研究所を出ると、朝日がおれを出迎えた。

 足早に学校へ向かう。まだひとけも少ない時間だが、朝練するような部活人間はもう来ている時間だ。電車の時刻表から勘案するに、おそらくギリギリ間に合うことだろう。

 校門近くで待ち伏せしていると、あくび混じりに目当ての人物がやってきた。

「あおちゃん」

「みゃーくん? え、どうしたの?」

 心底驚いた様子だ。それはそうだろう。帰宅部のおれが、あおちゃんより先に学校についているだなんて、意味がわからないはずだ。

「あおちゃん。部活前にごめん。一生のお願いがあるから聞いてほしい」

「なになにこわいこわい」

 茶化すように身を縮こまらせるあおちゃん。

 おれは、真剣な顔で言った。

「今日、いまから、雪まつり見に行こう」

「……なう?」

「じゃすとなう」

「…………北海道?」

「札幌」

「…………………………ほわい?」

 長い沈黙の果てに当然の疑問を口にした。

 旅行。それこそが、おれの思いつく最後の手段だった。

 一月十五日木曜日。あおちゃんは今日この日に必ず死ぬ。おれがどれだけ抵抗しても、おれの目の届かない場所で死ぬ。なら、夜、寝るときまで目の届く範囲にいればいい。

 もっとも、それだけならあおちゃんの家にお泊り会みたいなのをすれば良いかもしれない。が、放課後まで生きているかもわからないし、なによりほかのみやこの邪魔が入るのが目に見えている。

 だから、朝イチであおちゃんをおれが独占し、みやこの横槍の入り得ない状況をつくる。これがもっとも確実と言えるだろう。

「え、雪まつりって北海道の? たしかに行きたいとは言ったけど、こんな突発的に向かうものじゃなくない? 日帰りできる距離じゃないし」

「宿代はおれがだすよ」

 無理言って若桜から諭吉を10枚借りてきた。まだどう返すかは決めていないが、そんなことはあおちゃんが生還してから考えればいい。

「私達だけでいきなり泊まりの旅行なんて親が許すわけ」

「おれが謝る。全身全霊で謝る」

「こわいこわいどうしたのほんと。なにかあったの? てか顔色悪くない?」

 眉をハの字にしてこちらを覗きこんでくるあおちゃん。

「……ごめん、たしかに、いきなりすぎた」

 すこし頭が冷えた。

 あまりに直球すぎた。コミュ障はキャッチボールという概念を理解せず自分の話したいことを一方的に投げつけるというが、今のおれはまさしくこれだ。焦燥感に操られて、あおちゃんのことを見ていなかった。

「うん。落ち着いたならヨシ。焦らなくていいから、ちゃんとみゃーくんの考えを聞かせて?」

 校門にもたれかかり、ゆるりとした笑みを浮かべてそう言う。

 おれは数度深呼吸をし、頭をクリアにし、それから言った。

「あおちゃん。おれは、未来からきた」

「…………どういうこと?」

 おれの頓珍漢な言葉を、あおちゃんは笑わなかった。ただ、わずかに困惑の色を浮かべて、真意を尋ねた。

 だからおれは、誠実に答えた。

「あおちゃんは今日死ぬ。それを防ぐために、戻ってきた」

「……………………そこで、雪まつり?」

「そう」

 いろいろ言いたげなあおちゃん。

「雪まつりじゃなくても、どこでもいい。とにかく、学校以外の場所で、日付が変わるまでおれといてほしい」

「んー」

 あおちゃんは小首をかしげ、虚空を見上げた。

 北風が刺すように吹く。あおちゃんの黒髪をなびかせ、隙間からピアスがのぞく。

 ダメだろうか。ぐらつく感覚に足を取られそうになる。

 三十秒ほどだったか。

「いいよ」

 あおちゃんが、涼しい顔で了承した。

「雪まつり行こっか」


 それからはあっという間だった。

 電車で空港へ行き、飛行機に乗った。

 北の大地に降り立ち、雪まつりを観て回った。

 日が暮れたころ、さびれた旅館の一室で腰をおろした。

「楽しかったあ」

 ローカル番組を垂れ流すテレビを眺めながら、あおちゃんが満足げに言った。

「たまにはこういうのもいいね」

 表情筋を緩めて、セコマで買ってきたおかしをつまむ。腕を伸ばすたびに浴衣の脇からちらりと鎖骨がのぞく。

 あおちゃんは今に至るまで、なにも訊いてこなかった。空港までの道中も、飛行機の中でも、雪まつりの最中も。

 どう死んだのか。

 未来からどう来たのか。

 信じるにせよ信じないにせよ尋ねたくなるのが人間というものだろう。

 だというのに、あおちゃんはそれらの疑問をひとつも口にしなかった。ただいつもどおり、くだらない冗談を言って、笑って、沈黙がおりて、でもそれが心地よかった。そんな、普段と変わらない空気感を、この非日常の中で漂わせた。

 それが、たまらなく嬉しかった。

 日付が変わるまでそうして、おれたちは床についた。布団を隣り合わせにして、子供のころのようにたくさん話した。くだらないことも、真面目なことも。


 翌朝、目が覚めると、あおちゃんの姿がなかった。

 散歩がてら旅館内を散策し、中庭に視線を向けて、腰が崩れ落ちた。

 あおちゃんが、首を吊っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る