第30話 鳥肌


 三人が城を出た三十分後 城内 ――




「で、お嬢様はいついなくなった?」


 冷静、かつ淡々と部下に質問したのはジェイドだった。

 深夜三時過ぎまでは寝室にと、口伝えにいうメイドの言葉を聞きながら、男の隣で気怠けだるそうに揺れている女の頭を小突いた。


「おいエイヴ、寝てんじゃねぇ。聞いてんのか!?」


「はいはい、聞いてますよ。ったく、こんな朝早くから呼び出さないでくださいよ。私だって女の子だし、こう見えて低血圧なお嬢様なんですから」


「うるせぇ、さっさとやれ」


 はいはいと生返事したエイヴは、魔力探知のスキルを発動し、アメリアの寝室から彼女の魔力を辿った。廊下、中庭と進んだ彼女の魔力は、泉のほとりでパッタリと途切れていた。


「おかしいですね、ここでお嬢様の魔力残渣が途切れてます。まさか泉に……?」


 しかし泉は溺れるほどの深さもなく、十の歳の頃を過ぎた女性が足を滑らせ姿を消すには不十分すぎた。何より透き通るほど透明度が高い泉には数匹の魚影があるだけで、他に何ら違和感はない。


「エイヴ、探知の精度を上げろ。目一杯だ」


「目一杯って、どーせお嬢様お決まりのお戯れに決まってるでしょ。今回も悪巧みして、そのへんに隠れてるだけだよ、きっと」


「殴られたくなかったら黙ってやれ」


 眠そうにシュンとしたまぶたを擦り、ブツブツ呟きながらエイヴが魔力探知の力を強めた。しかし僅かな魔力の流れを辿るうち、彼女の眼は穏やかな寝ぼたような瞳から、獰猛な肉食獣の眼へと変貌していった。


「ねぇねぇジェイドさん。……これ、相当ヤバいね。見てよこれ、ゾクゾクしてきちゃった」


 鳥肌の立った肌を見せながら、エイヴがニタァと卑猥ひわいな笑みを浮かべる。


「確定だな。お前ら、衛兵をありったけ集めろ。総力戦でいく、抜かるなよ」


 腹の底から痺れる指示が早朝の城内に響き渡る。

 慌ただしく散っていく衛兵の足音が彼らの元へと届くにも、それほど時間はかからなかった ――



   ★ ★ ★ ★



 その頃、お嬢様は自身の境遇など構いもせず興奮していた ――


 街のど真ん中を誰にも気付かれず自由に歩いた経験など初めてのことで、誰かの視線を気にする必要すらない開放感に酔いしれていた。


「あのぉ、お嬢様。もう少し端っこ歩きましょうか。馬車に跳ね飛ばされてグチャグチャにされますよ」


「お気になさらないで。私はこうして真ん中を歩くのが大好きなのです」


「いや、ですから何度も言いますけど、お嬢様からは見えてますけど、相手はお嬢様のことが見えてませんので……」


「そんなことよりカワズ様。エアリス工房までは、まだ時間がかかるのでしょうか?」


 会話の相手がリリーであれば、全力の『知らねぇよ喧嘩クォーラルボンバー』を喉元へ叩き込んでいるところだったが、そうもいかないカワズは、自分だけ世間に姿を晒しながら、住民に工房の所在を聞き回った。

 どうやら城下街の東の東にあるというその工房は、なぜか庶民にも知名度があるらしく、皆が口々に「お前のような冒険者が、あんな場所に何の用が……」と呟いていた。


「お嬢様、そこには何があるのですか?」


「ですから秘密と申し上げたではありませんか。それよりカワズ様、あれはなんでしょうか。とても珍しい色をした果物ですこと!」


 呆れ果てて見向きもしなくなったリリーを尻目に、追われている事実をしばし忘れ城下探索を楽しんだ一行は、かなりの大回りをしながら城下の外れにある一角へと足を伸ばした。

 しかしそこは、一見しただけでも王族であるアメリアが訪れるような場所ではなく、仕事を失った浮浪者や、親を失った浮浪児が身を寄せる荒みきった地区だった。


 おおよそ貴族一人では歩くことすらままならない無法地帯を進む三名は、怪しい男がたむろする小道を通過し、浮浪者たちが横になった脇道をやり過ごし、やっとのことで目的の工房へと辿り着いた。


「本当にここなんですか?」


「ええ、確かにここですわ。早速入りますわよ」


 なぜかソワソワ足踏みしたアメリアは、自分の姿が見えていないことも忘れ、躊躇ちゅうちょなく工房の扉を開けた。コイツもバカ妖精と同じ無鉄砲族の一員かと、いい加減イヤになってきたカワズは、皆が工房に入るとすぐにズパンッと扉を閉め、姿を隠すのをやめた。


「どなたかいらっしゃいますか……?」


 雑然とした工房は薄汚れているうえに埃っぽく、店先に人の姿はなかった。

 ゴミなのだか、商品なのだかわからない備品が数々積み重なった様は転生前に見たゴミ屋敷そのもので、カワズの口から自然と「うへぇ」という声が漏れた。

 どうしてこともあろうに王族がこんな荒屋へと顔を見合わす二人をよそに、アメリアはハンカチで口を押さえながら、ずんずん中へ入っていく。


「アメリアさん、ちょっと勝手に行かないでよ、アメリアさんったら」


「……なんだい、アメリアだって?」


 リリーの声掛けに、三人と別の誰かが反応した。

 工房の奥から聞こえた声に覚えがあるのか、アメリアはさらに速度を上げてゴミの隙間を走り、炉の置かれた奥の間で作業していた人物を見つけるなり躊躇なく抱きついた。


「ハーグマン様、わたくしです、アメリアです!」


 突然の抱擁に驚きながら応えたのは、肉付き良く、歳の頃は30ほどの健康的なヒューマンの女性だった。汚れた白シャツの上に灰色のツナギを着たその人物は、ボサボサに束ねられた髪を掻き上げながら、「アメリア嬢ですか」と呆れながら返事をした。


「一体全体どういうつもりだい。こんな辺鄙へんぴな場所まで王族の嬢様が護衛も付けず……。それとも、もしかしてそちらのお二人さんがその護衛だとでも?」


 どうみても非力すぎる二人を懐疑的に見つめたハーグマンは、まぁいいやと近くの荷物が載せられた椅子をひっくり返し、アメリアが座れるスペースだけを確保した。そしてカワズとリリーには、「アンタらは勝手にしとくれ」と言った。


「それにしても急だねぇ。しかし……、事と次第によっちゃあ、こっちにも考えがあるよ」


 ハーグマンの視線が二人へと突き刺さる。確実に疑われていることを悟った二人は、心底面倒くさそうにアメリアへ話を振った。


「それでお嬢様、そろそろ私たちにも説明いただけませんか。なぜこちらへ出向いたのかを」


 渡し忘れていた差し入れをひけらかすが如く、パチンと優雅に手を打ったアメリアは、自分に注目を集めてからオホンと一つ間を置いた。


「もちろんハーグマン様に会いたかったからです。果たしてそれ以上の理由があるでしょうか?」


 流石の二人もアメリアの言葉に唖然とする。

 パアァと笑顔になった彼女は、平然と「冗談ですわ」と付け足した。


 ぶち殺すぞこのアマ

 額の血管が弾け飛ぶほどの苛立ちを隠しつつ、カワズが「お嬢様、冗談はそれくらいに」と前置きする。気にする素振りのないアメリアは、ハーグマンに抱きつきながら、ようやく事の顛末を語り始めるのだった。


「理由はもちろん賊の皆さんの悪事を暴くためですわ。そのためにはハーグマン様の力が絶対に必要ですもの」


 王族とは思えぬほど悪どくて粘っこい笑みを浮かべたアメリアに、「またですか、お嬢様」とハーグマンは手慣れたように受け流した。置き去りにされたカワズとリリーは、振り回されっぱなしな現状にやきもきするばかりで、もはや言葉も出なかった。



「ところでハーグマン様。いつもの……、ご用意いただけますか?」

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