みんなでギャラクシーご飯

ニャルさま

第1話 火星

「へぇー、ここが火星なんだぁ! なんていうか、日本の、地球の景色とあんま変わんないね」


 結杏ゆあが満面の笑みを浮かべて、はしゃいだような声を上げた。


 少し茶色がかったセミロングの髪がなびき、水色のウィンドブレーカーが棚引いている。その下には白いワイシャツとエンジのネクタイ、グレーのスカートを着ていた。登下校の途中でふらっと立ち寄ったかのような服装だ。

 しかし、ここは正真正銘の火星だった。結杏はたまたま知り合った宇宙生物とロボットとともに、宇宙ロケットに乗って、やって来たところだ。


「そりゃそうやろ。火星の文明は地球から伝播したものなんや。どうやったって、地球の猿真似になるに決まってるやで」


 そう答えたのは、シルバーメタルに輝く金属でできたロボット――MINEマインだった。


 流線形を基調とた洗練したデザイン。足はなく、ホバーだ反重力だかで空地中に浮かんでいる。シンプルながらも、その機械の身体は機能美を感じさせるものだったが、その喋り方は残念なことに、インチキ臭い関西弁だった。

 これは地球のインターネットを基に言語を学習したからで、もちろん正式な方言などではない。ネット使用者のいい加減な言葉遣いがそのまま反映されてしまっているのだ。


 結杏とMINEの言葉通り、目の前には、ビル街が広がっている。地面もほとんどが舗装されており、僅かに残った地表はイメージ通りの赤土であったが、地球の都会とそれほど印象の変わらない風景だった。


 この場所はマリネリス峡谷であり、峡谷の狭間に都市が建設されている。地球からの観測では見つからない位置が計算されており、ほかにもさまざまな工夫により、地球から観測されることはないのだという。

 峡谷の隙間からは、太陽系でも最大といわれる死火山、オリンポス山がその勇壮な姿を垣間見せていた。


「火星の地表にはもともと水があったんだ。けどよ、気温差の激しさと重力の低さから、惑星外へと失われていった。地表からはな。

 だが、地殻の内側には水が残されていた。そこで生命が育まれ、やがて知的生命も生まれていたのだぜ。

 そして、その知的生命は地球を観測し、地球の文明を基に、火星を発展させた。とはいえ、成り立ちが違うんだ。独自の文化や発展の形もある。なかなか興味深くはねぇかな」


 結杏の足元にいる黒いウサギが言葉を発した。

 一見してモフモフとした柔らかい毛皮の持ち主に見えるが、実際には毛皮ではなく、甲殻のような固い外皮をしてる。結杏は何度となく、抱き着いたり、撫でたりして、そのたびにその感触にガッカリしている。


「そうなんだ。ミーちゃん、詳しいのねぇ」


 結杏は感心したような声を出すが、すぐにテンションが変わる。


「ね、ね、じゃあ、火星ならではの食べ物ってあるのかな? 私、お肉がいいなぁ!」


 急に興奮したように大声を出す。その剣幕に、ミーちゃんと呼ばれた黒ウサギは少し圧されながらも、どうにか声色を落ち着かせて返事をした。


「ああ、あるぜ。あんたの気に入る店に連れてってやるよ」


 その言葉を聞くと、結杏はニコっと満面の笑みを浮かべる。そして、勢いのままに駆けだした。


「みんなぁ、行くよっ! 早く早く!」


 その様子を眺めつつ、ミーちゃんとMINEは視線を合わせる。そして、やれやれと言いたげな仕草をしつつ、結杏を追いかけ始めた。


          ◇


 三人は――結杏ゆあ、ミーちゃん、MINEマインの全員が人であるかは置いておく――、高層ビル街へと向かった。

 ビルの谷間には背の低い建物があり、なんなら平屋の小屋さえもある。そこには、安酒を煽る火星人たちがおり、得体の知れない奇妙な食べ物を口にしていた。


「へぇ、ほんまに火星人ってのはタコみたいな姿をしているんやな」


 MINEが口を開いた。確かに、火星人の姿は頭部が大きく、それ以外には触手だけで構成されているようだ。頭には、口と思われる突起が伸びている。


「元々、地底の水脈で進化した動物だからな。空洞に張り付き、その状態で狩りをするために、触手が長くなったのだろう。それは、地底から這い出て、地表に出ることで、別の効果を生む。長い触手で直立することで、頭骨の構造に変化が起きた。つまり肥大化しても問題なくなったわけだ。

 火星人は脳を大きくし、文明を得るに足る知能を得たというわけだ」


 ミーちゃんが滔々と語った。それを聞いて、結杏が感心する声を上げる。


「ほへー、ミーちゃん、すごいじゃん! なんでそんなに物知りなの?」


 それに対して、ミーちゃんはぶっきらぼうな態度で言葉を返した。


「この辺りは長いこと調査していたんだ。そのくらい知ってるさ」


 この三人は良く目立つ。とりわけ、地球人の少女は珍しいようで、火星人たちは結杏の姿にちらちらと視線を送りつつ、何事かを囁き合ったいた。

 結杏はその様子に不審なものを抱くが、今はミーちゃんもMINEがいる。そのことに気持ちを大きくさせ、風を切って、ビル街を進んでいった。


「ねぇ、ミーちゃん、どこに行くんだっけ?」


 結杏は不安な気持ちを紛らわすように、大きな声を出した。どこか強張った声色であることを自分でも自覚する。

 ミーちゃんは相変わらずの横柄な態度で返事をした。


「ちょうどそこのかどだぜ。そこの親父は顔見知りなんだ。少しは便宜を図ってくれるだろ」


 それを聞くと、結杏は駆け出す。なぜだか、少しでも今の場所から遠くへと行き高い気分だった。

 そして、ミーちゃんの示した角の店へと入っていく。


 ガチャ


 扉が開く。その勢いのままに、結杏は店の中に入った。そして、スーハ―と呼吸を整える。

 次の瞬間、店中の視線が結杏に突き刺さった。店員も客もざわついている。


「あんたぁ、何だね。あ、いや、地球人……か?」


 店の奥にいるピンク色の火星人――店主だろうか――が何かを察したように言葉をつぶやく。

 それを聞いて、結杏は居ても立っても居られない感情が湧き起こり、その場にうずくまった。


「違う……私じゃない……。私、何も知らない……」


 何も考えられなくなった結杏は自分の手のひらで顔を覆う。涙が溢れてきてくれれば、まだ気が楽になりそうだったが、目頭が熱くなるばかりで、涙は流れてこない。

 苦しい、苦しい。私じゃない、私のせいじゃないのに。

 逃避の言葉が自分の頭の中で木霊こだましていた。でも知っている。あれは私のせいだったんだと。


 ポンッ


 何かが頭を覆った。カサカサした感触。それはミーちゃんの、黒くて長い耳だった。


「結杏、お前のせいなんかじゃねぇって言ってるだろ」


 その言葉を聞いて、少し気持ちが落ち着く。


「おい、親父! 何か温かいものを出してくれないか。それに酒だ」


 ミーちゃんが店主に声をかける。それを聞いて、店主もまた我に返ったようにきびきびと動き始めた。


「へへ、旦那の連れでやしたか。どおりで……。

 とびっきりの料理と酒を用意しやすぜ」


 店主はその強張った表情を和らげ、三人を席へと案内する。


          ◇


「私って、お酒飲んでいいのかなぁ」


 結杏ゆあが目の前に置かれたグラスの中身を眺めながら、呟いた。

 グラスは赤い液体で満たされており、液体の中では無数の泡が沸々と上がってくる。


「さあな、そんなこと自分で決めろよ」


 黒ウサギのミーちゃんがぶっきらぼうに返事をする。


「ここは火星だ。地球の法律なんて知ったことじゃねぇ。

 どうしてもってなら、あんたが決めていい。この星にいる地球人はあんただけなんだからな。

 けど、こういう時、地球人なら酒を飲むものだと思うぜ」


 それを聞いて、結杏は寂しげな表情をする。しかし、すぐに笑顔になった。


「飲んじゃお! なんでも、試してみるもんだよねっ」


 そう言って、結杏はグラスを手に取った。それに倣い、ミーちゃんとMINEマインもグラスを掲げる。ミーちゃんはグラスを耳で掴んでいた。


「乾杯っ!」


 三人の声が揃う。そして、グビグビとグラスの酒を飲んだ。


「うへー、苦い。まずい。なんなの、これ」


 結杏は一口飲んで閉口した声を上げた。

 それに対し、MINEは上機嫌である。


「これ、美味いやで。地球のビールと似てるんかな。シュワシュワっとした炭酸が喉越しいいし、爽やかな苦さが気分ええわ。

 ビールと違うのはこの赤いエキスやな。地球の飲料にはないスッキリした辛さがある。

 結杏、飲まないんなら、ワイがもらうで」


 MINEはそのまま一息でグラスを飲み干し、結杏の分のグラスも飲み始めた。


「火星エールは口に合わないか。なら、甘い酒のほうがいいな」


 ミーちゃんは新しい酒を注文する。店主はすぐに真っ黄色の液体の入ったグラスを持ってきた。


「地球でいう柑橘に当たる果物でできた酒だ。これなら結杏にも合うかもな」


 勧められるままに、結杏はその酒を飲んだ。渋い顔から、ニッコリとした笑顔に変わった。


「あま~いっ! うん、美味しい」


 甘いお酒だった。昔、友達の家で飲んだカルピスに味が近いと感じた。けれど、それよりも甘さと酸っぱさが濃縮されているように思える。

 地球から火星への旅で疲れていたせいだろうか。その甘さが実に心地よかった。

 それに、ほわほわとした感覚が体中を巡る。アルコールが回っていた。少し酔う。


 そんな笑顔の結杏の前に、料理が置かれる。

 それは緑色の植物が盛られたサラダと、赤い肉のステーキのようだった。


「なにこれっ! 美味しそう! あっ、でもサラダはいいかな。野菜、好きくない……」


 結杏が歓声を上げる。


「サラダも食べたほうがいいぜ。体調を整える効果があるからな。

 これは地球でいうと、苔に近い植物だな」


 ミーちゃんが結杏に言葉を返した。それを聞いて、結杏はさらに難色を示す。


「苔ぇ~! ムリムリ! 食べられないよ。お肉だけでいいなぁ、私」


 そう言うと、ナイフとフォークを手にする。そして、ステーキ肉を一口サイズに切った。

 プルンプルンとした感触。それだけで、地球の肉とは違うもののように感じる。


 そして、パクっと口に入れた。


「んぅ~、美味しい! すっごい美味しい!」


 口に入れて噛みしめると、途端に肉が弾けるような食感がある。それはまるでソーセージのようであり、瑞々しい果物のようでもあった。しっかり焼かれた肉でありながら、どこかしっとりとしており、ジューシーさが地球の肉とは段違いだ。固形の肉を食べている実感とともに、液状のゼリーを飲んでいるような印象もあった。


「これは火星牛のステーキだ。もちろん、地球の牛とは進化の成り立ちが違う。火星人が牛のように飼いならしている生物ってことだぜ」


 ミーちゃんの説明もろくに耳に入らないままに、結杏は夢中で火星牛のステーキを食べていく。

 それだけ美味しかったこともあるが、火星に着いてから何も食べていなかったので、お腹が空いていた。


「こりゃ不思議な味わいでんな。ワイの情報の中にはこんな味はインプットされておらんなあ。肉の旨さと水の美味しさが違和感なく組み合わさっておるわい。

 けど、これは苔のサラダと合いそうやん。肉の濃厚さをサラダは中和する効果があるやんな」


 MINEがステーキを口の中に入れ、その味わいと栄養成分を分析する。

 ステーキとサラダが合う。そう聞くと、結杏は無性にサラダが食べたくなった。あんなに嫌悪感を抱いていた苔サラダが美味しそうに見えてくる。


「うーん、これ美味しいの……かな?」


 苔サラダを口にする。プチプチした食感とともに、青臭い香りが口の中に広がった。でも、それがお肉の濃厚さでいっぱいになっていた感覚をリフレッシュしていく。

 ステーキを食べる。苔サラダを食べる。これが一つの循環のように、完璧な食のサイクルとなった。

 そうしていると、いつの間にかステーキとサラダを食べきっていた。


          ◇


「うーん、美味しかったなあ」


 結杏ゆあが満足げに独り言ちる。酔いが回ったせいか、トロンとした酩酊があった。

 だが、それ以上におかしな変化を感じていた。体中を何かが駆け巡っているのだ。それは奇妙なことに、心地よい感覚だった。


 じっと手を見る。次の瞬間、手が沸騰するように沸き立ち始めた。

 五本の指が異様なほどに伸びる。それだけではない。手のひらからいくつもの触手が現れていた。


「えっ、なにこれ!?」


 結杏は驚き、戸惑いの声を上げる。


 だが、そんなことで変化は止まらない。腕がほどけるように分かれていく。いつの間にか無数の触手となっていた。

 腕だけではない。足もまた解けていき、プルンとした触手が蠢いていた。


「ええぇっ、これ、もしかして、私、火星人に進化しちゃったってこと!?」


 結杏は焦ったような声を上げる。

 それをMINEが否定した。


「進化っていうのは生物が世代を超えることで少しずつ変化していく現象や。これは進化やないな、変態や」


 MINEの妙に冷静な物言いに、結杏も冷静になった。困ったような、焦ったような表情は、げんなりとした表情に変わる。


「変態って、なにそれぇ~」


 進化が世代を超えた変化を指すのに対し、変態は一世代の間に身体の状態を変えることをいう。

 だが、結杏には別の意味合いが頭によぎって仕方なかった。


「ねぇ、ミーちゃん、これどういうことなの?」


 問いかけられたミーちゃんは「ふむ」と一考する。


「まず、結杏の姿は火星人じゃねぇな。触手が多すぎる。それに火星人の頭部は触手ではなく、大きな塊だぜ。

 これは地球人と火星人が混ざり合って起きた変化というべきだろう」


 なんの解決策もなかった。ただ、冷静に状況を分析されただけだ。


「まあ、これは地球人なら当然の反応なんじゃないか。他星の肉を食べると、身体が変化するんだ。そういうものなんだろ」


 やはり解決策にならない言葉を聞き流しつつ、結杏はその触手をうねうねと動かした。周囲の肉に反射的に反応し、次々に触手の中に肉を取り込んでいく。

 そんな異常な事態にあって、なぜだか、この状況を受け入れつつある自分に気づいた。これもまた、初めて飲んだお酒の効能なのだろうか。


 そんなことを考えつつ、それでも、これからの宇宙の旅で何が起きるのか、楽しみになってきていた。

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