第45話 人道的じゃない


 突然耳元で聞こえてきた誰かの声に驚き、ジェイドが目を見開く。

 するとこれまで感じてさえいなかったが、自身の身体に巻き付いていることに気付く。


「油断と欺瞞ぎまんは紙一重。なんか昔、爺さんがそんなこと言ってたわ、知らんけど」


 ゆるく全身を覆っていた糸に力が込められ、ギュッと体を絞め上げる。気付かぬうちに絡めとられていたジェイドは、糸を解こうと力を込めた。しかし糸の強度は凄まじく、しかもそれが折り重なった状態となれば、なおさらである。


「釣り糸を舐めちゃダメよ。考えてもみてよ、あれだけのサイズを釣り上げるんだから、簡単に切れてちゃ話にならないじゃん? それに――」


 聞こえてくる声が少しずつ離れ、糸の先からゆらりと影が映り込む。

 釣りでもするかのように竿を手にしたその人物は、自らが開発した釣り用のリールを巻き上げながら、得意気に鼻をすすった。


「なッ、キサマ、どうやって!?」


「どうって、その先のちょっと離れたとこに隠れてただけですけど……」


「ちょっと離れただと!? ふざけるな、結界の貼られていたこの地下空間に、そんな場所は!?」


「と言われましても……」


「ありえん。ふざけるな、キサマ、何をした!?」


「あーもう面倒くさい面倒くさい。話を聞いてくれない脳筋はこうしてこうだ!」


 突如部屋に出現してしまったあの《 黒い生き物 》に小心者が相対したときの如く、カワズはびくびくしながらリールに付いたボタンを押した。すると超強力な雷系魔力が糸を伝って流れ、ジェイドに直撃した。衝撃でダメージを受けた王国最強の戦士は、痺れる身体と意識を保つのがやっとで、その場に膝から崩れ落ちた。


「あわあわ、ああ、やっぱりマズいかなぁ、やりすぎかなぁ……。やっぱり魚釣り用のショックウェーブを人に向けて使うなんて人道的じゃないよなぁ。でもこうでもしないとこっちがやられちゃうし……、ええい念の為もう一回、おりゃっ!」


 再度ボタンを押すと、「ウガッ!」という唸り声とともに、ジェイドが動かなくなった。

 深呼吸しながらふぅと額の汗を拭ったカワズは、どうにか殺されずにすんだと胸を撫で下ろした。一時はどうなることかと危ぶんだものの、なんとか逃げ切れたと一服しているジジイのような顔で項垂れた。


「な、ば、そんな……。じぇ、ジェイド……?」


 背後で全てを目撃したカイルは、ジェイドを気にかけ手を伸ばした。しかし指先が触れるか触れないかのタイミングで、全身にグググと力を込めた大男が、それを拒否した。


「え~、うそ~、やだ~」


 正座したまま数秒気を失っていたジェイドは、一瞬であれ、相手にしてやられた己の無力さと、簡単に気を失ってしまった無様さから、震えるほどの怒りと狂気を露わにし、鬼面のような顔を起こした。

 その姿は縄で捕らえられた罪人のようでもあり、身体を拘束され歯ぎしりする様は死に際の化物のようですらあった。


「よくもこの俺に一撃入れてくれたな。もう遊びは終いだ。こんな玩具で俺を殺せると思ったか小童」


 太もも裏に忍ばせていたアダマンタイト製のナイフで糸を斬ったジェイドは、先程の倍の力を込め、出血することもいとわず残り全ての糸を引きちぎった。「なにこのバケモノー!」と悲鳴混じりにひっくり返ったカワズは、赤ちゃんのようにハイハイしながら逃亡を謀るしかなかった。


 肩で息をし、ターゲットから目を離さぬようにゆっくりと歩みを進めたジェイドは、氷に刺さっていた大剣を手に取った。煮え滾にえたぎるほどの魔力が氷に引火し、水面を青白い炎が覆い尽くしていく。漠然とその光景を見つめていた王族三名は、飛び跳ねる火の粉の熱さを頬に感じながら、言葉なく見つめていることしかできなかった。


「五体満足で帰れると思うな。勝負はこれからだ」


 完全にキレてしまったジェイドの様子に、あわあわと歯を上下させるしかないカワズは、糸が切れた竿を握りしめ、途方に暮れるしかない。


 恐怖で身体が動かなくなるのは生物の性である。

 ふにゃふにゃと腰を抜かしたまま、真赤な眼を血走らせる巨大な化物を見上げながら、「終わたぁ~(泣)」と嘆いた。


「次は外さん。一撃で葬ってくれる」


 吐き出す息が紫色に変色するほどの魔力を滾らせながら、ジェイドが大剣を振り上げた。死ぬ寸前の魚のように口をパクパクさせたカワズは、「無理ぃ~」と気が抜けたコーラのような声を絞り出すので精一杯だった。


 大量の空気をまとった剣が、ゆっくりと振り下ろされる。

 真っ二つにされたら面白そうな格好で倒れたカワズが、「イ゛ヤ゛ァァァ」と悲鳴を上げた。しかし剣先が彼の頭に触れるすんでのところで、誰かの言葉が地下空洞に響いた。




  《 ハイッ、そこまで。おやめください! 》


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