第42話 コミュニケーションとは言葉だけではないのです

 夕食後、レイチェルが向かっていたのは繁華街からほど近い古びたアパートだった。途中にあったコンビニで缶コーヒーを購入して、それを飲みながら物陰に隠れている。


「レイチェルさん……、お待たせしました」


「うん。いきなり呼び出してごめんね。忍は?」


「忍なら乳児院の方で待機してます。鬼子母神の動きも無いそうです」


 美里がレイチェルと合流し、引き続きそのアパートを見張っている。しばらくすると……、一人の女性がアパートからどこかへ出かけるようだった。


「あの人が……?」


「そうだね。あの祠に赤ちゃんを捨てた……、あの子の母親」


 二人の瞳がその女性を捕える。数日だけだが、乳児院でその子と触れあっていた間柄でもあるので、女性のしたことに対して全く怒りが沸かないというわけではなかったが、それは飲み込んで監視を続行する。

 今日、報告に行った際に得た情報で、この場を訪れはしたものの女性については赤ん坊の父親と思しき存在は影もなく、夜の仕事で稼いでいるようであった。


「……あの子、私生児……かな?」


 その言葉に思わず反応してしまう美里であった。


「だからって、あんなことするなんて……!」


 怒りをあらわにする美里に対して意外にもレイチェルは冷静に言葉を紡いでいた。


「まー。あたしもコウも親の事あまり知らないって意味だと似たようなものだし、事情があるんでしょ」


「……レイチェルさんも?」


「うん。まあ、あたしの場合は親と連絡取れないとかじゃないけどね。子供の頃、無意識のうちに怪異を霧散させちゃったみたいでさ。それで……」


「それで?」


 出会ってから初めてとなるレイチェルの自分語りに耳を傾けてしまう美里であった。


「いやー、凄かったよ? 家中で騒霊現象ポルターガイストとか、椅子とか小物が動く動く。ついでに夜中にテレビが勝手にオンになるとか日常茶飯事でさ」


「あ……あはは……。怖いですね……」


 あっけらかんと説明をするレイチェルとは裏腹に、美里は乾いた笑いしか出せずにいた。


「その後で、どこから聞いたのかルーが来てね。そこから数年間は一緒にいたの」


「大変な経験してるのに……底抜けに明るいですよね。レイチェルさんも……」


「だって、幽霊だの怪異だのなんて叩けば消えるからね。あたしの場合、気にしたって仕方ないんだよねー。あははー」


(メ……メンタル強っ!?)


 レイチェルの持論を耳にして少しばかり引いてしまったらしい。

 そんな話をしながら女性の母親を尾行していると、見覚えのある道へと出たの事に二人とも気づいていた。ここ数日、足繫あししげく通っていた乳児院への道だ。


「……!? 忍から連絡が」


「なんて?」


「あの鬼子母神が……外に出たと」


「やっぱりか……。嫌な予感は当たっちゃうのかあ……。こういうのは当たらなくていいのに」


 何かを察していたらしいレイチェルだが、すぐさま美里に指示を出していた。


「美里、あの人の監視お願い。あたしは忍と合流するから」


「えっ!? はい。了解しました!」


 レイチェルは裏道から全速力で乳児院へ向かう。息を切らせながら目的地へ到着すると、忍が慌てながら彼女へ近寄ってきていた。


「はあ……はあ……ふう。忍、そっちはどう?」


「ゆっくりとだけど……あっちの道に向かってるぞ」


 忍が指差した方向は、女性が歩いてくるはずの道だ。


「あっちは美里が止めてくれてるから、あたし達はこっちを止める」


 そうして二人は鬼子母神と対峙する――


「ちょっと待って。 あたしとお話しよっ」


「……■■■■■■■!」


「あー……。やっぱりかあ……」


 口を開き、何かを訴えている様に見える鬼子母神だったが、レイチェルと忍の双方は何も聞こえていない。


「これって……」


「やっぱり『視える』だけのあたし達だとダメかなあ……。こういった時はコウがいてくれると、ほんとに助かるんだけどね」


 霊や怪異を相手取る者は、『視える』だけの人間が8割と言われている。『視る』以外には何を言っているかも分からない。どうして欲しいのかも理解不能。だが人にとっては害になってしまう。

 あちらにもあちらの言い分はあるはずだが、相互理解ができないといった理由だけで争いになってしまう。


「ね? あの人に干渉するのは止めてもらえない?」


「■■■■■……」


「忍……、サンスクリットとか分からない?」


 いきなり話を振られてしまった忍は困惑している。


「いや! 分かるわけねーから! サンスクリットってなんだよ!?」


「日本のお寺とかお墓にあるでしょー! 日本人なんだから見たことあるでしょ!? 古代インドの由来の神様だから、もしかしてって……」


 サンスクリット――日本では梵字、梵語として知られている。とはいえ、日本人でも、何となくこんなの書いてるなー……、くらいの認識しかない人達が大半なので意味を理解している人間なんていないに等しいのだ。


「ううっ……、怒ってるけど襲いかかろうとかの感じじゃないから、やりにくい! いっそ戦闘になってくれた方が遠慮なく倒せるのに!」


「あんた、物騒過ぎないか!?」


■■■■■■■■何しに来たのでしょう?」(※訳を付けています)


 あちらはあちらでレイチェルと忍が認識できない声を出して困惑しているようだった。

 レイチェル、忍ともにコミュニケーションを取れない事に苦戦していたが、覚悟を決めたとばかりにレイチェルは一瞬だけ目を閉じた後で、真剣な眼差しを向けて相手と向き合った。


「ねえ? 貴女は自分の祠の前にいた赤ちゃんが心配なんだよね? あの子に付いてた手形みたいのって、あやしてた時のなんでしょ?」


 その一言でピタッと歩みを止めた鬼子母神であった。


「それと……、あの子の母親の事も知ってたんでしょ? 祠に来たときに見たんだよね?」


「■■■■■■■……!」


 『母親』。その単語を聞いた途端、怒りの表情だけでなく、何か捲し立てるように口を開いていた。


「……ね? その人に対して怒っているのは分かったよ。お願い……。あたしの話を聞いて!」


「……」


 あまりにも真摯な眼差しに気圧されたのか、鬼子母神はレイチェルの目の前まで足を運んでいた。


「あの子を守ってたよね? あたしには子供はいないけど、弟みたいな子はいるから気持ちは分かるよ」


 そうしてレイチェルはスマホを取り出し、画像を相手に見せていた。


「ほらこれ! その子の小さい時。かーわいいでしょ!」


 そこには幼い功とレイチェルが一緒に遊んでいたり、犬に吠えられている功をレイチェルが守っていたり、功に抱き着かれたレイチェルが彼の頭を撫でていたりと多種多様な思い出画像が映し出されている。


「……!(グッ)」


 口は開いていないが、何やらその画像を気に入ったらしい鬼子母神はレイチェルに対して親指を立ててサムズアップをしていたのだ。


「分かってくれた! 可愛いは正義だって!!」


(こくこく)


 言葉は通じないが意気投合しているらしい二人にツッコみを入れるべきか、それとも成り行きを見守るべきか悩んでしまっている。


(というか……、これを功の奴が知ったら……滅茶苦茶怒るんじゃ……)


 そんな心配を尻目にレイチェルは弟可愛い発言を繰り返している。


「――というわけで、あたし達と一緒に来てくれる?」


(……こく)


 頷いて肯定の意思を示した鬼子母神と物陰に隠れていた三人だったが、その道に赤ちゃんの母親が現れた。おそらくは美里も後を付けているはず。

 すかさず母親の方へと向かおうとする鬼子母神を制止する。


「ちょっと待って。あの人がどうするか……確認してからでも良いでしょ?」


(むーっ……。こくん)


 少しばかり不満そうではあるが、同好の士と認めたらしいレイチェルの言葉を聞いてくれているようだ。


「レイチェルさん……、ここにいたんですね。忍も」


「ありがとね。こちら鬼子母神さん、仲良くなっちゃってさ」


 紹介されるとペコリと美里に頭を下げている。


(……何があったんだろう?)


「……俺からはノーコメントで」


 説明するとドン引きされそうな内容だったので、忍は口をつぐんでしまっていた。

 そのままレイチェル達は赤ちゃんの母親の後をつけて、彼女が向かうであろう乳児院へと近づいていた。

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