第50話 進化


 上空でアンナとレヴィアタンの戦いが終わったことを地上からマリア・フルルドリスは確認した。


「強くなったわね、アンナ」


 師は弟子の成長を喜び微笑んだ。

 招待状のないマリアはキヴォトスに入れないため、今はアクアを守ることしかできないが、教え子たちならこの困難を乗り越えられると確信していた。


 キヴォトスのことはアンナたちに任せて、高台への避難が遅れている住民がいないか探そうとした時だった。


 キヴォトスの船底から巨大な砲塔が飛び出して、発射の準備を始めたではないか。


「今度はアクアを撃つ気ね」


 マリアは先程キヴォトスの外に出たイヴから通信魔法で現在の状況も聞いていた。ノアが世界を水浸しにして滅ぼそうとしているのなら、浸水を免れようとする都市の結界を破る兵器があってもおかしくはない。


 現在アクアはマリアの防水結界で津波、大雨、水位上昇から守られているが、あの巨砲を防ぐほどの耐久性はない。


 防御結界を強化するべく寺院に向かおうとするマリア。その前に一人の男が立ち塞がった。


「ダメだよマリア。これから面白くなるところなんだ」


 その男は透き通るような白い肌と銀髪の美青年で、真っ暗なカソックを着ていた。


「……ルシファー」


 気に入らなさそうにマリアは男の名前を口にした。

『ルシファー』それは神に背き、天から落とされた堕天使。サタン、イヴリースと並ぶ最高位の魔神だ。

 この男は堕天使の名を騙っているわけではない。彼こそが本当のルシファーその人だった。レヴィアタン同様に精巧な人形に受肉し、現世で活動しているのだ。

 

「久しぶりだねマリア。少し、時間をもらうよ」


 ルシファーはその右手に漆黒の剣を出現させるとマリアに斬りかかった。マリアはそれを白銀の剣で受け止める。


「あなた、ノアの仲間なの?」


「あの舟を作るのに少し手を貸しただけだ。今こうしているのは、彼の創り出す作品の行く末を見届けるためさ」


 早く防御結界の強化をしなくては街が破壊されてしまう。しかし、マリアにもルシファーの相手をしながら同時に結界の補強をするなんてことはできない。この男は街一つどころか世界を滅ぼしかねない悪魔なのだ。


「エクソダスやセレマ機関にも関わっていたでしょう。全部あなたの手引き?」


「私はただ、手助けをしているだけに過ぎない。資金を援助したり、武器を渡したり、悪魔を紹介したりね。謂わばパトロンさ」


 歴史上のあらゆる人類の過ちの影にはルシファーがいた。大きな野望や危険性を秘めた者に、この悪魔が手を差し伸べて、その悪の花を開花させるのだ。


「何が目的? エクソダスとノアとじゃ思想は真逆。あなた自身の目的が見えない」


「おや、君が悪魔に話しかけるなんて珍しいね。いいのかい、私の言葉が真実とは限らないよ」


「あなたはプライドが高いから、嘘を吐けない」


 剣を撃ち合いながら、マリアはルシファーを探る。早く倒さなければいけないが、焦りや油断は敵の思う壺だ。ルシファーはマリアでも考えなしに倒せる相手ではない。


「私は悪魔だ。世界の混乱を楽しみたいだけさ」


「平たい言葉。ここで嘘の練習をしないでもらえるかしら」


「はは、これは手厳しいな。仕方ない、君には話しておこう」


マリアの猛攻を涼しい顔で凌ぎ、一度距離を取った。


「私は人類を『進化』させたい。そのために、進化や変革を望む者に手を貸して、サンプルとしてその行く末を見ている」


 男の瞳は純粋にキラキラと輝き、その言葉の音色も澄み切っていた。マリアは嘘ではないとわかった。


 セレマ機関の目的も人類の進化だった。エクソダスは魔法平等主義という大きな変革を求めた。そして、ノアは世界を滅ぼし、優秀な魔法使いだけの新しい世界を作ろうとしている。

 

 ルシファーはそれらを手助けすることで人類の進化を促していた。


 実に楽しそうに堕天使は空の方舟を見上げる。


「見てみたくはないかい? 全人類が魔法使いになった世界を」


 間違いを訂正するため、マリアはすぐに言い返す。


「それは『なった』んじゃない。だけ・・になったのよ。そんなの進化じゃないわ」


「成長のためには、時に剪定が必要だ」


「幹を切ることを剪定とは言わない」


 二人がわかりあうことは絶対にない。それはお互いにわかっていた。


 ジリと間合いと呼吸を読み合い、ルシファーが仕掛けた。相手に向けた掌から強い衝撃が発生する。

 マリアは防御魔法で守るが、それごと吹き飛ばされる。


「『力』を操る魔法か」


 ルシファーはあらゆる『力のエネルギー』を操る魔法を使う。それは膂力の底上げは勿論、重力や気圧さえも自由自在に操ることができた。


「しばらく大人しくしていてもらおうか」


 全身を凄まじい重力の負荷が襲い、立ち上がれず、マリアは膝をついた。防御魔法で守っていなければ跡形もなくペシャンコになってしまうほど、その力は強い。


 しかし聖女はすぐに立ち上がった。重いのなら、力を入れればいいだけのこと。マリアはただ身体能力強化の出力をいつもより大きくしただけだった。


「はは、こいつはとんだ化け物だ」


 悪魔が恐れ慄いたその僅かな隙を聖女バケモノは見逃さない。一瞬の転移魔法で距離を詰めると、剣ごと悪魔の右腕を切断した。

 ルシファーは傷口を押さえて蹌踉めく。


「……流石だねマリア。私の負けだ。しかし、時間切れだ」

 

 堕天使が見上げる上空を聖女は目で追った。

 キヴォトスから突き出る超巨大魔力砲のカウントダウンが今まさにゼロになった。


 無慈悲にも超巨大魔力砲が発射される。

 放たれたのは極大の金色の奔流。生命も文明も消し去る神の裁きの再現だ。街はおろか、国一つだって一瞬で消し去れるほどの圧倒的な威力のそれが、海に浮かぶ小さな都市に向かって迫る。人々は自分達を見捨てた神に祈りながら、見上げることしかできなかった。


 いくらマリアであっても街全体を守る結界を一瞬で展開することはできない。


 ルシファーは聖女がどんな絶望の眼で人々の最後を見届けるのか興味が湧いてその顔を見た。彼女の瞳には夜空を征く一条の流星が映っていた。


「逃げるの? その前に見ていったら。人の進化を」


 巻き込まれないうちに逃げようとしていたルシファーだったが引き止められてしまう。肉体を得たことで覚えた生存本能が、この場が安全だと訴えていた。あの一条の流星を見た途端、この街と人は無事だと確信してしまった。


「君の誘いなら、星を見てもいいか」


 目を輝かせて、堕天使も夜空に迸る一閃の星を見上げた。


 嵐吹き荒ぶ夜空。雨も風も、雷も闇も切り裂いて、無数の小さな光を纏ったアンナ・フルルドリスがキヴォトスの真下の中空に立ち塞がった。


 イブリースの巫女が迫り来る鏖殺の光に向けて両手を掲げる。無数の魂が手を繋ぐように組み合わさり、巨大な魔法陣を出現させた。巨砲が発射されることを見越していたアンナは三分の間に空中に防御結界を用意していたのだ。

 

「みんな、もう一度力を貸して! 展開、天八重垣アメノヤエガキ!」


 広大な翡翠色の防御結界が上空に展開され、超巨大魔力砲の光と激突する。幾重にも積み重なった防御結界は次々に割れていくが、それを上回る速度でその層を増やしていく。


 天八重垣は『無限』の性質を持つ絶対防御魔法だ。一つ一つの防壁の強度は弱くても、それが幾重にも重なることで無限大の防御力を発生させることができる。


 しかし、盾は貫かれなくとも、その使い手が矛の威力に倒れないとは限らない。


 超巨大魔力砲を受け止めることには成功したが、いまだに放出され続ける光の圧倒的な威力に押されて、アンナは地上に向かって徐々に下降し始めた。


 イブと式神たちが背中を押してくれるが、それでも下降は止まらない。このままでは、押し負けて、地上に落下し、超巨大魔力砲が街を破壊してしまう。


 その時だった。

 空の花畑から人魂たちが降ってきて、アンナの隣で一緒に防御結界を押し始めた。


 空からだけではない。アクアにある墓の島からも人々の魂が駆けつけ、力を貸してくれる。


『私たちも力を貸すよ』


 更に、キヴォトスに囚われた一般居住者区画の人たちの生霊も加勢する。

 

 空に光が集まるその光景を見た地上の人々は、

念じることで己の魔力を空へと昇らせる。


 この世界の全ての人は聖女イブの願い・・によって、魔力を持っていた。魔法という現象に変換することができない人たちも、僅かにその魔力を体外に出して、アンナに力を貸してくれる。


 それは何の奇跡か、遂にアンナの力が超巨大魔力砲と拮抗した。


 その光景をキヴォトス船内からノアは見ていた。

 男の顔が幽霊でも見たかのように引き攣る。


「莫迦な、ありえん。未来視ではアクアの街は破壊されていた筈だ。我が数千年の集大成だぞ。たかが小娘一人に妨げられてたまるものか!」


 大人気なく、ノアは己の魔力を超巨大魔力砲に込め、その威力を更に増大させる。再びアンナは地上に向かって押されるが、その瞳が諦めを知ることはない。


 ボロボロのアリスたち三人も立ち上がり、アンナを応援した。


「……いけ、アンナちゃん!」


「がんばれアンナ!」


「絶対負けんな!」

 

 その声も魔力もキヴォトスの中からでは届くことはない。ノアは少女たちが必死な理由がわからなかった。無駄だ。無意味だ。無価値だ。


 その時、会場の扉が勢いよく破壊され、エミリア、シオン、椿姫の三人が入ってくる。ノア信者たちを倒したようだ。


「皆様、ご無事で何よりですわ! 状況は趣味の悪いジジイが用意した映像を見て理解しました。さあ、シオン、椿姫さん、行きますわよ!」 


「承知しました」


「は、はい!?」


 三人は息を大きく吸うと一斉に叫んだ。


「アンナさん、ぶちかましあそばせ!」


「アンナ様ファイト!」


「ぶ、ぶちかまファイト〜!!??」


 その光景にノアは面食らって立ち尽くし、心の中で馬鹿にした。


 直後、再びアンナの力が超巨大魔力砲と拮抗する。ノアは自分の身体から冷や汗が滲み出すのを実感した。何千年と人間の歴史を見てきた男でさえ理解できない事象が目の前で起きていた。


 狼狽える老人を見て、アリスが意地悪に微笑んだ。


「知らないんですか、奇跡?」


「奇跡……だと?」

 

 大きな権力と魔法の力で物事を自分の思い通りに進め、未来を予知し、世界を滅ぼすこともできる男にとって、あらゆる事象は理解できる必然に過ぎなかった。


 その男が今初めて、不可解な奇跡を目の当たりにした。人の想いが人を強くするという奇跡を。


 もう一人、地上からその奇跡を目の当たりにして、立ち尽くす堕天使がいた。

 ルシファーは空を覆う翡翠色の光と、集まった人々の魂と感情、その中心で燃え盛る少女に感動し、涙を流していた。


 堕天使は無意識のうちに手を空に掲げ、魔力をアンナに貸していた。


「何のつもり」


 マリアに問われて初めて己の行動に気がつく。


「わからない。私はおそらく……恋に堕ちた」


 遠目で見ただけの少女のことが堕天使の頭から離れなくなっていた。不可解な自分の行動に理由と言葉をつけるならそれは『恋』だけだった。


「手を出したら殺すから」


 ルシファーに戦意がないことを確認したマリアは手を空に掲げ、アンナに魔力を分け与えた。

 

 そして遂に、アンナの力が超巨大魔力砲を上回った。

 ジリジリと防御結界を押し上げて、空中に踏み止まる。


「おりゃああああああッッ!!!」


 渾身の気合いの咆哮が豪雨の夜空に鳴り響く。それが鳴り止む頃、ようやく魔力を使い果たして、超巨大魔力砲が停止した。


 役割を終えた防御結界は砕け散り、翠光の破片になって地上に降り注ぐ。

 まだ世界の危機は去ってはないものの、地上の人々はカーニバルのように大声で喜び合って、抱きしめ合った。文字通りお祭り騒ぎだ。


 霊たちがあるべき場所へと帰っていく中、修道女の霊がアンナに声をかけた。


『アリスちゃんのこと、お願いするね』


「任せてください」


 霊は微笑むと墓の島へと帰っていった。


 アンナは大仕事を終えたばかりだが、まだやることがあった。今も戦っているアリスたちの加勢に行かなくてはならない。そして、ノアに拳をお見舞いしてやるのだ。

 アンナはキヴォトスの甲板へと向かって行った。


 奇跡を見届けた堕天使はさりげなく立ち去ろうとするが、それは許されない。マリアの白銀の剣によって心臓を貫かれた。


「……ぐっ!? まだ、手は出してないぞ」


「出させるわけないでしょ」


 ベシャリと地面に青向きで倒れ、その顔面をマリアに踏みつけられる。


「いいものが見れた。また会おう、マリア」


 そう言い残して、堕天使は死んだ。とはいえ、悪魔の魂は地獄に戻るだけ。時間が経てばまた復活し、地上で悪事を働くだろう。人間と悪魔の戦いに終わりはない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る