第48話 弱者


 レヴィアタンの画策したルーナ洗脳作戦は失敗に終わった。遠見で茶番劇を見せられた嫉妬の魔神はくだらなそうに少女たちを卑下した。


「がっかりね、ルーナ・セレスティアル。ノア超え得る逸材だったのに」


 ノアは顎に手を当て、思案する。


「レヴィアタン、出てくれるか」


「いいけど、イヴリースの巫女で手一杯よ」


「それで充分だ。他は私が殺す」


「では、また。世界が滅ぶ時に会いましょう」


「ああ。とっておきの葡萄酒を用意して待っている。二千年物だ」


 悪魔と老人は邪悪に嗤い合うと別れた。

 

 悪魔が夜会会場のあるビルの外に出ると、丁度、エミリア、シオン、椿姫の三人と出会した。


 彼女たちもアンナたち同様にノアを倒すため、夜会会場に向かっていた。


「げっ、レヴィアタンですわ」


 三人はそれぞれ武器を構えて、嫉妬の魔神と相対する。


「イブリースの巫女はまだみたいね。奴が来るまでの間に、数を減らしておきましょうか」


 レヴィアタンは右手に剣を、左手に杖を出現させる。


「お二人とも、行きますわよ!」


 エミリアの号令でシオンが接近して鎌を振り、椿姫が後方から矢を射る。

 しかし、鎌も矢もその強靭な肌に弾かれ、レヴィアタンは無傷だ。

 椿姫が千里眼で魔神を分析する。


「……そんな、弱点がありません! 全身が超硬度の魔力で覆われています!」


 レヴィアタンは聖典の記述において、地上で最も強い存在とされ、あらゆる武器、魔法が効かない。正に最強無敵の存在だ。


「だったら石にして差し上げますわ!」


 エミリアの魔眼が紫水晶のように光り輝き、その視界にレヴィアタンを捉える。


石化の魔眼メドューサ!」


 堂々と宣言して発動したものの、レヴィアタンに変化はない。無念、石化すらも弾かれた。


 嫉妬の魔神は値踏みするように三人を眺める。


「ゼウスの後継者に不死殺しの鎌、そして大日女の巫女。素材はいいけど、でも残念。後世に残すほどのものではないわね」


 言い終えて、既にレヴィアタンは椿姫の目の前にいた。無敵の魔神から放たれる重い魔力に、根源的な恐怖を煽られて、椿姫の動きが一瞬遅れる。

 ただの剣の一振りで、地面が抉れ、大風が巻き起こり、空気が震えて歪んだ。


 間一髪、エミリアがアイギスの盾で椿姫を守ったが、衝撃波で二人まとめて吹き飛ばされる。


 次に杖が二人に向けられた。穂先から巨大な魔力砲が放たれ、体勢を崩した二人に迫る。

 シオンは二人を掴むと転移魔法で回避した。しかし、転移先にレヴィアタンが追いついてくる。


「逃げるなら、初めから戦わなければいいのに」


 再び剣が振られる。それをエミリアが最大出力のアイギスの盾で受け止めた。


「降参して、ノアに従うなら命は助けてあげるわよ。何故強大な存在に抗って、わざわざ死のうとするのかしら。大きな力に支配されていれば、生き残ることができるのに」


「それを、生きているとは言いませんわ!」


 精一杯の力で剣を弾き返し、光の槍を右手に握りしめた。


女神の槍像パラディオン!!」


 エミリアの渾身の一撃が命中するが、レヴィアタンは無傷だった。

 

「では、死になさい」


 無慈悲に魔神の剣がエミリアに振り下ろされる。瞬間、凶刃を阻むかのように閃光が飛来した。


 八枚の式札が手を繋ぐように重なり合い、頑丈な防御結界を作り出すと、レヴィアタンの剣を受け止める。

 またもやアンナ・フルルドリスが友の窮地に現れたのだ。


「また貴様か、イブリースの巫女」


 レヴィアタンは苛立ちを顕にする。先程もアンナがキリエを守り、作戦が失敗したからだ。


「不気味ね。まるで運命そのものが貴女を中心に流れているかのよう。異教の神々の寵愛を受けているからかしら」


「日頃の行いですよ」


 アンナは悪魔の戯言を適当に遇らうとエミリアたちの無事を確認した。


「アンナさん、助かりましたわ!」


「いつも助けてもらってるので、そのお返しです」


「あら、ルーナさんもいらっしゃるみたいですわね」


 エミリアが気まずそうにしているルーナを見つける。ルーナはもじもじしながら前に出た。


「ルーナ、もう一度みんなと一緒に戦ってもいい?」


「大歓迎ですわ。さあ、みんなでジジイをぶっとばしますわよ!

 

 これでユニコーン決闘部七人が再び集結した。戦力だけではなく、精神的な強さが格段に上昇するのを全員が実感した。


 それを見たレヴィアタンは顔を歪ませて嫌悪した。


「弱者同士で傷を舐め合って、惨めなものね。虫酸が走るわ」


 アンナは悪魔の言葉をシカトして、前に出る。


「このおばさんは私がやっつけるから、みんなは先にジジイのところに行って」


 アリスの作戦通り、レヴィアタンはアンナが担当する。他の六人は夜会会場のあるビルに入って行った。


 ところで、アンナはまたブチ切れていた。


 原因はレヴィアタンがルーナに精神干渉魔法を使って操ったことと、アンナの友達を弱者だと馬鹿にしたことだ。

 

「ここだとキヴォトスを壊してしまうわ。それは、貴女も望まないでしょう。外に出ましょうか」


 レヴィアタンが指を鳴らすと、二人は甲板へと転移した。


「さあ、ここなら遠慮せずに本気で戦えるわ。貴女、ずっと本気を隠しているでしょ。早く見たいわ。あの弱者たちが相手だと、私も本気を出せなかったのよ」


 悪魔はアンナを煽って、本気を出させようと考えていた。その企みは成功し、アンナはブチ切れてしまっていた。

 不幸なことに、レヴィアタンは悪魔だった。

 アンナは人殺しをするつもりはないから、人間相手に本気の戦いはしない。しかし、相手が悪魔なら、話は別だ。

 もうこの時点でレヴィアタンの敗北は決まっていた。


ほろぼせ、天羽々斬アメノハバキリ


 徐に鞘から刀が抜かれた。それがあまりに穏やかな動作すぎて、レヴィアタンは攻撃だと認識することすらできなかった。


 次に瞬いた時、レヴィアタンの視界は甲板の上に転がっていた。首を切り落とされたのだ。


「なに、よ、これ」


 首だけになってなお、レヴィアタンは死んでいないが、己の無敵の皮膚を切られたショックで呆然としていた。


 更にアンナは転がったレヴィアタンの首を思い切り蹴っ飛ばした。


「貴様ッ──」


 悲鳴は下海へと落ちていく。

 残った胴体が怒りでわなわなと震え、爆発的に魔力を解放した。首の断面から蛇の頭部が伸び、その肉体を引き裂きながら、巨大な鯨じみた肉塊が溢れ出す。


 やがてレヴィアタンはキヴォトスに巻き付く、巨大な海蛇に変貌した。これがレヴィアタンの本来の姿『リヴァイアサン』だ。

 その蛇眼が甲板上のアンナを睥睨する。


「人間風情が、図に乗るな」


 人間態の比ではない威圧感を放つ。聖典の記述によれば、リヴァイアサンを見た人間はこの根源的な恐怖に抗うことはできずに戦意を失うが、アンナには通用しなかった。本物の『蛇』を宿しているからだ。


 本来の姿で顕現したリヴァイアサンの纏う鱗もまた、その強度を上げており、『あらゆるものの攻撃が効かない』という概念を持っている。


 更にその巨体は動くだけで嵐を巻き起こした。

 アンナは吹き飛ばされ、甲板から投げ出される。背中に貼った式神に飛んでもらい、空中で体勢を整えた。


 空中のアンナに向けて、怪物の大口が開かれる。街一つ易々と破壊できるほどの広範囲魔力砲が上空に向けて放たれ、アンナを飲み込んだ。


「草薙楯」


 イブがアンナの影から姿を現し、防御魔法を展開、リヴァイアサンの魔力砲を防ぐ。

 

 アンナとリヴァイアサンは互いに鉄壁の守りを持つ。この勝負は、敵の盾よりも強い矛を突き刺した者が勝つことになるだろう。


 アンナは先程同様に天羽々斬の『あらゆるものの強度を無視して切る』特性を解放し、リヴァイアサンの首を切りつけた。

 しかし通らない。人間態よりも遥かに硬い。更に『あらゆるものの攻撃が効かない』特性が、天羽々斬の特性を相殺しているため、純粋な力比べになっている。刀と小さな身体の少女では、巨大な怪物を倒すことなどできないのだ。


 リヴァイアサンの額から、人間態のレヴィアタンが上半身だけを出現させた。頭部も元通り再生している。


「ねえ、やっぱり貴女もキヴォトスに来なさい。強い者が消えてしまうのは忍びないわ」


 レヴィアタンはこのままでは自分がアンナを殺してしまうと、自分の方が強いと確信していた。


「私は強者だけの世界を創りたいの。だって、弱者を見ていると虫酸が走るじゃない。弱者たちの嫉妬と劣等感ほど惨めなものもないわ。弱者は生物として欠陥品。あってはならないものなのよ」


 だからレヴィアタンは近い思想を持つノアに協力したのかと、アンナは納得した。くだらない思想だ。この二人は大事な要素を見落としたまま、人に強い弱いを当て嵌めている。アンナにまた怒りが蓄積されていく。


 怒りを抑えて、アンナは静かに告げた。


「人間は弱くなんかない」


「何を言っているの? 今まさに、弱いから滅ぼうとしているじゃない。たった一人の魔法使いがその気になれば、人類はたった一日で滅ぶほど弱いのよ」


 事実、人間は弱い。それだけじゃない。極めて愚かで、救いようがない、神様の創った失敗作だ。アンナもそれはよくわかっていた。前世でも人間の汚い部分をたくさん見て、味わった。みんな死んでしまえばいいと思ったこともある。今でも、家族や友達、先生や先輩以外の人たちのことは嫌いだ。


 でも、生まれ変わって、愛情を知って、友達ができて、人間のいいところをたくさん知った。強さを知った。


 人間の強さとは、力や戦いの強さではない。思いの強さだ。

 それは愛と喜びと、怒りと悲しみ。長い歴史の中で人類を繋いできた原動力だ。何千年、何百万年、人類が繋がってきた事実こそが、人類は弱くないという何よりもの証明だった。


 そして、これからも人は続いていく。少女は人を代表して、今からそれを───


「人は弱くないと証明する」


 イブリースの巫女が手を合わせた。雷雨の只中に一拍手の音が響く。


魂源界放こんげんかいほう───『人霊墓丘じんれいぼきゅう』」


 それは戦闘魔法の奥義。エクソダスとの戦いを経て、アンナはその域に到達していた。


 しかし、周囲の光景は今だに大風吹き荒ぶ雷雨の最中だ。


「これのどこか魂源界放だというの? 貴女を買い被りすぎたのかしら」


 レヴィアタンは両手を広げて、嵐の夜を仰いだ。


「見なさい、この世界の終わりを。この最後の夜こそが我が魂源界放『終末深淵アビス・アポカリプス』。キヴォトスの気候制御装置は私の魂源界放そのものなの。わかる? 魂源界放とは、世界の法則すらも変える、最高位の魔法なのよ」


 語る魔神は視界の片隅、アンナの背後に幾つかの小さな光の玉が浮遊していることに気がついた。

 上空の分厚い雲を越えてここまで降ってきたようで、今もなお数えきれない小さな光の玉たちが、降り注いでいる。


 その正体は人魂。アンナが呼び出した無名の人間霊だ。特別な能力はなく、光って浮遊することしかできない。

 

 それを見てレヴィアタンは嗤った。

 

「そんな下級の霊を集めてどうするつもり? なんの功績も残せず、歴史に名前の残らなかった雑魚じゃない」


 その時、分厚い黒雲に亀裂が入り、空に穴が空く。僅かな光が地上に届いた。それは月明かりではない。

 雲の上、そこにはあるはずの夜空はなく、代わりに、青空と、逆向きの白い花畑だけがあった。


 魔神は全てを理解して、呆然とした。


「……莫迦な、全天を覆うだと? あり得ないわ」


 白い花畑───アンナの魂源界放『人霊墓丘』は、地球せかい全てを包み込むように展開されていた。


 それは多くの神話や信仰で語られる死後の世界を思わせる白の空間だった。白い花畑の丘には、無数の墓標が静かに建ち並び、その空は青色。黒雲から上は正しく天国だった。


『人霊墓丘』───それは世界、時代、国、民族に関係なく、あらゆる魂を呼び出せる最強の降霊術。アンナはこれで、世界の滅びを防ぐ意思を持つ魂たちを呼んだのだ。


 巫女が剣を顔の前に掲げ、呪文を唱える。その言葉には祈りと怒りが込められていた。


「神装スサノオ」


 アンナの身体を白い光が包み込み、その服装を巫女装束に変身させる。背後には無数の剣が円陣を組んだ後光が出現し、手に持つ天羽々斬は刀から古剣に変形した。


『神装』とは神の力を己に纏い、より神に近い姿となることで、強力な戦闘力を得る魔法である。


 巫女はその剣を天高らかに掲げた。


「みんな、力を貸して」


 光の玉たちが剣に吸収され、徐々に巨大化していく。やがて、剣は雲を突き破るほどの大きさになり、アンナの手を離れて、空中に鎮座した。


「……なんなのよ、おまえは」


 レヴィアタンは蛇に睨まれた蛙のように身動きがとれなくなっていた。

 この剣は大和の神話において、八岐大蛇の頭尾を切ったもので、大蛇を切ることに特化した性質を持つ。無限の頭尾を切った剣を前にして、たった一本の首しかない蛇に為す術はなかった。


 レヴィアタンがイブリースの巫女に勝てるはずがなかったのだ。

 女神イブは世界中の蛇神を習合してできた神であり、その核となる八岐大蛇を倒した神『スサノオ』の力をアンナは使うことができるのだから。


 聳え立つ巨剣を前にしてレヴィアタンは己が恐怖を感じていることに気がついた。精神はそれを否定するのに、本能からか口が動いた。


「やめなさい。わかっているの? キヴォトスの気候制御装置を止めることができるのは私だけよ。私を殺したら───」


「なら、おまえを殺せば止まるだろ」


 アンナは悪魔の言葉を遮り、殺意をぶつけた。悪魔との会話は無意味。マリアからの教えだ。

 気候制御装置を操っているのがレヴィアタンだろうとノアだろうと、両方倒せばいいだけのこと。魔法を解除するなら術者を殺す。ヨシュアから教わったことだ。


 巫女の手が振り下ろされるのと同時に、完成された光の巨剣が物理法則を無視した超高速度で振り下ろされた。


「絶ち斬れ! 天十束剣アメノトツカノツルギ!!」


 それは切断ではなく打撃だった。途方もなく巨大な刃の面によって、リヴァイアサン及びレヴィアタンは打ち付けられた。

 対魔の力を持つ神器の性質により、悪魔レヴィアタンに苦痛が与えられ、悲鳴が上がる。


「いやああああああああッッッッ!!」


 巨剣は躊躇いなく振り抜かれた。その圧倒的な質量と威力は、数秒の間、衝撃で雨と風を止ませるほどだった。


 上空に悪魔の痕跡は無い。残っているのは木霊する悲痛な断末魔。肉体を得た故に覚えた痛みだけだった。

 巫女を前にして、器を捨てて魂だけで逃げるなどできるわけもない。跡形もなく、塵一つ残さず粉砕され、嫉妬の魔神レヴィアタンは消滅した。


「人間を舐めるな」


 スッとした顔でアンナは自慢気に笑った。

 人間は一人では非力でも、力を合わせれば大きな力を生み出せる。人の強さを証明できたことがアンナは嬉しかった。


 しかし、まだ雨は止まない。

 レヴィアタンを倒しても気候制御装置は止まっていない。内部に魔法陣があったことから、気候制御装置がレヴィアタンの魂源界放であることは嘘ではないが、キヴォトスに組み込んだ際にその厳密な術者がノアに上書きされているのだろう。やはり、世界の滅びを阻止するにはノアを倒すしかない。


 アンナがノアを倒しにキヴォトスの中に戻ろうとした時だった。

 キヴォトス船底の窪みが円形に開き、巨大な砲塔が出現した。砲塔はゆっくりとアクアの街に向けられると、魔法陣が展開された。


 途轍もなく嫌な予感がして、アンナはその場に留まることにした。まだここでやらなくてはならないことがあるのだ。

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