第3話―本題 ②―

 さて、佐藤が昼の約束を思い出したのは、仕事帰りに、ポケットの小銭がやけに多いのに気付いた時のこと。小銭を取り出した際に、くしゃくしゃになった鈴木の住所が書かれたメモも出てきました。


(そういや、鈴木と変な約束したっけ)


 アパートに帰り、テーブルに鈴木のメモをぽいっと放ると、冷凍しておいた白米で卵かけご飯をかっこんでひとごこち。シャワーでさっぱりした後、途中のコンビニで買ったビールとミックスナッツで一杯やってると、あっという間に眠気に襲われます。

 ベッドで横になった途端、佐藤の意識は途絶えました。


 丑三つ時をいくらか過ぎた頃、佐藤がうなされ始めました。悪夢を見始めたんでしょう。

 夢の中の佐藤は、薄暗い密室で小指の先ほどの芋虫の大群に襲われておりました。振り払っても振り払っても、袖や裾、胸元から虫が侵入してきます。潰せば潰した分だけ増えるそいつ等に飲み込まれそうになった、その時。


 すうっ


 吐息の様な音と共に、芋虫は一匹残らず消え、視界が明るくなりました。いつの間にか、爽やかな風が吹き抜ける美しい草原で、大の字になっていたのです。


(なんて気持ちが良いんだ)


 深呼吸し、目を閉じた佐藤。そのまま夢の中で眠りに落ち……


 ピピピピピピ。


 目覚ましのアラームで目覚めた佐藤は、今迄感じたことが無い晴れやかな心持ちに驚きます。

 まず、身体が軽い。前日の疲れなんてこれっぽっちも残ってない。視界も心なしかいつもよりも鮮やかだし、頭の中だって、脳みそを入れ替えたんじゃないかって位にクリアです。得も言われぬってのは、こういうことなんでしょう。

 がばっと起き上がった枕元には、テーブルに放った筈の鈴木の住所が書かれたメモが一枚。よく見ると、『ごちそさま』と、ミミズののたくったような字が書き足されてます。戸締りは万全ですから、侵入者が居る筈が無い。とすれば、自分が寝ぼけて書いたのか、それとも……


(……本当に、獏が?)


 メモに書かれた字は勿論のこと、目覚めの気持ち良さは聞いてた以上なもんですから、半信半疑は確信へと変わります。


(鈴木じゃないが、今ならなんだって出来そうだ)


 一種の万能感とでも言やあいいんでしょうか、ありとあらゆるマイナス要素が身体から無くなって、本来以上のパフォーマンスを発揮出来るという確信。世界は自分の為にあるんじゃないかとすら感じられます。佐藤は珍しく朝食なんぞを拵えて、気分良く仕事に向かいました。

 職場じゃ、午前中の佐藤の仕事ぶりに、皆が目を見張ってます。そんなこんなであっという間に昼休憩になり、佐藤と鈴木は連れだってランチに向かいました。

 人気の無い喫茶店に腰を落ち着けると、にこにこ顔の鈴木が頭を下げます。


「昨夜はご馳走様でした。早速見てくれたんすね、悪夢」

「好きで見た訳じゃないけどな」

「リアちゃん、ご機嫌でした。ありがとうございます」

「そりゃ良かったな」


 やはりあのメモに足された文字は、獏からのお礼だったようです。

 鈴木曰く、獏は、住所さえ分かれば飼い主の夢から他人の夢に渡ることが出来るんだそうで、佐藤が悪夢を見るまで、ずっと夢渡りさせるつもりだったんでしょう。


「あ、でも、どの子も夢渡りする訳じゃないみたいですよ。僕に懐いてるから、迷子にならないで帰って来られるんです。本当に賢くて可愛いんすよ。それより、どうですか、悪夢を食べられた気分は」

「ああ、最高だ。お前もいつもこんな感じなのか」


 でしょう、と、何だか鈴木は得意気です。いや、別にお前の手柄じゃねーだろ、という言葉をぐっと飲み込む佐藤に、鈴木が両手を合わせます。


「先輩、もし良ければなんですけど、これからも時々悪夢を売ってくれませんか」

「そりゃ、別にいいけど」

「あざーす!」


 それからってもの、佐藤は時折、鈴木に悪夢を売る様になりました。鈴木の小遣い的にも、大体、月に一、二回ってとこでしょうかね。昼飯時なんかに鈴木が佐藤に代金を払って、その夜からリアちゃんが暫く夢渡りする。とはいえ、佐藤はしょっちゅう悪夢を見てますから、夢渡りは大抵その日で終わり、悪夢を食べて貰った翌朝の佐藤の目覚めは最高な上に小金も貰える、リアちゃんは満腹ご機嫌で鈴木もハッピー、二人、いや、二人と一匹の関係は上々です。

 この日の昼も、会社の屋上で、佐藤と鈴木は並んで仲良くコンビニ飯を食ってました。


「なあ、前に悪夢のネタが尽きたのかもって言ってたけど、もう全然見なくなったのか?」

「お陰様で」

「けど、夢を食われてなくても、毎日あんな風に気持ちよく目覚めてんだろ」

「そっすね」


 それなら、自分も悪夢を食べ続けて貰えれば、いつかネタが尽きてアゲアゲな日々が始まるかもしれないと、手にした鮭おにぎりに齧かぶり付いてほくそ笑む佐藤。近頃、月一、二回悪夢を提供する程度じゃあ物足りなくて、何なら自分が金を払ってでも悪夢を食って貰いたい位の心持ちなもんですから、その日が待ち遠しくてしょうがない。


 が。


「もしかしたら、リアちゃんのお陰かも。いつも頭をくっ付けあって寝てるんすけど、鼻息がくすぐったいんですよね。けど、それが凄く落ち着くって言うか、安心出来るんす。何かそういう成分でも出てるんすかね」


 鈴木の何気ない言葉に、佐藤の手からおにぎりがころっと転げ落ちます。悪夢を食ってもらうだけでは駄目かもしれないなんて、寝耳に水、考えたことも無かった。


 ――なら、もし自分の悪夢のネタが尽きたら、獏に食べて貰えなくなったら、どうなるんだ? あの、心地良い、何処までも澄み渡った、世界の全てに祝福されている様な目覚めは、二度と味わえなくなってしまうのか?


(嫌だ)


 恐怖にも似た強烈なその想いに手足を震わせ、佐藤は一瞬で考えます。


(どうしたらいい、どうすればずっとあんな朝を迎えられる……そうか)


 落ちたおにぎりを拾おうと腰を屈めた鈴木に、佐藤が掴みかかります。


「なあ……お前の獏、俺に譲ってくれよ」

「へ? 嫌っすよ。リアちゃんは僕の家族です。ちょっとその冗談笑えないっすわ」

「冗談じゃねえんだよ!」


 突然の先輩の豹変ぶりに、鈴木は戸惑うばかり。佐藤は据わった目で、がくがくと鈴木を揺すります。


「……分かった、なら、獏のブリーダーとやらを紹介してくれ。譲って貰えるよう、交渉に行くから」

「駄目っす。獏を盗もうとする輩が多いんで、絶対に秘密にしてくれって頼まれてるんです」

「頼む。誰にも言わないって約束するから教えてくれ」

「出来ませんってば。つか、先輩、どうしたんすか? なんかおかしいですよ……悪いですけど、僕、もう仕事に戻ります」


 鈴木は佐藤の手から抜け出し、逃げるように屋上を出て行っちまいました。暫く固まってた佐藤でしたが、スマートフォンを取り出して、獏のブリーダーについて調べ始めます。が、皆、そうとう用心深くやってるんでしょうか、何の情報も出てこない。

 鈴木はリアちゃんを譲る気は無さそうだし、ブリーダーの居場所も分からない。それどころか、鈴木のあの調子じゃ、もう悪夢の取引もしてくれないかもしれない。そうなれば、もうあの朝を迎えられない。

 ……やがて佐藤は、ふらふらと屋上を後にしました。

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