第7話 焚き火

ーーー•


次の日の早朝。俺は肌寒さで自然と早くに目が覚めてしまった。ぼーっとしたまま半身を起こし、ルーカスとリリアンの方を見る。


…まだ薄暗い中、気持ちよさそうな顔で寝ている...。


俺は立ち上がり、2人を起こさないよう静かにテントの外へ出る。外気は身が締まるほど冷ややかで湿っぽい。俺は一度身震いをする。


「…少し、歩いてみるか。」


ぼんやりとした薄霧に紛れるように、辺りを見渡し森の中を進み始める。草木は幾らか水気を纏う。歩くたびに得体の知れない何かが重くのし掛かり、霧の中に消えてしまうような気さえした。


暫く歩くと手頃な木をみつけ、背で寄りかかって空を見上げる。


…重たそうな白い雲が一面に広がっている。不意に空から落ちた一雫が頬を伝って落ちた。


「嫌な雲行きだな…。急に勢いよく降り出してきそうだ。」


ポツポツと思い出したように小雨が降り始めた。雨粒の冷たさを肌で感じるたびに、心の奥に潜んでいた不安がじわじわと迫り上がってくる。


「俺は…誰なんだろう。」


暗い空を見上げポツリと呟いた。雨音だけが静かに響く。


昨日の盗賊との戦い…なんで急に意識が遠のいたんだろう。なんであの時、殺しに躊躇がなかったんだろう。それにあの力…なんなんだ、一体…!俺は自分の得体の知れなさが、怖い…。


寒気なのか恐れなのか、俺の肩は小刻みに震えていた。俺は震えを抑えるように自分の肩を抱くと、その場に座り込み、悶々と考えた。


「…あの、大丈夫ですか?気分が悪いんですか?」


声に驚いて顔を上げると、そこには2人組の冒険者がいた。1人は痩せていて無精髭が生えた剣士の男。もう1人はぽっちゃりとした童顔の魔導士の男だった。

まずいな、全然気づかなかった。俺は慌てて立ち上がる。


「…いえ、ちょっと寒気がしただけなんです。大丈夫です!心配してくださってありがとうございます。」


俺は苦い顔で笑った。


「そうですか。でも、顔色も良くないですし、俺たちのテントで休みませんか?暖かいスープもありますよ。」

「いや、本当に大丈夫なんです。それに俺、仲間もいるしそろそろ戻ろうと思ってたので。」

「まぁ、そう言わずに。ちょっとならいいじゃないですか!」


無精髭の男は腕を掴み、ぐいっと力を込めて引き寄せた。


「な、何すんですか!」


俺は離れようと抵抗しようとしたが、その瞬間に後頭部に激痛が走る。


「うっ………!」


全身の力が抜けてガクンと前に倒れ込み、無精髭の男が俺の身体を押さえる。意識はそこで途絶えてしまった。



ーーー•



「…呆気なかったな。特徴だとこいつが仲間を半殺しにしたやつだと聞いていたんだが。」


剣と肌着以外の身包みを剥がし、ぽっちゃりした男はアランを縄で縛っていた。


「何かの間違いだったんじゃねぇか?まあ、捕まえたしさっさとアジトに連れてこうぜ。」

「そうだな。こいつには、俺たちの仲間を痛めつけた礼をたっぷりとしてやらねぇと。意識が戻ったら恐怖のどん底に突き落としてやるよ。」


2人組の男は顔を見合わせ下卑た笑みを浮かべると、

縄で縛ったアランを引きずり何処かへと連れて行った。



ーーー•



後頭部のズキズキとした痛みが徐々にはっきりと感じ始め、俺の意識が覚醒していく。

俺は痛みに顔を顰めながら、重たい瞼をゆっくりと持ち上げた。ここは、どこだ…?

ぼんやりとした視界で盗賊たちがくつろいでいるのが見える。


アルコールと、汗や体臭の混ざった嫌な悪臭が鼻を刺す。うつろな目で辺りを見渡すと、ここは洞窟の中のようで、地面は湿り気のある土だ。

体を動かそうとするが、縄で柱にしっかりと縛り付けられていて、ぴくりとも動かなかった。


くそ…頭も重くて、全身もだるい。意識だけははっきりしてるのに、身体にうまく力が入らない…。この異様な感覚が、気持ち悪い。


「おっ、例のガキが起きたみたいだぞ!」

「どれどれ!思ったより早かったな。すぐに起きねーように多めに睡眠薬を吸わせたんだがな。」


睡眠薬…それでこのだるさか。

俺はゆっくりと近づいてくる盗賊に話しかけた。


「なんだ、お前らは…。もしかして、昨日の連中の仲間か…?」

「そうだ。昨日は随分と俺たちの仲間がお世話になったみたいだな。」


盗賊はポキポキと指を鳴らす音を立てて話す。


「冒険者を襲っておいて、よく言うぜ…。人を襲うくらいなら、返り討ちに合う覚悟もしておけよ…。」


俺は無意識に、視線を落として思ったことをそのまま口にしていた。


「んだとこのクソガキ!自分の立場分かってんのか?!」


盗賊の1人が、俺の腹部を蹴り上げる。


「がっ……!」


息が締め付けられるほどの痛みが走り、俺は胃から込み上げたものを少し戻した。

俺は自分の置かれている状況を、この時やっと実感した。


なんで、俺余計なことを言ったんだ…!?やばい、なんとか逃げないと…!殺される…!!


必死に身体を動かそうとするがびくともせず、どんどん焦りと不安が膨らみ、頭が真っ白になっていく。


「…こいつの身体を少しずつ切り刻んで、じっくりといたぶってから殺してやるよ。」


そう言って、盗賊はわざとらしく音を立てて剣を抜くと、俺の首筋に剣先を突き立てる。俺は恐怖で顔が歪み固まってしまった。


「や、めろ…。」

「いいねぇ、そのツラが恐怖と苦痛に歪む表情…。もっと見せてくれよっ!」


そう言って、剣を振り上げ、俺の左腕を剣で貫いた。


「うわぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁ!!」


あまりの鋭い激痛に、俺は悲鳴をあげた。必死で逃れようとし、完全にパニックになりかけたその瞬間…。また、俺の意識は遠のいた。



ーーー•



俺は顔を上げると、盗賊をまっすぐに睨みつける。


「なんだ、こいつ...急に雰囲気が変わった...?」


俺は魔力を練って身体を縛る縄を次々と切断した。立ち上がると縄がするりと解けて落ちる。黒魔法は”滅びの力”とも呼ばれ、一点に魔力を集めれば僅かな量でも縄を切れるのだ。


「ひぃっ...!お、お前…、何をした…!!なんで、縄が消滅したんだ...?!」

「馬鹿なっ!?縄は魔力吸収性だぞっ…!!」


盗賊たちは狼狽え、後退りながら恐怖の眼差しで俺を見ていた。


呆れた…。今まで散々人を襲い恐怖を与えてきたくせに…何を怖がってるんだか。


俺はゆっくりと立ち上がると、無言で盗賊たちに向かって歩いていく。


「と、とまれ...くるなぁ...!!」


武器を向け、盗賊たちが更に後ずさった。俺はその様子を見て一旦立ち止まると、左手を腰に当てほんの数秒だけ考える。


…こいつらは殺そう。ここで野放しにしてもまた誰かを襲うのだから。これ以上、罪のない命が奪われるわけにもいかない。


「わ、悪かったよ。ちとやりすぎたが、これに懲りて何もしねぇからさ?俺だけは見逃してくれ。」


盗賊の1人がそういい、苦笑しながら武器を捨て、両手を上げて降参の仕草をして見せたが、俺は動じなかった。


その場しのぎで、上っ面だけの謝罪だ。今まで嫌になるほどそういう奴らを見てきたからわかる。…そう簡単に、人の本質は変わらない。さっさと終わらせよう。


「ひぃ…やめてくれ…!!」

「お、俺は逃げるぞ…!」

「くそっ…こうなったら戦うしか…!!」


俺は眉根に力を込め、魔法の詠唱を唱えるために口をゆっくりと開いた。その瞬間。


アジトの入り口方向から強烈な風が起こり、盗賊たちは吹き飛ばされる。


「うわぁぁあぁ!!奇襲だ!!お前ら、クソガキは後だ!」




ーーー•




その時俺の意識が不意に戻った。

あれ…俺今、何しようとして…。そうだ!俺は盗賊に腕を刺されて…!


ハッとして周囲を見渡す。

盗賊の視線が煙の中で映る2つの影に集中していた。俺もつられてその影を見つめる。

土煙の中から現れたのは、リリアンとルーカスだった。


「アラン!!大丈夫か?!」

「次は、私たちがあなたを助けてあげる!!」


そういうと、リリアンは魔法の詠唱を唱え出す。


「風の精霊よ かの敵を切り裂き吹き荒れよ アネモス コボセコマーティア!」


鋭い刃のような風が吹き荒れ、盗賊たちを蹴散らしていく。


ルーカスは剣を抜くと、次々に盗賊たちに切り掛かっていった。ルーカスの剣は基本に忠実で的確、彼の真面目な性格が現れているようだった。

一見地味だが、基本がしっかりしているからこそ強い。相当な努力をしたのだろう。


「アラン、今だ!!こっちまで走れ!!逃げるぞ!!」

「あ…あぁ!」


俺はそばに置かれた自分の荷物と武器を持つと、刺された左腕を押さえ、ズキズキと響く痛みに耐えながら全力で走り出す。なんとか、盗賊たちの隙間を潜り抜け、リリアンとルーカスの元まで行くことができた。


「よし、退散だ!!」


俺とリリアン、ルーカスは必死に出口に向かって走る。

盗賊は何故か後ろを追っては来なかった。俺たちは無事に出口を抜けると外は大雨が降っていたが、

俺たちは気にせず、アジトから十分に離れるまで走り続けた。




ーーー•




その頃、盗賊のアジトにて。しきりに降り注ぐ雨で霞む景色を見ながら、若い盗賊と盗賊団長が話していた。


「…団長、追わなくて良かったんですか。仲間が半殺しにされたんですよ?」

「お前...自分の命が惜しくねーのか?あいつは、噂でしかきいたことがねぇ黒魔法を使ってた。それに魔力を吸収されてなお魔法を使うなんざ化け物だ。関わらねぇ方がいい。」

「しかし...!」

「追いたいなら1人で勝手に行け。俺は自分の命が惜しい。」


アジトの奥へと団長は歩き姿を消した。若い盗賊はそれを複雑そうな顔で見ていた。



ーーー•



俺たちはテントに戻ってきていた。

3人とも雨でびしょ濡れになったので、簡単に着替え、俺はルーカスの服を借りて着ている。

左腕の怪我は、リリアンが回復魔法で直してくれて傷は完全に塞がった。


リリアンとルーカスは、朝起きたら俺の姿がないので、森の中を探してくれたらしい。そこでネックレスが落ちているのを見つけ、おそらくそれは俺が落としたもので、何かあったのだと察して探してくれたようだ。

地面には何か引きずられたような跡があったらしく、跡を辿って盗賊のアジトを見つけたらしい。


俺は怖さと混乱で気持ちの整理がつかず、三角座りをして塞ぎ込んでいた。


「...来るのが遅くなってごめんね、アラン。これがその時のネックレス。これ、アランのだよね?」


リリアンはそう言って、俺にネックレスを渡した。


そのネックレスを受け取ると、チェーンの部分を持ってまじまじと見た。飾りの部分は海のように透き通る青の楕円形の石で、そこに何やら紋章が刻まれている。


それを見て、直感的に自分のものだと思った。何故かはわからない。俺はそのネックレスを無言でポシェットにしまった。


「...助けてくれて、ありがとう。2人とも。俺、怖かったんだ...。本当に、殺されるかと思った。」


俺は話しながら、我慢していた涙が溢れ出してきて抑えられなくなり、そんな俺をリリアンとルーカスは、黙って見守ってくれていた。


外から嫌でも聞こえる、ざあざあとしきりに地面を叩く雨粒の音は、俺の耳にいつまでもこびりついて離れなかった。



ーーー



その日の夜。

雨はすっかり上がっていた。辺りに水気は残るが、満天の星がよく見え、夜風が心地いい爽やかな夜だ。

俺たちは焚き火を囲んで、川で獲った魚を焼きながら話をしていた。


「…なんで、あいつらは平気で人を傷つけられのかな。俺にはあいつらの気持ちが理解できない…。」

「理解できないのは当然だろ。世の中には色んな奴がいるんだ。誰もが皆分かり合えるなんてのは、俺は驕った理想論だと思ってるぜ。」


ルーカスは物憂げな表情でその辺の雑草をむしっていじりながら言うと、その草を丸めて焚き火の中に放り込んだ。俺は魚が焼けてくるのを眺めていた。


「うん…。けど、急に意識が入れ替わった時、俺は本気で殺そうとしていたんだ。本当は俺も、あいつらと何も変わらないのかもなって。」

「…平気で人を傷つける人と、傷つけることに悩む人が、同じなわけがないよ。」


リリアンの声は、静かでいて強い意志がこもっていた。


「でも、結局やろうとしたことは同じだ。2人が来てくれなかったら、あのまま盗賊を殺していたと思う。正解なんてわからない…。けど俺は…それが誰でも殺したくないんだ。簡単に人の命を奪うやつらと、同じになりたくない。」


風でゆらゆらと揺れる焚き火の明かりは、俺たちの輪郭を包むように照らしていた。

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