あの欅は悪鬼になっています。大槻の血を欲しがって狂い出しています。

 だから僕はあの木の言葉どおりに、死んで贄になります。

 ただし、埋めるのは栄様の木ではありません、珠子の木です。


 栄様の木は、僕の気を喰らったとはいえ、昼に現れるという無理をして、今は力を使い尽くしてしています。

 その間に事を済ませてください。

 この日記を、秀雄おじさんと久保村に見せて。二人なら引き受けてくれます。

 夜は避けて、必ず日のあるうちに済ませてください。


 気になるのは、明日の日蝕です。真昼が夜になる特別な日、何かが起きるかも知れません。

 でも、僕が気を注いで育てた珠子の木が、きっと珠子を守ってくれると思います。

 栄様、ぼくは冬太になります。貴女はそれを望んで珠子を産むため僕と契ったのです。

 あの時、栄様の御神木は何も言わなかった。あいつは初めから珠子を贄にしようと狙っていたのでしょう。

 僕の運命は珠子が生まれると分かった時から贄と決まっていました。

 それを僕も望んだのです。

 貴女と大槻の家の役に立つ男になりたい、鬼っ子のささやかな反抗です。 

 

 貴女が珠子とこの家の為に、これから何をするか、僕は知っています。

 止めるわけにはいかないのもわかっています。

 だから僕は先に行って待っています。


 今まで大事に守り育てていただき、ありがとうございました。さようなら。




 お兄ちゃん、やっぱりあの影はお兄ちゃんだった。

「じゃあ珠子のお父さんはやっぱり……久保村くんの話は嘘?」


「どちらも本当のことなんだよ、珠子や」


 後ろから声をかけられ、振り向くとあの切り株の老婆がいた。

その隣に立っている女は、写真で見た事がある。

先代の珠子、栄様の曽おばあ様の、二代目珠子だった。


「お年寄りを歩かせるのは酷ですよ、三代目」


 そう言うと、二代目の珠子は、老婆の手を取って離れの縁側に座らせ、自分は横に立つ。


「まったく、その辺のことを話そうとしたのに。

珠子や、なぜ冬樹がここに住み、木守りの押さえができたと思う?

 冬樹は木の心が読めた。それは本来、大槻の血の濃い巫女にしかできないこと。それができた冬樹は外見は男に生まれたが、本当は女。

だから子種が作れない、私の父の冬太の様に」


 父の冬太……じゃあこの方は初代珠子様なんだ。


「冬太に子種はなかった。しかし栄の体に気を注ぎ、分身を作らせることができた。栄に玉祝りの巫女の分身を産ませることがな。

 御神木は挿木で増える。玉祝りの巫女も同じことをした。

木が悪鬼になって悪さをした時に、いつでも戻ってきて滅ぼせるように」


「人には頼れる依代が必要だった。でも人々の木への信仰は木をつけ上がらせ、また人を操る危険が出始めた。

 江戸の終わり頃、とうとう分身達が騒ぎだした。

だから私の母は初代様の切り株を通して初代様と相談し、私が生まれた。

でも木の力が強くなり過ぎて、その後の八十年を凌ぐので精一杯。

 明治維新、日清・日露戦争、大東亜戦争の後、意気消沈した国民の気を受け、やっと分身たちも大人しくなってくれて、その後を栄がついだの」


 二代目珠子がそう言った。


「お前も我らが来た以上、終わりは覚悟しような」

 初代が栄の欅を睨め付ける。


 ザワザワと欅が身震いした。

 周りに瘴気が立ち込めていた。


「日の光と我らのあるうちは、何も出来まい。太陽も女も、お前の力の源泉。 押さえの要に逆らえるわけはない。所詮は悪あがき。

 栄が死んで代が変われば、お前は御神木から、ただの木端に変わる身ぞ」


 栄が死ねば――ママが死ぬ?

 カタン、その時離れのガラス戸が開いた。栄だった。

 何故か、叶の花嫁衣装を着ていた。


「珠子様がた、お越しくださりありがとうございます」


「栄か。それは当主が跡取りを作るときに着る、花嫁衣装だね」


「はい、二代目珠子様。白装束は、死を覚悟した証。この命の最後の使い所です。せっかく跡目に選んでいただきながら、勤めを果たしきれず、申し訳ありません」


「他人行儀な。昔どおりの曽おばあちゃんで良い。お前は立派にやり遂げた。

新たな珠子を産み、育てたのだから。

 華奢なお前に、跡目の任が重いのはわかっていた。

だが我の命が尽きるのが間近では、一番血の濃いお前に託すしかなかった。

冬樹のこと、辛かったろう」


「いいえ、冬樹とのこと、栄は幸せでした。家を守るため、新しい珠子を産むためだって言い訳して、でも本心でそれを望んでました。

 珠子ちゃん、ママは、冬樹くんを本当に愛してた。 

あなたは両親に愛されて生まれた大事な娘。

 でもね、私が死んで代がか替わればあなたが大槻の当主。

嫌なら大槻の家など潰していい。

 ただその時は、全ての元凶の冬太の植えた欅の御神木達を、始末して。

そのためには、自分の御神木と言霊の戦いをして、勝たなくてはならない。

それで全ての御神木の分身は、貴女の言葉に従う。滅ぼすことができる」


 栄は右手に持った剣を抜いた。

 叶が沙織を刺した、あの懐剣だった。

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