第52話 力を持つ者の心構え
本日は日曜日。当の俺はというと、朝から視覚と聴覚を封じられた状態での師範との組手にて、ポンポンポンポンポンっと投げられては畳に叩きつけられるの繰り返し。
今の俺はリピート再生の投げられ小僧ですか? そんな思考の間にも吸い寄せられるように宙へと舞ってしまうのだ。
「……なあ、目も見えない耳も聞こえない状態で……何でアイツはまともな組手になってるんだ? 普通なら成す術もなくやられてるだろ」
「あれでも対策室所属年数は長いからな。ちゃんと受け身も取れてるし……大怪我はしないだろ……。バタッ!」
忍の疑問に朝稽古が終了して、仰向けになりながら燃え尽きたぜ真っ白に……となってしまった月村さんが息も絶え絶えで答えていた。
師範は師範で月村さんと俺との連戦であるにも関わらず涼しい顔をしている事だろう。この方もかなりの
そんな光景が広がる道場内での片隅でローラと月村美弥さん、旧姓凛堂美弥さんが正座して向き合っていた。
今日から入門となるローラは緊張した面持ちだが、美弥さんは穏やかな表情を崩さずに座っている。
「その道着、私のお古だけどサイズがぴったりで良かったわ」
現在のローラは真っ白な道着を着用している状態だ。
「さてと……。ローラちゃんには最初に覚えて貰わなければならないことがあるわ」
「何を……ですか?」
美弥さんの言葉にローラの顔に不安が見えている。自分は何をしなければならないのか、そんな思考をしてしまい体が硬くなっている。
「ローラちゃん。この道場で、これから教える柔術は何をするための物だと思う?」
「えっ……? お化けとかと戦う――」
「違うわ」
ローラの回答に対して、彼女が言葉を言いきる前に、それを否定した美弥さんであった。
「柔術に限った……、そも日本のみに限った話ではないけれど、武術というものは人と争うために長い歴史の中で磨かれてきた技術よ。それは、この道場においても変わりはないの」
現代に至るまでに様々な武術がスポーツとして扱われているが、元を辿れば人間が争う中で、自分が優位に戦えるように確立されたものなのだ。
鋭く、そして真剣な眼差しでそれを語る美弥さんの姿に固唾をのみ込んでしまったローラであった。
「だから……、貴女にはこれから自分が何を覚えようとしているのか。それを身を持って体験してもらいます。さ、立ってみて。それとこれを付けてね」
美弥さんがローラに差し出したのは胴体を保護するためのプロテクターであった。それを手に取ったローラは指示通りに着用して、美弥さんと向かい合っている。
「これからローラちゃんの胴体目掛けて掌底を打つわ。耐えなさいとも反撃しなさいとも言わないわ。ただ
「は……はい!」
ふぅ……と一呼吸した美弥さんが、スッと音もなく踏み込む。その体重移動を真っすぐに伸ばした掌底へと伝え、ローラの胴体目掛けて打ち出していた。
――バアン!!
道場内に何かが破裂したような音が響き渡る。
「あ……!? うっ……!?」
ローラはその場に膝をついて
数分後、呼吸が落ち着いてきたローラへと静かに語りかけていた美弥さんであった。
「ごめんなさいね。けれど……、ちゃんと知っておいて欲しいの。貴女はこれからこれと同じ事を修得しようとしているって」
「わたしも……これと同じ……他の人に痛い思いをさせるものを?」
無言でうなずく美弥さんが更に続ける。
「そして……、技を身に付けた後は、それを必要な時以外はみだりに使わないこと」
「こんなこと……覚えても進んでやりたくないです!」
ローラは強い意志を秘めた瞳ではっきりとそう答える。
「そう。けどね、覚えておいて。身に付けた技術、作ってしまった物、そういったものを使いたくなってしまうのは、人としての
「よくわかりません……」
「力というものは、身に付ければそれを開放したくなる。振るってみたくなる。それは人間が長い歴史の中で争い続けて来た習性でもあるの」
あまりにも真剣な美弥さんの表情になにも言葉を発することができなくなっていたローラであった。
「だから……ね? 身に付けた力に負けないように心も鍛えなさい。その心を鞘にして力を、その欲求をすっぽり覆ってしまいなさい。そうしているお手本なら近くにいるしね」
「コウとかレイチェル?」
「それとルーシーさんもね。あれだけの力を持っていても、何も知らない人達からは普通に生活している様にしか映らないもの。実はそれって結構凄いことのなのよ」
ローラにはその言葉の意味はまだ完全には理解できないものではあった。しかし忘れてはいけない事なのは心に刻みつけていた。
そして、先ほどまで師範に投げ飛ばされていた俺はというと……。
「みーやーさーん! そんなキッツい打撃を打つ必要はないでしょ!?」
月村さん謹製の視覚&聴覚封印ユニットを外して、ローラの傍らに行き美弥さんに文句を言ってしまった。
「大体、ローラは優しい子なんですから、そんなの言われなくったって分かってますよ!」
後から聞いた話だが、今の俺は子猫を守るために敵へと威嚇する親猫のように見えたらしい。その他にも昔馴染みの人達には思い当たることがあったようだ。
「……何で夫婦二人で笑いを堪えてるんですか? ちょっと不愉快です」
「ふふっ。いえ、ごめんなさいね。貴方が初めてこの道場に来た時の事を思い出しちゃって……ね」
美弥さんの言葉に月村真司さんが続く。
「お前がさっきのローラちゃんと同じ事を師範にされた時、レイチェルが似たような事を言って庇ってたからな。覚えてないか?」
「……あったような。無かったような……?」
「お前もまだ六歳だったしな。あれから十年か……。僕らも年を取るわけだ」
俺が不機嫌になっているというのに、その他はほのぼのとした雰囲気になってしまった道場内であった。
「ローラちゃん? 今日はもう見学で構わないわ。まだ少し痛むでしょうしね」
そうして美弥さんの指示通りにローラは道場の隅で、稽古を再開した俺がひたすら投げられるのを見守っている。
「コウって、わたしより小さい頃から道場に通ってたんですか?」
「そうね。一緒に組手をしていたのは年の近いレイチェルの方が多かったわ。それでも子供の頃の三歳差って大きくて、功君は負けてばっかりだったけど」
「レイチェルもここに?」
その問いに、にこやかな表情で頷く美弥さんであった。
「そして僕は十歳になったばかりの功に投げられたけどな! あの時に僕は武闘派とは縁遠いと思い知ったよ!」
「……ツキムラさんって……もしかして?」
「ああ! 僕は直接戦闘では、この中でローラちゃんの次に弱い! 下手すれば数年後にはローラちゃんより弱くなってる自信すらある!」
そんな自信を突きつけられても困るとローラだって言いたいかもしれないが、苦笑いを浮かべるのみに留まっていた。
数時間後、稽古が終了となり帰宅することとなった。
「いっつ……。師範……、こっちは目も耳も駄目になってるのに遠慮なく投げるからな……」
「コウ? 大丈夫?」
「問題ない。ちゃんと受け身は取ってるから。けど……」
感覚が一部遮断されたまま稽古をしたおかげか、違う感覚が鋭敏になっている自覚がある。これが忍者と推定される霊との戦闘に役立ってくれるといいのだが。
歩くこと十数分、自宅へと到着して夕飯の準備を始める俺なのであった。
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