第38話 逃れられないプレッシャーと強迫観念


 彼女の回答が正しいものなのか、それとも的外れなのかは、誰にもわからない。しかしこの小癪なが、意図的に何かを企んでいることだけは、瞬時に全員が理解した。


「さぁカワズ、行くのです! この先の細い廊下を左へ曲がり、突き当たり一つ目のお部屋へ飛び込みなさい。そこに貴方のが待っております!」


 てっきりまた『覗いちゃうぞさん』を使った諜報活動をさせられるものだと想像していたカワズは、「新たな」という単語に、再度の嫌な予感に襲われていた。

 指示された最後の角を曲がると、荘厳かつ精彩に象られた戦士の像に挟まれる高貴な扉が現れた。もはやそれだけで "マズいですよ" と悟ったカワズは、自然と急ブレーキをかけ、ピタリと停止した。



《 ここから先へ進んではなりません。先生との約束ですよ 》



 その時 彼の脳内では、中学時代の恩師が焦り顔で忠告している姿が延々と繰り返されていた。

 校長室の荘厳な扉を前に、イタズラを目論む悪ガキ連中に、ここから先へ進んではいけない、進めば大変なことになりますと警告している例の姿である。加えて、


 《 進めばヘビに咬まれます 》

 《 進めば宝くじが外れます 》

 《 進めばハゲます 》

 《 進めば生涯枝豆が食べられません 》


 こんな呪いのような言葉を投げ掛けてまで必死で制止してくれている恩師の必死な姿。しかしそんな恩師の必死の抵抗ですら、横から口を挟むアメリアのたった一言によって、儚くも一瞬で砕き去られてしまう。



「進まなければよ、行きなさいカワズ」



 残念ながら、彼に止まるという選択肢はなかった。

 しかしだからといって、とめどなく溢れる涙が止められるはずはない。

 もちろん涙だけではない。語るまでもなく、鼻水も出ている。口からはヨダレも、さらには下の方も、少しだけ漏れていた。


 豪華で重厚な扉をドゴンと開ければ、中央に備えられた巨大な物体に目を奪われる。それは映画やテレビでしか見たことのないような貴族御用達のゴージャスすぎるベッドで、ちょうど真ん中には、あまりにも優雅なお召し物を纏った人物が横になっている。言うまでもなく、バングル国の王、バングル三世だった。

 数年に渡り寝たきり状態が続いている王は、目を閉じたまま身動ぎ一つすることなく、ただ静かに眠っている様子だった。


『うんうん、こんなのダメに決まってるよね。凡夫が王の寝室に許可なく入るなんて、バレたら死罪確定だよね、うんうん』


 これこそ正に2リットルの涙だねと、カワズはこれまでの人生を悔いた。そして逃げ出そうとした。しかし予見していたアメリアは、ドスの利いた声で「止まりなさい」と呟いた。


『む、無理だぉ、お嬢様、これ以上は無理ですぅ』


「無理ではございません。これから貴方は、お父様とお母様、そしてお兄様を、城から救い出すのです。もう時間はありません。貴方のかくれんぼ能力を駆使し、三人を救い出しなさい!」


 皇女の下知げじに雷が落ちたような衝撃を受け、カワズが漏らす。

 終わったんや、ワイの人生は、もう完全に詰んだんや、と


「大丈夫です。その程度の襲撃などで、私の計画は揺るぎませんわ。まずはお父様をお背負いになって部屋を出てください。ほら、急ぎなさい!」


『非力な私めに、どうしてそのような無茶を』という反論すら許さず、アメリアは国王を背負い、逃亡するようカワズに命じた。


 しかし彼は葛藤していた。本当に、このお嬢様の勅命を真に受けて良いものだろうかと。ただ彼がどれだけ葛藤したところで、結論など一つしかない。

 王を助けたにしろ、見捨てたにしろ、無断で王の寝室に侵入した事実は変えられない。侵入した=何か企てた、という事実は絶対に変わらない。よってこの事実を何者かに知られたが最後、彼の人生は完全に詰む。

 全てを放り出して逃亡したとて、エイヴに時間をかけて探られてしまえば、全て破滅してしまう。


 よって選択肢は一つ。

 自分が肯定される側に立つ。これしか方法はないのである!



「貴方はこの国の勇者になるのです。そのために逃げなさい、ほら逃げなさい、逃げるのです、さっさと逃げろ、カワズ!!」


 逃亡系シミュレーションゲームでも楽しむかのように、魔道具越しの彼女の声はハツラツとしていた。リリーとハーグマンは口を挟まず、ただ不憫な男の行く末を見つめるのみだった。


『もうやだ、おうち帰る~!』


 逃れられないプレッシャーと強迫観念から何も考えられなくなり、急かされるまま背中に王をくくりつけたカワズは、全てをかなぐり捨て寝室を飛び出した。

 廊下に出て数秒後、扉が閉まったことで王付きのメイドが異変に気付き、王の寝室へと駆け込んだ。言わずもがな、すぐに悲鳴が上がった。寝室に王の姿がないからである。

 カワズは耳を塞ぎ、「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」と叫びながら、悲壮感に満ち満ちた顔で崩れ落ちるしかなかった。

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