第22話 大アヴァロン博物館


 魔法世紀116年4月 アヴァロン王国上空


 アンナたちサンミシェル魔法学校の一年生は飛行船に乗っていた。校外学習のためにアヴァロン王国の首都『アルビオン』へと向かうためだ。アンナ、アリス、キリエ、椿姫、ルーナの五人は向かい合った長椅子に腰掛けていた。


 飛行船は機関車と同じく魔力を動力にしており、形状はアンナの前世のものとほとんど同じだが、その速度と高度は飛行機に近い。


 窓からは海とアヴァロン王国の小さな街並みが見える。前世では飛行機に乗ったことのなかったアンナは初めての空の旅に不安になっていたが酔ったり頭が痛くなったりはしなかった。


 飛行船の中の生徒たちの話題は最近世間を騒がす『エクソダス』のことで持ち切りだ。つい昨日もニューキャメロットで富豪のグーフ・ポーカー氏が殺害された。

 エクソダスの討伐のためマリア・フルルドリスは出払っており、校外学習にも同行できていない。


「エクソダスが次に狙うのはアルビオンだって噂もあるけど、こんな時に校外学習なんて校長は何考えてるんだよ」


 足を組んで偉そうに座るルーナがボヤく。お淑やかに背筋を伸ばして座っているアリスが答えた。


「校長がコレクションしている古代エネアドの財宝が大アヴァロン博物館に期間限定で展示されているんです。それを生徒に見せびらかしたいのでしょう」


 元々校外学習の予定はあったが、テロリストが現れるかもしれない場所に生徒を連れていくなど愚の極みだ。魔法至上主義者たちは、自分がエクソダスのターゲットだというのに危機感が欠如していた。自分たちが魔法能力に優れているから驕っているのだ。


「でも校外学習でアルビオンに行けるなんてお金持ちの学校っぽいよね。アルビオンって言ったら普通修学旅行じゃん」


 キリエはアルビオン観光が楽しみなようでワクワクしている。アンナも前世のロンドンによく似ているアルビオンの街並みが楽しみだ。


「実は私、古代エネアドの展示が楽しみなんです。最近、エネアド神話にハマっていまして」


 椿姫が珍しくハキハキと話し出す。アンナは椿姫が最近エネアド神話の神々をイケメンにした小説にハマっているのを知っていたため、なるほどと納得した。


 アンナはというと校外学習よりも、先日ヨシュア先生に渡された『進路調査書』のことが気になっていた。進路調査書は、二年生になったら学びたい科目を暫定的に決めて提出する書類だ。

 もちろんアルビオン観光は楽しみなのだが、まだ進路調査書を提出できず、ヨシュア先生を待たせていて、モヤモヤしていた。

 

 入学から早いもので半年経ち、学校にも慣れてきた。アンナは魔法に興味があるから学んでいただけで、何のために勉強するのかは考えていなかった。

 一年生は魔法の基礎的な勉強が多かったが、これから二年生になると、それぞれの科目が派生してより詳しい勉強内容になっていく。

 二年生の科目の選択がゆくゆくは魔法大学の学科や職業にが関わってくるため、まだ一年生だからと呑気にはしていられない。


 アンナが進路調査書と睨めっこしているとアリスが覗き込んできた。


「アンナちゃんは降霊系の授業を取るんですか?」


「うん、そのつもりなんだけど、でも、その先はどうしようかなって悩んでて」


 アリスは魔法医になると決めているが、アンナには明確な将来のヴィジョンはない。

 アンナ以外のここのメンバーは全員進路調査書を提出済みだ。各々、将来のことをちゃんと考えていた。


「参考までに、みんなの進路を聞いてもいいかな?」


 尋ねると快くアリスが答えてくれた。


「勿論私は魔法医志望ですので、医療魔法系の科目を選択します」


 次にキリエが教えてくれた。


「私は魔法騎士志望だよ。だから戦闘魔法系の授業を受けるつもり」


『魔法無効』の才能を持つ彼女は魔法騎士団からしたら最高の人材だ。


 続いて椿姫も答えてくれた。


「私は神話魔法学の勉強がしたいです。魔法大学に進学して神話の研究をしたいと思っています」


 趣味が高じてというやつだ。霊媒魔法で神霊を扱うアンナも神話学方面に興味があり、学びたい科目の一つとして検討していた。


「ルーナはとりあえず水属性系と聖典系を伸ばすけど、その先は未定かな。どこかの誰かさんのせいで家追い出されちゃって、これまでの人生計画はパーなんだよね」


 ルーナが嫌味ったらしく言うが、もうアンナはそのことを気にしていない。ルーナもアンナを傷つけたいから言っているわけではなく、こういうコミュニケーションのスタイルなだけだ。


「よかった、ルーナちゃんもまだ決まってないんだ」


 言い返されてルーナは気に入らなさそうに舌打ちする。


「ルーナはもう提出したんだから、あんたと一緒にしないで。これで来年度の進路が確定するわけじゃないし、ただのアンケートみたいなものなんだからテキトーに書いて早く出せばいいんだよ」


 元々将来が安泰のお金持ちだったからなのか、勘当されているのに危機感がない。とはいえ彼女の才能なら食いっぱぐれることはないだろう。


 みんなはそれぞれ自分のやりたいことや能力を活かせる進路を選んでいた。アンナは今一度自分が何をやりたいのか、何ができるのかを考える。


 しかし答えは出ない。アンナは魔法学や職業について無知で、そもそもの選択肢が少ない。霊媒魔法を役に立たせられる学問や職業も、自分がそれ以外に何ができるのかも知らない。


 考え込んでいるとヨシュア先生がひょっこりと顔を出した。寝癖で髪がとっ散らかっており疲れからか薄っすらクマができていた。


「皆さん、そろそろアルビオンに到着しますから、下車の準備をしておいてください」


 その声も表情も穏やかで柔らかく、棘や怒りを一切感じさせない。ヨシュアはアンナが書類と睨めっこしていることに気がつく。


「おや、進路調査書ですか」


「すみません、まだ書けてなくて」


「急ぐ必要はありませんよ。校外学習で学んだことも踏まえて、じっくり考えてみてください。学校は将来の選択を考える場所ですから」


 不安を取り除くように、笑顔で優しく言ってくれる。おかげで気が楽になった。ヨシュア先生は個性的なユニコーン寮生一人一人のことを熱心に考えてくれる良い先生だ。


 アンナはひとまず校外学習に専念するべく頭を切り替える。程なくして飛行船はアルビオン空港に到着した。


 

 ユニコーン寮一年生一行は引率のヨシュア先生と共に大アヴァロン博物館へと赴いた。


 一行を出迎えたのは幾つもの巨柱の建ち並ぶ神殿じみた建物だった。

『大アヴァロン博物館』。ここには古今東西の芸術、書物、遺物、魔法道具が所蔵、展示されている。

 

 その敷地に入った瞬間、アンナは微かな違和感を覚えた。害を及ぼすものではないが、『見られている』と感じた。椿姫も感知したようで互いに目配せした。そんな二人を見て嬉しそうにヨシュア先生が笑った。


「感じたみたいですね。これが大アヴァロン博物館の結界です」


 いつも疲れて草臥れているヨシュア先生の言葉のテンションが上がる。博物館の建物に入る前に授業が始まってしまった。


「皆さんは今、結界の審査を受け、それに合格し、敷地内へ入ることを許されました。大アヴァロン博物館にはたくさんの貴重な展示物がありますから、それを盗んだり、壊したりする人を中に入れるわけには行きません。この結界はそういった悪意を持つ人を弾く結界なのです」


 聞き取りやすい声でハキハキと語り出す。基礎的な科目の魔法は習得済みで真面目に授業を受けないルーナも結界の授業の時は真剣に聞いている。


「この結界は博物館の中央部に展示されている女神アテナの神像が展開しています」


 現代の人間の魔法よりも古代の神の魔法の方が強い。だから、結界も展示物のものをそのまま使っているのだ。

 アテナの神像以外にも、博物館には様々な神話の魔法を宿した遺物が所蔵されており、その魔力が入館者たちに歴史の重みを実感させる。


「博物館の建築様式がオリンポス神国のヴァルゴス神殿を模しているのはアテナ神像の結界の恩恵を受けるためなんです。建築と結界には深い関わりがある、というのは既に授業でやりましたね。結界の魔法陣や魔力源が建築の中央部にあることが多いのは、そこが一番効力を発揮しやすい場所だからです。建物自体が魔法儀式の一部であり、大きな魔法陣の役目を担っているわけですね」


 博物館の結界の解説をコーフン気味に終えたヨシュア先生は「すみません」とテンションが上がっていたことを謝ると、落ち着いた口調で生徒たちに質問をした。


「さて、ついでに結界の基礎を復習しておきましょうか。

 結界は味方になると頼もしいですが、敵になると手強く、恐ろしい。中に人を閉じ込めたり、中の人に危害を加える結界もある。

 そんな結界ですが、いくつかの方法で壊すことができます。結界を壊す方法を知っている方はいますか?」


 何人かの生徒が挙手する。ヨシュア先生は元気に手を挙げているキリエを指名した。


「結界の強度を上回る威力の魔法で攻撃をします!」


「正解です。人を閉じ込めたり、中に入れないようにする結界はその防壁を攻撃して破壊することができます。しかし、防衛用の結界は高い防御力を有しているのでそう簡単には破壊できませんよ」


 次に、自信無さげに手を挙げていた椿姫が指名された。


「結界の魔法陣もしくは魔力源を破壊します」


「その通り、正解です。結界の魔法陣、魔力源はそのほとんどが結界内部にあるため、閉じ込められた際はこの方法が一番適していますね」


「まだありますよ」と生徒を見回すヨシュア先生。手を挙げていないアンナと目が合った。アンナは自分の意見を発表するのが苦手でいつも挙手しない。危機感を覚え、ドキッとした。


「はい、アンナさん」


 案の定先生は楽しそうにアンナを指名してきた。確信はないが、問題の答えはアンナの頭に浮かんでいた。


「え、えっと、結界の術者を倒す、ですか?」


「そうですね。正解です」


 ほっと安堵する。間違えることは恥ずかしくないとか、前世ではよく言われていたが、間違えると恥ずかしいのだ。

 

「この博物館のように人間以外が魔力源のものもありますが、術者がいるケースもあります。それを倒せば、魔力供給が絶たれて、結界は破れるでしょう」


 その後ヨシュア先生は悩ましそうに、申し訳なさそうにして、口を開いた。


「ですが、そうですね。残酷ですが、表現を『倒す』ではなく、『殺す』、としておきましょうか。術者を気絶させても魔力の供給が続くことがあります。相手も何かを守るために、結界を使っている以上、命に代えたとしても守りたいものがあるかもしれません。僕も生徒を守るために学校に結界を張っているわけですからね」


『殺す』という言葉をヨシュア先生の口から聞いて、アンナはショックを受けた。今までずっと遠くにいた、死が少しだけ身近に迫ってくるような悪寒がした。



 ユニコーン一年生一行は博物館の中へ入る。館内にはオリンポスの彫刻やエネアドの石碑、絵画から書物まで様々な歴史、芸術、文化の象徴たちが展示されており、神秘的な魔力を放っている。

 

 ここからは自由に見て回れることになり、いつもの五人は一緒に博物館内を巡ることになった。


 アンナと椿姫の要望で、まずは図書館に行くことになる。

 世界中の魔導書が集められた広大な図書館に、椿姫がつい千里眼を輝かせてしまう。


 各々が気になる本を探しに行く中、アンナは展示されている『騎士王物語』が気になった。原本は古くて読めないため、解説と写しに目を通す。


『騎士王物語』とは、アヴァロン王国に伝わる昔話で、聖剣に選ばれた騎士王と、彼の元に集った騎士たちの物語だ。

 最高位の魔法騎士に与えられる『円卓の騎士』の称号もこの騎士王物語に由来し、王の騎士団が魔法騎士団の源流の一つとされている。


 孤児院で騎士王物語を読んだことのあるアンナはその原本に心が躍った。中世の騎士にも、魔法騎士にも憧れがある。

 そんなアンナの隣にヨシュア先生が現れた。


「魔法騎士にご興味が?」


「はい。でも、なりたいとかってわけではないです。私には無理だと思いますから」


 決闘と本当の戦いが違うことはなんとなくわかっていたし、何より戦いは嫌いだった。

 

「教師としては生徒を戦わせたくはありませんが、アンナさんは魔法騎士に向いていると僕は思います」


 ヨシュア先生の方を見ると穏やかに微笑んでいた。お世辞の嘘ではないとアンナにはわかった。


「他人のために本気で怒れたり、他人のために土下座をしたり。アンナさんは勇気と優しさの両方を持っています」


 怒ったことや、土下座したことを後悔はしていないが、それを褒められると恥ずかしさが勝って顔が赤くなった。


「候補の一つということで、考えてみてください」


 言い残してヨシュア先生は立ち去って行った。

 線引きをして、自分には関係のないことだと思っていた魔法騎士。もしも自分が魔法騎士になったらどんな風だろうと想像してみて、頭をブンブンと振った。マリアはあまりにも理想として高すぎる。


「私は魔法騎士にはなって欲しくないな」


 いつのまにか女神イブが背後にいた。口調は優しげだが、強い感情を感じる。


「アンナちゃんが危ない目にあったら嫌だもん」


「なるって決めたわけじゃないよ。……それに私はなれないと思う」


 イブを安心させようと、さっきまでの妄想を振り切る。そうだ、自分は戦いが嫌いなのだから魔法騎士には向いていないと納得する。

 魔法騎士はなりたいからなるものではない。できる人がやるものだ。憧れているからと、向いていないのに魔法騎士を目指すことは間違いだ。


「そっか、ならよかった。それよりもさ、アンナちゃんは霊媒魔法の研究をしなよ。マイナーな分野だからすぐに偉くなれるよ〜」


 元より、アンナは魔法の勉強がしたくて魔法学校に入った。自分の得意な分野の研究をするのが魔法学校生として正しい道かもしれない。


 イブと意見を対立させたくなくて、アンナは自分の中に湧いた好奇心と選択肢を静かに押し潰して笑顔を作った。


「じゃあ、イブのこと実験台にして隅々まで研究しちゃおっかな?」


「いや〜ん、アンナちゃんのエッチ」


 二人は笑い合って、関係を維持する。アンナにとってイブは初めての友達で、家族だ。彼女に嫌われたくなかった。


 そこに椿姫がそそくさと顔を出した。


「すみません、挟まるつもりはないんです。あの、そろそろエネアドの展示に行きませんか?」


「うん、いいよ。そうだ、イブも───」


 行きたいところがあったら言って欲しいと思い、アンナが振り向くとイブは既に影の中に入ってしまっていた。

 イブはいつもアンナを守るために傍にいてくれる。偶には自由に好きなところに行ったり、好きなことをしてもいいのにと、アンナは思っていた。



 五人が古代エネアドの展示へ向かうとキラキラと輝く黄金の装飾品たちが出迎えた。

 人目を引くようにナイル校長の私財である黄金の財宝を前面に押し出しているようだ。しかし、その他にも歴史的に価値のある展示がいくつもある。


 椿姫は金ピカの装飾品には目もくれず、エネアドの神々の描かれた壁画の方へと一目散に向かっていった。


「これが推しの原作なんです!」

 

 頭に太陽を乗っけた鳥の顔の神様を興奮気味に見つめる。エネアドの『太陽神ラー』だ。

 その他にも壁画にはエネアドの神々が描かれており、椿姫は拝むように鑑賞していた。


 アンナは一人の世界に入ってしまっている椿姫を放置して、気になるものはないか展示を見て回る。ふと、大きな石碑が目に止まった。

 ところどころ欠けているが古代エネアドの文字が満遍なく刻まれており、深く神秘的な魔力を帯びている。


「なんだ、金銀財宝ではなく、こちらに興味を持つとは、案外わかっているじゃないか」


 石碑を見ているとナイル校長が話しかけてきた。アンナは反射的にそっと半歩距離を取る。


「どれ、久々に授業をしてやろう。こう見えて昔は魔法神話学を担当していたんだぞ」


 自慢気に語り出す校長。アンナは渋々聞いてあげることにした。

 これまで大勢の人を利用したり、捨ててきたであろうこの金持ちのことがアンナは好きではないが、今は悪いことはしていないし、自分たちが勉強できているのはこの人のおかげだと理解していた。


「こいつは『アビドス・ストーン』。かつてエネアドで起きた大災害───『十災じっさい』について記された石碑だ」


 その石碑の訳をナイル校長は丁寧に説明してくれる。

 

『十災』。

 昔、エネアド王国には大勢の奴隷がいた。その奴隷たちを解放するため、魔法使いの兄弟がエネアド王の前に現れた。

 兄弟は王に奴隷を解放するように頼んだが、聞き入れられなかったため、魔法で神の力を借り、エネアド王国に災いを起こした。

 その際に起きた十回の災いを『十災』と呼ぶ。


 一つ目は血の災い。砂漠の国エネアドの川が血に変わり、魚は死に、水も飲めなくなった。


 二つ目は蛙の災い。国中に蛙が溢れかえり人々を困らせた。更に大量の蛙が死んだ後、その遺骸が悪臭を放った。


 三つ目はブヨの災い。吸血虫が大量発生し、人々と家畜を襲った。


 四つ目は虻の災い。再び吸血虫が大量発生し、人々と家畜を襲った。


 五つ目は疫病の災い。疫病が蔓延し、多くの家畜を殺した。


 六つ目は腫れ物の災い。エネアド人と家畜に膿の出る腫れ物ができた。


 七つ目は雹の災い。雹によって畑の作物に大きな被害が出た。


 八つ目は蝗の災い。蝗が大量発生し、作物を食い荒らした。


 九つ目は暗闇の災い。三日間、エネアドを暗闇が包んだ。


 最後の災いは子殺し。エネアド人の長子が全員死んだ。


 十災の後、魔法使いの兄弟は奴隷たちをエネアド王国から逃し、共に安寧の地を求めて荒野へと旅に出た。


「ということがこの石碑には刻まれている。エネアド人からしたら迷惑な話で、魔法使いの兄弟と災いを悪しきものとして記しているな。

 逆にエクレシア教の聖典では兄弟は奴隷を解放した英雄、聖人として記されている。エネアドの王族の血が流れる私としては複雑な立場だ」


 校長の解説はわかりやすくて、アンナは驚いていた。普通に勉強になってしまった。

 そんな校長は髭をいじりながら、感傷に浸るように石碑を見つめている。


「ただの石だが、こいつにはものすごい価値がある。何故かわかるか?」


 問われ、アンナは少し考えて答えた。


「古代エネアド文字の状態がいいからですか?」


 アンナの前世にはロゼッタストーンという古代の文字を解読するのに役立った石碑がある。それと同じようなものなのかと思った。


「不正解だが、ものを考えられる頭のようだな」


 褒めているのか貶しているのかわからないが、面白そうに校長は笑った。


「この石碑は世界中で信仰されているエクレシア教で聖人とされる人物を悪として記している。それが壊されずに残っている。だから価値がある」


 この博物館にあるものの多くが、かつて戦争で勝った国が負けた国から略奪したものだ。その繰り返しの中で、本来とは別の形になったものや、欠損したものもある。


「物事の価値や正義と悪は見る方向でいくらでも変わる。風向きを見極め、勢いのある舟に乗り換えていくことが、世渡りのコツだ。例えば、成績が悪くても、ある分野では非凡な才能を持つ生徒に投資する、とかな」


 悪そうな声でクククと笑う。彼なりのユーモアらしい。


「校長先生に媚を売った方がいいってことですか?」


「む、なんだ貴様、思いの外おもしろいやつだな」


 意外だったのか少し驚くおじさん。アンナのことが気に入ったようでバシバシと肩を叩いてくる。


「そういえば貴様、霊術を使うんだったな」


「あ、はい」


「だったらいいのがあるぞ」


 そう言って校長はアンナを大きな棺の前に案内した。

 棺の中には包帯でぐるぐる巻きにされたミイラが横たわっている。不気味だが、不思議と怖くない。これは死体というよりも石だ。石像や石碑と同じで、人類の歴史の一部を刻んだ証人である。


「端的に言えば保存状態のいい死体だな。古代エネアドでは、死後の世界で暮らすために肉体を保存しておく文化があった。王族の遺体は丁重に魔術で保存され、それが今でもこうして残っている。

 後世では、この肉体を保存する魔術を応用して、不老不死の肉体を作ろうと考えた連中もいたが、非人道的な実験を繰り返したことで恨みを買って潰れた。

 話が逸れたな。エネアドには死体を操る霊術があるんだが、貴様も霊魂を入れる器を持っておいた方がいいと思ったのだ。人間霊は人型の器に入れた方が能力を発揮しやすい。わざわざ魔力で実体化させていたら貴様のような魔法弱者の魔力ではコスパが悪かろう」


 何かと思えばアドバイスをしてきた。流石に校長になるだけあって的確だ。アンナは驚いて固まってしまった。


「何をポカンとしている」


「い、いえ。なんか先生みたいですね」


「私は校長先生だぞ。それに、投資すると言っただろう。私は見る目がある。貴様は金になりそうだ。ほれ、好きなミイラをやるぞ」


「……ミイラはちょっと」


 確かに式神以外の霊を憑依させる器があれば戦術の幅が広がる。しかしミイラはアンナの使うヤマト系の霊術とは接点がないため相性は良くない。


「東洋の霊術使いだったか。だったら人形との相性は良さそうだな。今度、知り合いの人形師に話しておいてやる」


「あ、ありがとうございます」


 親切にされてしまい、校長への認識が少し変わる。確かに彼の言う通り、物事は見る方向で良い悪いが変わる。アリスにコテンパンにされたことで校長自身、考え方を改めたようだし、アンナも彼のことを悪い人という前提で見ることをやめることにした。


 

 アンナはアリス、キリエ、椿姫、ルーナの四人とは一旦別れて、博物館内を一人で自由に見て回ることにし、絵画の展示に足を運んだ。


 長い廊下には様々な時代、様々な画風の絵画が並んでいる。客入りは他の展示に比べると少ない。

 絵画には魔法的な効力はなく、純粋な人間の技で描かれた芸術だ。故に高く評価する者も、見下す者もいた。


 ふと、一つの絵画から目が離せなくなった。

 黒髪の少女が十字架に磔にされて、火炙りになる寸前の光景が描かれていた。周りの人々は大声を上げて歓喜したり、涙を流して悲しんでいる。


『魔女イブの処刑』


 題名を見た時、頭がふらっとして視界がブレた。

 教科書や歴史書では、百十六年前──魔法世紀が訪れるその直前に起きたとされる魔女の処刑だ。


 まだ一部の人にしか魔法が使えず、『西暦』という暦が使われていた時代、強力な魔力を持つ『魔女イブ』は人々に恐れられて処刑されるのだが、彼女は死に際に人類を呪い、全ての人類に自分の魔力を与えた。これにより、全ての人類が魔法能力を得たのだが、同時に魔法能力による格差と不平等が生じ、魔法が戦争をさらに苛烈にした。


 魔女イブの処刑とは、魔法世紀の始まりそのものであり、『魔法』とは魔女イブが人類にかけた、争いを齎す『呪い』なのだ。


 絵画に描かれたイブという名前の黒髪の少女の姿に、アンナは背後に潜む女神との関係を考えずにはいられなかった。


「ねぇ、イブ」


「ごめんねアンナちゃん。そのことは話したくないんだ」


 声だけが返ってきた。


「うん、わかった」


 人には知られたくない過去がある。アンナもこの世界の人に、引きこもりだった前世のことを知られたくない。だから、それ以上は踏み込まない。何より、イブに嫌われたくなかった。


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